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下書き強制解放2020「もう死ぬまで食わなくていいかな」メモ。蟹/海老フライ/豚カツ/冷やし中華/餅/さつまいも/栗

下書き強制解放2020です。中途半端でも無理矢理完結。

惰性はよくないかな。なんとなく

と言うことで、もう食わなくていいかなと思うものを記録しておきます。


餅「圧倒的に食いたくないの王様」けど、食うとうまいジレンマ。


2度と食いたくない食べ物の代表格。

実際に食うとめちゃくちゃうまいというジレンマ。

とはいえ、そもそも食いたくないと思うわけだから食う必要はないよなと。改めて。


死人が出てるのに毎年食う風習みたいなものも謎だし。


ああ、そうか。冷やし中華もそうだ。


冷やし中華は始まらない


さっきのツイート完全否定だけどw

冷やし中華こそ二度と食わなくて良い。

まるで「中華がキンキンに冷えてやがるぜ」みたいな物言いからしてあれ。

甘いたまごみたいなのも嫌だし、なによりあの酸っぱいタレ。

別に食えないわけじゃないけど二度と食わなくていいなあれは。ゴマダレなら考えるけど。


ツイートでは食うとうまいって書いてるけど今はそんなことこれっぽっちも思わない。

そもそもせっかくの麺をなぜ冷たい状態で食うのか?という。どうせなら熱いラーメン食わせてくれよっていう。

この辺りは、夏だから冷たいものみたいなのがよくわからないって感覚が前提になってるかもだけど。

そばはたまには冷やしもいいけど断然熱いやつ。炎天下に外で熱々のそば食いたい。懐かしいな富貴の持ち帰り。


蟹「どう見ても虫」もはや怪異


食わなくていいかな。というよりは食いたくないものだけど。年々「巨大な昆虫」としか思えなくなってきてもう無理。



茹でる前の色も怖いし、茹でて赤くなればまあ見られる。

そんな時代もあったね。と、

もはや赤い=釜茹で拷問の証。

茹でるときに暴れてる姿とかもう恐ろしすぎる。むしろ「なんで赤くなるんだよ。。。こわい・・・」って言う。


カニはもう目で見るのも嫌に。 絵文字の🦀見るだけでもちょっとゾワッとする様になってしまった。

今思えば、昔から少なからずそういう思いは持っていた。ただし、実際に食べる段階では原型をとどめていない場合も多いのでまあ食ってきた。


だけど、今となっては、

バラバラに分解した虫の足

巨大な虫の中身をほじくり返して食べている

そんなイメージが付き纏って、もう圧倒的に無理。


たとえば、蟹サイズクワガタとかカブトムシを食うだろうか?食わないだろう。茹でて、足をへし折って、チューチューやって。恐ろしすぎる・・・


食おうと思って食えない事は無いし、うまいと思う瞬間もあるとは思うけど。

まあ、わざわざ食わなくて良いよなと。


他にもそういう人いるかなって調べたら結構いそう。そりゃそうか。



いずれ昆虫食とか来るんだろうけどちょっと無理だな・・・どうしよう


追記。エビやカニ、甲殻類にも痛覚・・・?



海老フライ「なんとなくどうでも良い」し、「圧倒的連想力と感受性」がもたらす吐き気

蟹同様に見た目の問題も。

こちらに関しては元々「殻を剥いたエビチリなんかも虫に思えてなんとなく嫌だなー」と思う瞬間はあった。天敵「カマドウマ」の胴体を連想してしまって震える・・・


子供の頃は感受性が強いと言うか、連想力に長けていると言うか、長ネギを食べていると、ふと「バッタの羽」を連想。

急に吐き気をもよおすなんて事がよくあった。


キュウリなんかもバッタやクワガタに餌としてあげるみたいなイメージからか、食べていると急に昆虫と同化。

俺はバッタ。

空虚なまなざしでキュウリにかぶりつくバッタは自分。

気づくとキュウリとバッタの立場が反転。

なんというか自分がキュウリになって、バッタを吸っている、バッタの体液を吸い上げている。

キュウリのみずみずしさがバッタのジュルジュル液・・・みたいな気分になり吐きそうになることがしばしば。


いつからかそういった時に「意識を逸らす」「意識の照準を外す習慣」がついて、ある程度制御できる様にはなったけど。

余談。この「意識の焦点外し」でタバコを止めました(なかったことにしました)

✅ 59:38 タバコを吸わなくなったら体がおかしくなった話
・起きると決まって喉が痛い。毎日痛い。
・頻繁に喉をムカデが上ってくる
・「止める」という意識は、タバコに圧倒的に釘付け。
・見ないとなく見ない。(見るとなく見るの裏返し)
 ・立体視の見えないあそこに向ける。意識の照準を外す
・なかったことにする


話を戻すと、

なんにせよ、それでも、エビ自体は味的に好きなので今まで食ってきたわけだけど、最近は海老フライがすごくどうでも良いものに思えて仕方ない。

まずいという訳ではなく食わなくていいよなーと言う感じ。後述の栗とかといっしょかも。


天ぷらにおいても海老はいらない。

海老入れるくらいならナスとかピーマンとか椎茸とかをその分入れて欲しい。

エビのコスト分のピーマンとかに変えてほしい


サツマイモと栗「しみじみと 食いたくない」トチの実を知ってからの栗の鳥肌感


普通に食えるけど「ああ、パサパサしてまずいなー」と。しっとりしてる場合もあるけど、せめてチーズ蒸しパン程度にはしっとり感がほしい。

具体的に言うと、蒸したさつまいもが嫌いだ。

不思議と焼き芋は良い。けどふかしたさつまいもがすごく嫌いだ。

栗は、しっとりタイプはまだ食える。けど、出来る限り食いたくない。まずいとかではなく「食う必要がない」みたいな言い方がしっくり来そう。


栗もよくよく考えると見た目的にも抵抗を感じてきた。イガイガの中からツルッとした感じで現れて。恐い🌰

栗自体にもともと恐怖はかんじてなかったんだけど、先日「トチの実」という存在を知り、栗に対しても恐怖の意識が伝播。

もちろん名称くらいは聞いたことはあるし、そういうものが存在しているのも把握はしていたけど、リアルにその物体を目にしたことがなかったのか、直結してなかったのか。


球体の中に埋没するツルッとした実。

ぎゅっと丸め込まれたかのような腹カバー。抗いようのない圧倒的な力で、もともとの形状を無理やり握りつぶされ、突起部分が内部にめりこんでしまったんじゃないかみたいな・・・おそろしい。それを見てから栗も怖くなった。


栗は、トチの実と比べてやけに鋭い印象を受けるようになった。必要以上に。あまりに鋭い。

頭のとんがりだろうか。おぼっちゃまくんのあれの部分。あの先端がすごく鋭利に思える。

そして、側面、つなぎ目というか、あのライン。トチの実のせいで可視化してしまった何とも言えない恐怖。

なぜあんなに鋭いんだろう・・・



とんかつ「紙を食ってると錯覚」、ヒレカツ「レバーの系譜」


いつからかあまり好きじゃなくなった。

昔はとんかつ大好きだし、カルビかロースか?というと圧倒的にロース派。むしろカルビみたいな方向の肉は食えなかった。


ところが、ある時から反転し、とくに豚カツは何というか「紙を食ってる」様な気分になる。

うまいと思う瞬間もあるけど、ある時しみじみと「ああ、まずいなー」と思ったことがあったので、もう食わなくて良いんじゃないかと。


安い店の豚カツだからとかそう言う訳でもなく、高かろうがまずいなーと思う時もある。

元々ヒレカツが嫌いなので、良い肉になる程どちらかというとその傾向出てくると思うし、それはそれで無理。


ヒレカツのあのヌルッとした感じは見た目的にも嫌だし、味的にも「血の気配」漂い、紛れもない「レバーの系譜」感をかんじる。

豚カツなら紙の感じがしてまずいとは思ってもまだ食えるけど、ヒレカツはかなりのレベルで「意識の照準を外しながら」じゃないと無理かも。


この感覚が過敏になってきたのか、最近はスーパーで売ってるごく普通の豚ロースを食うのもちょっと抵抗を感じてきた。

がっつり味付けして食うならだいじょうぶだけど。生姜焼きとか。


まあなんにせよ豚バラだな。圧倒的に豚バラ。豚バラだけでもう良い。

他の項目とのかね合い考えると豚「バラ」って響きがいかにもバラバラ死体を連想させる感じで気持ち悪くなりそうなものだけど、今のところそういう感じにはなっていない。

いずれ、豚バラも食えなくなるんだろうか。悲しいなー



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