またくる夏

 ホールを出ると、生暖かい風が顔に当たった。歩き出しながら、あたしは言う。
「いい演奏会だったね」
「おう」
 京介はぶっきらぼうに頷いた。
 ゴールデンウィーク恒例の、複数の大学合唱団による合同演奏会。参加団体の中にはあたしと京介の出身団体も含まれていて、帰省してきた京介と一緒にこれを聞きにくるのが、ここ数年のお決まりになっていた。
 そうはいってももう現役に見知った顔はいない。観客の中に顔見知りを見つけることも、年々減りつつある。
 まあ、連休だしね。地元に残ってても、旅行に行っちゃう人も多いわけで。
「それにしてもさ」
 あたしは続けた。
「まさか、現役があれやるなんてね」
「まさかってことはないでしょ」
 京介の声に苦笑めいた響きが混じる。
「まだまだ人気あるでしょ。けっこう歌われてるみたいだよ?」
「でも、それでもさ」
 私は食い下がる。
「プログラム聞いたとき、ちょっと驚かなかった? あたしたちが歌ったのと同じ歌、なんて。ましてや京介なんか、指揮振ったわけでしょ?」
「いや、そりゃ、複雑な気持ちではあったけど」
 京介は頷く。
「どうだった? 現役の聞いて」
「いい演奏だったと思うよ」
「それだけ? つい何か言いたくなったりはしない?」
「まあ正直、思うところがないとは言わないけど」
 京介は一回言葉を切り、ちょっと考えるそぶりを見せてから言った。
「だけどさ、まあやっぱり、若い子達の声が似合う歌だよなって。だいたいタイトルからして、青春、って感じじゃん?」
「『レモンイエローの夏』ね。まあそうだよね」
 私も深く頷いた。
『レモンイエローの夏』。みなづきみのり作詩、田中達也作曲による、無伴奏混声合唱曲集。全体に若々しい響きの似合う曲集だが、中でも曲集と同じタイトルの一曲目は、シンコペーションを多用した懐かしいポップスを思わせる曲調と言い、ひと夏の鮮烈な恋をうたう歌詞といい、まさに青春そのもの、という印象が強い。加えて、レモンイエローという色の鮮やかさ、そして夏という季節。輝き、という以外の要素を見出すのはちょっと難しい、なのに最後に一抹の寂しさを残すところも、実に……なんというか、やっぱり「青春」だ。
 あたしたち自身が現役時代に定期演奏会で取り上げた時には、そこまで考えなかったけど、こうして年を経て振り返ってみると、かえって、それがいかにあの頃の自分たちにふさわしいものだったか、よくわかる。
「青い春、って書くのにね、青春。黄色がこんなに似合うとはね」
「青い空を背景に黄色いシャツがはためく、って歌詞があるじゃん? 青春を背景にした鮮烈な輝き、だよねあれ」
「はー。さすが元指揮者様」
「現役時代も言ったぞこれ」
「そうだっけ?」
「しっかりしてくれよ、元パートリーダー」
「てへ」
 私たちは笑う。
 そんな話をしながら歩き続けるうちに、あたしたちは目当ての店についた。
 学生時代に付き合い始めた頃、ちょっと背伸びして行ったオシャレなイタリアン。といってもいわゆる高級店ではなく、あくまでカジュアルな雰囲気なのだけど、お値段の方は、しがない学生にはちょっぴり厳し目だった。
 あれからずいぶん月日が経った。今だってそりゃすごいお金持ちってわけじゃないけど、このお店でメニューを見てもびびらない程度には、お互いきちんと収入がある。
「久しぶりにさ、あの店、行かない?」
 そう京介に言われた時、少し意外な気がした。あたしたちは特にまめに記念日とか祝う方じゃなかったし、思い出の場所、なんていうことにもそれほどのこだわりはないと思っていたからだ。特に京介は、そういうの、覚えていないんじゃないかと思っていた。
 だが、いざ来てみると、懐かしさに胸がきゅっとなった。
 手描きメニューを模した壁の装飾も、暗すぎないが落ち着いた感じの照明も、邪魔にならないボリュームのBGMも。忘れかけていた記憶が、実際に再体験することで次々と立ち上がってくる。
「懐かしいな」
 スパークリングワインで乾杯して、京介は言う。
「うん。ほんと」
 あたしは半ば感動しながら答える。
「ちょっとドキドキしてたよね、あのときは」
「まあ、付き合い始めたばっかだったしな。少しはかっこつけなきゃって必死だったし」
「あはは。かっこよかったよ」
「バカにしてるだろ」
「してないしてない。その、頑張っちゃってたとこがさ、かわいくもかっこいいっていうか」
「やっぱりバカにしてる」
 京介は苦笑する。
 あの頃指摘したら苦笑で済まなくて、もっと拗ねてただろうな、そんな想像に、私は一人ニヤニヤしてしまう。
 京介はさらに言った。
「だいたい人がそうやって頑張ってんのにさ、舞香ときたらあの頃から、強情っていうか」
「強情って何よ」
「いや、だってさ、人が奢るっていってんのに、いやだ、絶対自分も払うって」
「だってお互い学生で、奢ってもらう理由ないと思ったし。対等でいたかったんだよね」
「わかんねえじゃねえけどさ、たまにはかっこつけさせて欲しかったよな」
「ま、お互い若かったってことでさ」
 そう言ったとき、ちょうど前菜が運ばれてきた。

 料理はどれも美味しかった。アスパラと甘エビの前菜も、そら豆を使ったレモン風味のパスタも、メインの子羊も。当時と同じ物を食べたわけではないけれど、どこか記憶を刺激されるような気もして、あたしたちは互いの近況と昔話を交互に織り交ぜながら、和やかに食事を進めた。
 ドルチェは ティラミスにジェラートとフルーツを添えたもの。
「あ、またレモン」
 ジェラートを口に入れて、つぶやく。
「ほんと?」
 同じ物を食べて味わう京介。
「あ、ほんとだ」
「レモンに縁がある日だね」
「だな。いっそ食前酒もあわせるべきだったか?」
「別にそこまでしなくても」
 あたしはちょっと笑う。
「でも、まだ五月とはいえ、十分暑いしね。まさにレモンイエローの夏、って感じするね」
「うーん」
 京介はちょっと考え込む。あたしは眉をひそめた。
「え、何? どうかした?」
「いや、なんつーか……あのさ」
 と言いかけて、また黙る。
「何よ、言いたいことがあるなら」
「うん、言う。言うよ。えーと、あのさ」
 ゆっくりと、言葉を選ぶように、京介は話し始めた。
「レモンイエローの夏、ってさ、まさに青春だよな、って話したじゃん、さっき」
「うん」
「でさ、俺たちはって言うと、もう、そんな年じゃねえよなって」
「まあ、それは。そうだけど」
 懐かしい場所で京介と向かい合って、ちょっと昔に戻ったような華やいだ気分でいたあたしは、ちょっとハッとした。午睡の夢から無理やり起こされたような気分。
 京介は続ける。
「レモンイエローってさ、すごく鮮やかな色でしょ。パッキリとして、目に眩しくて、周りとのエッジも際立って。輝きそのもの、っていうか。でも、そういうのって、きっと長続きしないんだよな。歌詞でもさ、レモンイエローの夏って、通り過ぎていくもの、でしょ」
「ねえ、何が言いたいの?」
 あたしは焦れて聞く。
「もう、そういう気持ちにはなれないってこと? あたしとこうしてても、楽しくない?」
「いや、そうじゃなくて」
 京介は慌てて言う。
「そうじゃなくてさ。あの歌では、通り過ぎていくだけだったそんな季節だけど、他のものに形を変えて、続いていくことも、あるんじゃないかなって」
「他の、もの?」
「うん。ほら、ちょっと前にさ、白は二百色あるとかって、話題になったけど……黄色だっていろんな種類があるわけだよね。たとえば……カナリーイエロー、とか」
「カナリーイエロー? 聞いたことないけど」
「要はカナリア色。レモンイエローほど鮮やかじゃないけど、かえって目には優しい、明るい黄色。で、さ……」
 何の話を始めたんだろうと訝るあたしの前で、京介は言葉を切り、懐から何かを取り出す。小さな箱。これってまさか。
 開かれたそこに入っていたのは、ひとつの指輪。その上には、小さな黄色味がかった輝き。
「カナリーイエローって、この石、イエローダイヤモンドの色でもあるんだよね」
「えっ」
 あたしは京介の顔と指輪を見比べる。
「あの……えっと、これ」
「イエローダイヤモンドの石言葉は、永遠の愛。通り過ぎていくレモンイエローの夏とは対照的でしょ?」
「えっと……」
「結婚、しよう」
「ばっ……」
 あたしは思わず何か大きな声を出しそうになって、思いとどまる。どうしていいか分からず、とりあえずジェラートを大きく掬う。
「ば、ばっかじゃないの、まだ食べ終わってないのに。ほら、早く食べないと溶けちゃうでしょ!」
「えっと……ダメだった?」
「そ、そんなこと言ってないでしょ! とにかくさっさと食べよって言ってるの」
「……わかった」
 笑いながら箱を閉じ、再び懐へしまおうとする。
「あ……」
「ん? なに?」
「……なんでもない」
「そ?」
 だって、箱でもらうより、指にはめて欲しいし……でも、ジェラート食べながらじゃさまにならないし……
 あたしは、この後どういうタイミングで、どうやって返事をしたらいいのか、自らその機会を先送りにしたことを恨みながら考える。
 仕事、どうしよっかな。京介はどういうつもりなのかな、そんな疑問も忙しく頭に浮かぶ。
 顔が熱い。当たり前だ。だって、そろそろ立夏。夏の始まり。
 レモンイエローの夏は過ぎたけど、新しい夏は、これから始まるんだ。


あとがきっぽいあれ

天野蒼空さん主催による、第13回空色杯【500文字以上の部】への応募作品です。お題は「カナリーイエロー」「立夏」ということで、お題を聞くとまずはどうずらすか、その上でどうやってきちんとお題に着地させるか、考え始めるのは悪い癖です(笑)

作中に出てくる合唱曲集および合唱曲「レモンイエローの夏」は実際に存在します。著者も歌ったことがあります。YouTube等でも聞くことができるので、よろしかったらぜひ聞いてみてください。

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