誡太子書から見る教育の神髄

今上天皇が皇太子殿下の時に、会見などでたびたび触れられていた「誡太子書」について。

この書物は花園院が皇太子・量仁親王(後の北朝初代・光厳天皇)に対して送ったもので、皇太子として、そして後に天皇になる宿命にある親王の姿勢、皇位を継承する者の務めとして大変厳しい口調で親王をこう諭されています。ブログから引用します。

しかし、太子はお付きの人に育てられて民の苦しみを知らない。いつでもきらびやかな服を着て、服を縫う人の苦労を知らない。毎日ご馳走を飽きるほど食べて、働いてお金を稼ぐことの大変さを知らない。太子はまだ国家に対してなんの貢献もしていないし、民に全く恩恵を及ぼしたりしてはいない。ただ単に祖先から受け継いだ位だからというだけで、国の全てを司る重大なる職に就任したいと願っている。人徳もないのに諸侯の助けが得られると思いこみ、功労もないというのに庶民の上に立つ、全く恥ずかしいことだとは思はないのか。

実際、量仁親王がそのような無能な皇太子だったというわけではなく、後に南北朝時代の激しい時代の激流に翻弄され、後醍醐天皇が元弘の変で挙兵されたときに足利尊氏の推戴により皇位に就かれましたが、僅か2年で後醍醐天皇によって廃位させられます。その後南北朝の争乱の中にあって各地を転々とすることを余儀なくされます。

しかし天皇はその運命を決して恨むことなく、民のためにひたすら祈る生活に入り、出家されます。

光厳天皇に限らず、歴代の天皇は御自らの行動を戒められ、民の幸福を祈り、国の安寧を祈られました。時代が下って、令和の御代に即位された今上天皇がこの「誡太子書」に大いに感銘を受けたのは、皇位にあるものの務めは何か、ということを常に考えておられたということではないかと思います。

さて、この「誡太子書」を、立場を変えて、私自身に置き換えて考えてみます。

私は民間企業で20数年勤めあげてきました。ある程度社会的常識を知っているつもりですし、社会人としての務めを果たしてきたつもりです。しかし、本当にそう言えるか。そしてこれから教師になるというのに、本当にすべてを知っている、身についている、その役割を全うできると思っているのかと問うたときに即答できるかというと、正直自信がありません。

「世間知らず、裸の王様、井蛙」などと言われないか。知ったつもりになってもいけない。かといって知らないままでいいはずもない。「誡太子書」に従って教師としての立場から考えると、

しかし、お前は教員採用試験に合格して安定した地位につくことができたとしても、子供たちや保護者の苦しみを知らない。いつでも一張羅のいい服を着て、服を縫う人の苦労を知らない。毎日当たり前のように給食を食べて、給食を作る人の苦労を知らない。教育に携われたとして、子供がどのように成長していくのか、どう成長させたいのかという教育技術を枝葉の知識だけに頼って幹となる部分を十分に育てる大切さを知らない。お前はまだ国家に対して、子供や保護者、地域の人たちに対してなんの貢献もしていないし、その人らに全く恩恵を及ぼしたりしてはいない。ただ単に試験に合格したからというだけで、教育の全てを司る重大なる職に就任したいと願っている。人徳もないのにいろいろな人の助けが得られると思いこみ、功労もないというのに子供や保護者の目の前に立つ、全く恥ずかしいことだとは思わないのか。

(「誡太子書」の皇太子にあてた部分を教育者の立場・視点で書き換えてみました)

いかがでしょうか。教員採用試験に合格して採用されたあとは、一生(特に重大な事件等を引き起こさない限り)その地位は保障されるわけです。教員の仕事云々はここでは詳細には述べませんが、教員という地位にある者は少なくとも教育者としての矜持、任務、責任が多様に備わっているという点はこの「誡太子書」に書かれていることと似通っているのではないかと思います。

天皇陛下であれ、内閣総理大臣であれ、教師であれ、それぞれある特殊な地位に就いた者はおしなべて「ノーブレスオーブリージュ(高貴なるものの義務・務め)」を持つべきで、目の前のやるべきことだけをやればいいというものではないと思います。

そのためにはかなり努力をし、「学び続ける教師」であらねばならないし、公人としての自覚を持つべきだと思います。

誡太子書、原文は難しすぎて読みづらいですが、言わんとすることは今上天皇のご会見などから容易に推測できます。そのお言葉を心して拝聴し、これからの生き方在り方に活かしていきたいと思います。


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