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熟考の成果

「ああああっ!」
 鳥玄坊元親は頭を掻きむしった。
「ダメだ! こんなんじゃダメだ!」
 叫んでキーボードを叩くように操作し、びっしりと文字の書かれた文書をデリートする。
 椅子の背もたれに体を投げ出し、天井を眺めることしばし。
「……息抜きしよう」
 つぶやいて立ち上がり、部屋を出てキッチンへ。冷蔵庫から麦茶の入ったガラスポットを取り出し、グラスに注ぐと一気に飲み干す。しまう時、奥にあるレモンサワーの缶に一瞬視線がさまようが、かぶりを振って扉を閉めた。
 そのまま居間へ行き、大画面のテレビと、傍のゲーム機の電源を立て続けに入れる。
 慣れた手つきでゲーム開始。画面には、ジャングルのような場所が主人公視点で映し出されている。操作にしたがい視点がかわり、小屋のような建物を探索したり、時々落ちているアイテムを拾ったりする。と、突然、視界が開けたかと思うと、迷彩色の戦闘服を着た兵士の集団が現れた。
「っしゃあ!」
 元親は叫ぶ。ずっと視界に映っていた銃口から、無数の弾丸が発射される。血飛沫と共に短い悲鳴をあげ倒れる兵士たち。走り回り、物陰に隠れ、手榴弾を投げ、敵を倒していく。戦闘は数分とかからずに終了し、元親操る主人公は敵のキャンプを制圧した。弾薬や食料を奪い、テントに縛られていた味方を救出。
「よしよしよしよし!」
 元親はさらに奥地へと主人公を進めていく。
 主人公視点のシューティングゲーム。この作品は、戦闘シーンのリアルさに加え、容赦ない殺戮プレイが比較的簡単にできることなどで、多方面からの批判を浴びていたが、一方それこそがファンの人気を支えている要素だった。
 元親は論文執筆が行き詰まると、こうしてこのゲームで息抜きをするのがほとんど癖のようになっていた。画面の中で銃を打ちまくり、敵が次々倒れるのをみていると、不思議と思考がクリアになり、見失っていた筋道がくっきりと見えてくるのだ。温厚な若手研究者としての顔しか知らない大学の同僚や学生たちがみたら、目を丸くすることだろう。彼が筋金入りのゲーマーであることを知るものは少なかったから。特に隠しているつもりはないのだが、気がつくとそんな話をする機会はないままになっていた。
 まあ、特に喧伝するようなことでもないしな。
 なおも何組かの敵部隊を蹂躙し、血と硝煙の匂いすら漂ってきそうなリアルな画面に酔った後で、元親は不意に立ち上がった。
「そうか……そうか!」
 プレイ履歴をセーブするのももどかしく、元親はゲームの電源を落として書斎へと戻っていった。

 このとき書いた論文は、のちに世界中で話題となり、多くの平和団体の運動の思想的背景となった。のみならず、国際政治の世界にもそれは直接間接の影響を与え、紛争の絶えなかったこの世界に、奇跡のような「凪の二年間」をもたらすことになる。
 鳥玄坊元親は、この功績によって、ノーベル平和賞を受賞した。

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