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うつ病と上手に付き合えるわけがない



こんにちは🥰むち子です。


前回の続きを書いていきます。


うつ病だと診断され私の心は少しだけ軽くなりました。


原因のわからない体調不良と戦い続け約一年。やっと病名がつき薬ももらえた。


もうすぐ治るだろうと思っていました。


そんなはずありませんでした。


春休み中部活の休みをもらいゆっくり体を休めることにしました。


相変わらず頭は回らず勉強は出来ませんでした。


私の学校では長期休み明けに課題テストがあります。


3年生最初のテストということもあり、難しくされることは目に見えていました。



今の私には一問も解けないことはわかっていました。



学年主任に相談して課題テストだけ休ませてもらうことにしました。



そこからは授業の出席が大切になってくるから頑張れよと言われました。



私たちの学校は単位制でもちろんテストの点数も大切ですが、全体の3分の1以上授業を休んでしまうと補修が必要になってきます。



そうならないように計算して休んでねと言われました。


こんなに応援してもらっているんだから頑張るしかないと当時の私は思っていました。


始業式も休んだと思います。



それからしばらくしていよいよ授業が始まるという時、あー明日から学校かー嫌だなーなんて呑気なこと考えていました。



授業が始まる日の朝ある異変に気がつきます。



時計がおかしいのです。



とっくに登校時間を過ぎていました。



いつの間にか10時でした。



え、どうしよう早く準備しなきゃ、なんて考えていました。



でも体が動きません。



やっと動き登校できたのはお昼過ぎでした。



あー私ってうつ病なんだな。普通の人と同じ生活ができないんだな。と悟った瞬間でした。



それからは本当に辛かった。



全く授業に出られず毎日保健室登校。



授業に出ていないにも関わらずテストはやってくる。



1学期の中間テストはどうしても受けられないですと言い受けませんでした。



ようやく教室に行けたのは6月後半だったと思います。



1時間行っただけなのに本当に疲れたことを覚えています。



勉強も何もできないからこそ色々なことを考えてしまいます。




私がこうなってしまった原因をとにかく考えてしまいました。



そして気がついてしまいます。



今までの人生親の言うこと聞いてきただけだったんだ。と。



何一つ自分の考えを押し通せたことがありませんでした。



高校だって勝手に決められたくせに辞めて通信行ったらどうだなんて無責任な発言をしてくる親に普通に接することはできませんでした。



そして今では親の事が大嫌いになりました。



毎日家にいるのが苦痛です。



だからこそどうしてもここで受験に合格して県外に行きたい。



それだけを目標に勉強を頑張っていますがそううまくはいきません。



本当にうつ病は厄介な病気です。



やりたいと思ったことがうまくできません。



勉強したいのに頭に入ってこない。



寝たいのに寝られない。



起きたいのに起きられない。




そんな自分が嫌いになりました。




何回も死のうと思いました。




でもできませんでした。




本当に難しい病気です。




上手になんて付き合っていけません。



この先何年この病気に向き合うことになるかわかりませんが、私は一生この病気を恨み続けると思います。




私は普通の暮らしができている皆さんが羨ましいです。




早くそっちの世界に戻りたい。




いつか自分のやりたい事をやって行きたい場所に行って楽しく生きられる日々が来ますように。




長くなりました。



一通り今までの人生のことは書き終わりました。



下手くそな文章ですが沢山の方々に読んでいただきました。本当にありがとうございます。



これからも思い出したことや今感じていることなどまったり投稿していこうと思います。



読んでくださりありがとうございました!

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