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広告とネットミーム~俺が良くないと思った神ジューデンは何故好評だったのか~

 これはX、Youtubeにて公開されているsoftbank、『Xiaomi 13T Pro』の広告だ。
 本広告は明確に以下のネットミームをパロディした内容になっているのが特徴である。

 もっと正確に言えば「走るガンガーGB」が元ネタなのだが、広告の最後に吉澤亮が言及している「勝ち取りたい、神ジューデン」という台詞から止まらないオルガBBの方をリスペクトした内容であると思われる。
 ネットミームを取り扱った広告というのは数多いが、ネットミームを取り扱った広告は「スベっている」と冷笑される場合と、「公式ふざけんなw」と楽しく受け入れられる場合が極端に分かれる傾向がある。
 そして自分は広告を見るのが趣味なので、よほど変な広告でも基本的にはポジティブに広告を受け取る。だが今回の神ジューデンの広告に関しては「これは流石にダメなんじゃないか?」と思っていたし、大失敗だと思っていた。ところが、世間的には「公式ふざけんなw」寄りの評価が多かった。
 
これは自分もちょっと広告との向き合い方を考えなければならないという事で、神ジューデンの広告を契機にネットミームを広告に取り扱った例、そしてそれが上手くいっていそうな例と、ダメだった例を見返していこう、というのが今回のお題です。


・何故神ジューデンは良くないと考えたか?

 そもそも何故自分が神ジューデンの広告が良くないと考えたかを表明しておかないと話が進まないので、2点の問題を記載していく。

①昨年よりもネタの引っ張りどころがオタク寄りである

 神ジューデンを銘打ったスマホの広告としては『Xiaomi 12T Pro』が2022年12月~1月に投稿されていた。今にして思うと、元ネタとしては『Galti Se Mistake』のPVだと思われる。
 PVに含まれるダンスがどの音楽でも不思議と噛み合ってしまうという面白さを広告に抽出するという事もインターネットのネタを引っ張ってきた広告だと言えるが、こちらは比較的一般ウケするネタであるからそんなに違和感は無かった。実際に過去の自分の感想を引用しておきましょう。

 意外と広告まとめnoteでは初登場な気がするSoftbank。
 白戸家シリーズとか今更追い始めてもしょうがないよね~、という所で取り上げていなかった気がするんだけど、今回は突然インド映画のダンス広告を出してきたのでさすがに要チェックです。
 思えばネット上でのインド映画ダンスってそこそこ人気ジャンルであり、これを広告に採用してこなかった理由が分からないレベルの映像だと思いますよ。
 19分で広告完了というキャッチコピーに倣い、この広告も19秒で終わるのはすげえセンスだと思います。光の広告トップランカーの実力を感じる~。

 広告振り返り~2022年12月~ softbank | 広告を見るYAKISOBA 

 インド映画っぽいダンスはたくさんネタになっていたし、2022年は『RRR』の公開などインドブームが重なる時期だったので、正直ミームだと思わなかったのである。
 当時のインドダンスブームに乗っかったとも思えるくらいのネタ選定だった昨年に比べると今年の神ジューデンはインターネットのオタクに向けた広告である事は間違いない。そして昨年の広告を知っている身からすると、ずいぶん昨年よりも局所的なネタを取り扱ったなと引っ掛かりが生まれていたのだ。

②動画素材を配布するという行為に対して怒った

 個人的に2023年版神ジューデンの許せなかった一番の理由はここ。単にネットのネタを使うだけであれば最近の広告ではよくある事であるが、ブルーバック素材(以下BB素材)配布をネタにするのはやりすぎであると感じた。
 
素材配布がネタになっているのはしょうもない素材を音MADの最後に付記していて、そのどうでも良い素材に対して「助かる」と言っているのが面白い面が強かったのでないか。そこで比較的使えそうな素材を配り始めてもそれは本来の助かるとはニュアンスが離れている。
 もっと真面目な話をすればBB素材を作って配布すること自体が著作権や肖像権を侵害する行為であり、それを企業の広告がやって面白い、面白くないと評するのは権利的な問題があろう。もしこの素材配布の影響で吉澤亮や渡部陽一がオモチャにされて役者本人に実害が及んだとして、softbankはその被害を受け止めて頭を下げ、後始末をする覚悟があるのか?
 
個人がオモチャにするのと企業がオモチャにするのは全く意味合いが異なるし、それを広告でやるのは悪ノリが過ぎる。ネットのおもちゃにされて人生が狂った人間は数知れず、それを大企業の広告でやるのは集団リンチの扇動にすらなり得る。
 インターネットオタクの負の側面である要素を広告にする行為がどうしても許せなかった。

 一応メイキングではブルーバックでの切り抜きを行っていて、わざわざオレンジやグレーを背景にしたという事は簡単に切り抜かれないように少し工夫をしているのかもしれない。
 それでも切り抜こうと思えば切り抜けるのだし、何かあった後に「でも公式から素材配布してたじゃん」と言われた場合の対応をどうするかはお尋ねしたい所である。

・何故神ジューデンは好意的に受け入れられたのか?

 だが、結論としては2023年11月30日に神ジューデンの広告が公開されてから2日が経過した今になっても自分以外に問題に思っている人間はあまり見かけなかった。「最悪」「ネットのノリを持ち出すな」という定型文的な批判は見られたが、自分が思うほど神ジューデンは否定されなかった。
 ネットのノリを持ち出すな、という批判は①で掠っているだけであり、動画素材配布ですらも①の領域で終わっているように見えた。
 では、ここからは何故神ジューデンがインターネットに受け入れられたように見えたかを考えてみたい。

・ネタのテンプレに正しく沿っている

ニコニコ動画のコメントが流れるような広告の例

 人間はテンプレに正しく沿った物、言い換えればお決まりの流れを好む。逆に言えば、半端な乗っかり方をされた場合は「コイツ分かってねえな」という感想を抱き、それだけで悪評がついてしまう。
 
一時期多かったニコニコ動画っぽいコメントが流れる広告が嫌われる理由はそこで、とりあえず画面に「www」や「がんばれ!」みたいなコメントを流しておけばネットっぽいんでしょ? というようなナメた雰囲気が一番嫌われたのだ。
 その点softbankは走るガンガーを上手に真似ていて、かつ素材配布コーナーも原作再現、面白い動画のお決まりの流れとして捉えられた。つまり自分が悪だと感じていた素材配布はむしろ加点ポイントだったのである。
 素材配布のリプライ欄には「素材助かる」「ちょうど切らしてた」というテンプレコメントが並び、そのテンプレに沿う事によってイケているインターネット感が出るように大衆は思ったのだ。パロディをやるならば最後までやる、という基本は抑えていたのが勝因だった。

 ちなみに2023年に生まれたニコ動風広告の成功例としてカゲマスの広告にも触れておきたい。
 こちらはニコニコ動画でアニメの配信を行っていて、その内容を上手く抽出することによって再現度を高めている。これもまた形は違えど、テンプレに強く沿った広告だと言えるだろう。

・プレゼント企画をやった

 神ジューデンと検索してもすぐには悪評に辿り着かない。何故なら、フォロー、#神ジューデンとつけて引用ポスト、さらに感想を書かせることにより、好意的な感想をより多くインターネットに顕在化するようにしているからだ。
 これは2019年に前澤友作が行った「100人に100万円、総額1億円を配るお年玉企画」の影響が大きい。プレゼント企画に対して好意的なコメント、使い道を書き残すような流れを最初に作ったことによって、懸賞ツイートには好意的なコメントを残すという風習だけが残った。これにより、インターネットの懸賞広告にはポジティブな意見の割合が多くなる傾向が生まれたのだ。
 ひょっとしたら自分と同じように神ジューデンの広告に対して不快感を示したり、もっと細かく広告を見て分析をしている人もいたりする可能性はある。しかし金銭の前に人は無力であり、あっという間に風評は好意的な物で埋め尽くされてしまう。

・昔ほどネットのネタが恥ずかしいという雰囲気が無くなった

 2005年に『電車男』がドラマとして放映され、オタクという存在が世間に周知されてからもう18年が経った。それ以前はもっと気持ち悪い、人でなしとして扱われていたらしい「オタク」は、今やごく普通に街中を歩く人間にも含まれる一要素である。
 むしろ、未だにネットミームを広告に起用されて共感性羞恥を覚える方が古い人間であるという可能性も充分に検討すべきだ。こればかりは個人の意識の問題なので、いつまでもネットミームが出てきたら恥ずかしい、イヤだと思ったって良い。とはいえ、必要以上に嫌悪しすぎると今後の広告は全て見ていられない、恥ずかしい代物だらけになってしまう可能性がある。

 そういう意味では、日清の広告は賛否両論だ。西の人気論者があんな恥ずかしい広告は無いと言いそれに同調するオタクもいれば、東の人気論者があれほど原作をリスペクトした広告は無いと言えばそれに同調するオタクもいる。
 とはいえ、現代の広告において賛否両論な広告は優秀である。賛否両論であれば賛成の話題と批判の話題で二回話題が取れて商業的に成功する確率が高まるからだ。そしてネットミームを活用した広告とは、やり続ければその賛否両論を生み出しやすい。ネットのノリを公共の場に持ち出して「恥ずかしい」と思うオタクと「もっとやれ」と思うオタクの声の大きさは現代において大体一緒だからだ。
 そして日清は、既に「インターネットのノリを使った広告をやる」という立場を確立してしまっている。結果マジョリティ・オタクの内輪ノリに組み込まれた存在として、シンプルに拡散されやすい広告になった。
 とはいえ、もしも今から日清の立場を狙いたいと思う広告屋は覚悟しておいた方が良い。オタクは面倒臭い割に金を落とすかは不確かな生命体だし、時折見せる子供じみた感性は真っ当な大人を気取っていると見ていられないからだ。

・まとめ ~広告を見るYAKISOBAの評価~

 ここまでダラダラと神ジューデンの広告に対して否定的な事を書いたり、逆に良いように書いたりしたが、結局広告を見るYAKISOBAにとってこの広告は「好き」でも「嫌い」でも無く、「良くない」という評価に落ち着く。
 デジタル見世物小屋としての側面が強まっている現代インターネットにおいて、古くからの実在する素材をオモチャにする表現だった「素材化」という表現を広告に持ち込んだのは非常に危険だと感じた。現代人はわざわざ吉澤亮の素材でMAD動画を作らないかもしれないし、所詮は「素材提供助かる」という定番のコールの呼び水でしか無いかもしれない。とはいえ自分のようなオタクにとって実在する人物を素材にするというのは不幸を呼ぶ場合も多々あるリスキーな表現だというイメージが強い。

 とはいえその感性は古臭い杞憂であるとsoftbankは考えたし、現状は目論見通り健全なネタの一環でしか無い。そして広告は多くの人にとってはすぐに忘れられるような存在であるから、この記事は感性が古く、勝手に正義感を燃やしてしまった馬鹿者が勝手に心配し、良くないと思っているだけなのかもしれない。
 もしこのまま問題が無いようなら自分も素材化は問題の無い表現であるが、リスクがあると懸念する程度に認識を改めようと思う。このまま健全な表現ばかりが出てくるようなら、広告では動画の最後に素材配布をするのが定番になる可能性だってあるのだ。
 ネットミームはどこまで市民権を得ていくのか。今後もその動向を見ながら、何か気に食わない広告があれば一度自分の感性を顧みるのが今時の広告の楽しみ方だろう。

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