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画像は去年の桜。この記事の内容は私の愚痴です。

世間は感染で騒がしいですが、強い言葉を持って何も言いたくないし、何も聞きたくなんかなかった。それでも頭にくるものは頭にくるので、ここで失礼します。twitterだと字数制限がある、中途半端な意見で足をとられる、正論で殴って来る、気を遣って慰めにくる、そんなこともあるもんですから気になって書けないというのが実際でして、
だからあまり邪魔されないこの場所で私は愚痴を書こうと思います。

看護師になるには「ナイチンゲール誓詞」というものを暗唱し、それに努めなければなりません。これはあまり知られていないのではないでしょうか。

「戴帽式」はご存知でしょうね。天使を模したナイチンゲールの像を前に並んで、ろうそくの火だけの灯りの前でナースキャップを受け取る、そういう儀式です。

前述の「ナイチンゲール誓詞」は以下の物。

【ナイチンゲール誓詞】
われはここに集いたる人々の前に厳(おごそ)かに神に誓わんーーー
わが生涯を清く過ごし、わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを。
われはすべて毒あるもの、害あるものを絶(た)ち、
悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。
われはわが力の限りわが任務の標準(しるし)を高くせんことを努(つと)むべし。
わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事(しじ)のすべて、
わが知り得たる一家の内事(ないじ)のすべて、われは人に洩(も)らさざるべし。
われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧(ささ)げん。

清く正しく、看護のために身を賭せ。そう言われているように私は感じています。何故今、この現状でこの話をしているのか?

簡単な話、医療崩壊云々から潜在看護師を呼び戻せ、という話が簡単に持ち上がったり、
極端な話、「横柄な人に看護をしたくない」という声に、正論で殴りつけるツイートが目に入ってきたり、
「医療現場で働く母親が子供を保育園に迎えに行ったら、子どもが隔離されている」内容のツイートを目にしたり、
「お前は看護師だろう、看護師は外に出るな」などと罵倒されたなどという、協会からの通達が発表されていたり、

観るに堪えない現状だと感じているのもあります。とは言え私が勤務しているのは過疎地の400床程度の老人病院です。最前線ではないので、同じ立場で物を言う権利はないのかもしれませんが、「医療従事者」として腹が立ったので、失礼します。

そもそも「看護師なんだから看護して当たり前」と言われるかもしれませんが、看護師の前に私たちも人間だということを、皆さんはお忘れかもしれません。病院に縁が無い方は私たちの実際の業務を知らないでしょうし、入院日数が減少されてからは日常的な姿なんて知らないでしょう。

「生きている人間として死を身近に感じて焦燥感に苛まれている」のでしょうが、どうか落ち着いてください。
そもそも死は身近なものなんですよ。生きているんだから。

そうは言ってもだからなんだと思うでしょう。看護師も人間だと分かっているとおっしゃる方はおられるでしょう。
でもどうやら世間の一定数は「女は怒鳴っていい相手」「看護師はどんな相手でも世話して当然」、そう振舞われる方は多いようです。よく見かけるでしょう? コンビニやファミレスで店員を怒鳴り散らしたり土下座を強要する方を。臨床現場でも同じです。最近は薬局の店員も加わっているようですが。

私も今年で免許取得から10年以上という立場になってしまいました。でも、ベッドサイドから見える景色は、今も何一つ変わりません。

ああ、マスクをしていても怒られなくなったことでしょうか。病院自体が感染予防に平時から厳しくなったのはありがたいですね。

ベッドサイドで患者家族から質問攻めに遭い、非難されたり叱責されることがあったり、
仕事に関係のないスタッフの個人情報を根掘り葉掘り聞かれて時間を要したり、
患者からのスタッフいじめに遭って精神を病んだり、(スタッフからのいじめならまだ理解できますし真に受けることも少ないんですが、これが患者様相手だと堪えます)
これはまだ許せますが、認知症の患者様に殴られたり引っ掻かれたり、痛い思いをすること。
(ご本人にとって怖いことをしている自覚はありますが、清潔行為や治療に関することはやらなければなりません、たとえ痛くても。抱きかかえているときにも被害に遭うことはあるので、患者様を落とすことはできない。実際にこの被害は私たちはよっぽどのことがないと報告に上げませんし集計されていません。報道もされませんしね)
(でもこの「認知症患者さんの防御による抵抗」は許せます。それが彼らの抵抗手段なんだから、ゆるせる範囲ではあります)

上記に関しては平時からよくあることなので、気にも留めていません。でも今は違います。

簡単な話、医療崩壊云々から潜在看護師を呼び戻せ、という話が簡単に持ち上がったり、
極端な話、「横柄な人に看護をしたくない」という声に、正論で殴りつけるツイートが目に入ってきたり、
「医療現場で働く母親が子供を保育園に迎えに行ったら、子どもが隔離されている」内容のツイートを目にしたり、
「お前は看護師だろう、看護師は外に出るな」などと罵倒されたなどという、協会からの通達が発表されていたり、

冒頭で説明した事例がまかり通るのが、一番困る。今の現状は災害だと認識しています。命の重さが見えて当然の状況だと思います。
だから必死になるのもうなずけます。

けれど、どうか忘れないでいただきたい。

看護師だって人間で、家族があって、大事な守りたい場所や人が居ること。あなたがたが必死になって守りたいものと同等の大事なものを持っていること。
臨床に出ているんだからいつか最前線になる可能性もある。その時はどうするか、覚悟は決めていても他人に強要される謂れはない。
苦悩や苛立ちくらいは、ゆるしてほしいとは思います。

それからどうか「それくらい当然、体調管理も仕事、そんなことわかって仕事してんだろ」なんていう言葉を、顔が見えないからとSNSで簡単に投げつけるのはやめていただけますか。
あなたはひとりで生まれて生きて、そうやって言葉を投げつけていらっしゃるんでしょうか。そう思わずにはいられないくらいには、苛立ってしまいます。


(ついでに、ウイルス感染者を悪もしくは敵と認識なさる方もたくさんいらっしゃるようですが、覚えておいてください。ウイルスは目に見えませんし、今回のあれの潜伏期間は14日とされています。明日は我が身ですよ)
(どんな病気も感染症も、良いも悪いもない。どれも同じように病気です。好きで病気になる人は居ません。確かに軽視していたにしてもです)

死は生きる者にとって平等です。病も同じ。



さて、ここまで愚痴を話してきましたが、看護師になりたての私だったら、

自己犠牲を払ってでも従事しなきゃ

なんて思っていたんでしょうが、それは10年も前のお話。どれだけ自己犠牲的精神で仕事をしても、擦り減ってしまっても、精神を病んで体を壊しても、
今の現状、誰も己を守ってはくれません。病院が人生を守ってくれるなんてことはありません。だから、己と己の大事なものを守るのは自分自身となるわけです。

今までたくさんの傷を受けたり、叱責されたり、ハラスメントを受けたりしてきましたが、
(まあ、たくさんの看護師は経験していると思いますけど)

どうしてこの職業を続けているのかと言われたら、私が好きだからです。人の看護をするのが。それだけに尽きます。

私だって何回「こんな相手に看護したくない」と思ったかわかりません。
「こんな場所で看護なんてできない」「看護師を辞めるか死ぬかどっちかだな」
そんな風に考えたのは一回や二回ではありません。
それでも仕事を続けるのは、それ相応の意味があるからです。

私は「ありがとう」と言われるのが好きです。本当にそれだけです。相手に意識がなくても、認知症でも。
苦労は3割減します。ありがたいことに。

どれだけ大変でも、結局は看取っても、多分それだけの理由で私はこの場に居るんだと思います。


創作とは全く関係のない仕事の愚痴で申し訳ない。
これが今の私の現状で、いっぱいいっぱいの原因です。
先月異動となり、部署が変わってしまってその変化も大きいのですが、それと騒動が合わさって
結構精神的にキテいるようです。お恥ずかしいことに。

誰が悪いわけでもない、悪者も正義もない。これは災害で、全員が忘れてはならないことでもあります。
環境が大きく変わった方もおられるでしょう。価値観が変わった方も多いでしょう。

それでも前を向きたいと個人的に願うのは、必ず収束するからです。様々な感染症が今まで人類に降り注いできましたが、

人間は、時間はかかっても、犠牲者が出ても、収束してきたんです。
だから、私は前を向こうと思います。

マスメディアが見せるのは真実の一部分でしかありません。誘導されたり切り取られたりして、さんざんな情報がほとんどです。

何に耳を貸して、何の情報を真実とするかは、今私たちは試されているんだろうなあと思っています。

明日はその数が増えているかもしれません。
どこかで何かが崩壊しているかもしれません。

一日でも早く日常が戻ってくることを願って。

栄養剤をぶっ差してやってくださいませ(´・ω・`) ナニモノにもなれないようなナニモノにかはなれたような、不完全で不器用な人間のはず。良かったら戯れてやってくださいませー!