代を受け継ぐということ

本日、秋篠宮皇嗣殿下が「皇太子」の地位に相応する「皇嗣」という立場に正式にお成りになる「立皇嗣礼宣明の儀」が行われます。

この儀式によって、御代替わりに伴う一連の行事がすべて終了し、「代替わり」が完了することになります。

当初今年の4月に予定されていましたが、コロナの影響で延期になり、本日行われることになりましたが、恙なく行事が執り行われることを祈念してやみません。

さて、昨年(令和元年)の天皇陛下の践祚・即位から1年経ちましたが、「代を受け継ぐこと」について、改めて自分の立場に置き換えて考えてみました。

私は家の長男としてこの世に生を受けました。古いしきたりの残る家柄なので、長男=代を継ぐことと教えられて育ちました。それ故、長男としての責任の重さを幼い頃より他の弟たちよりも感じていました。当然教育方法も私と弟たちとでは全く違っていたのを感じていました。正直、「なんで僕だけ厳しいんだろう。なんで弟たちには甘いんだろう。僕は何も悪いことしていないのに何で怒られなければいけないんだろう」とずっと抱えていました。

その理不尽さから反発心も当然ありましたが、ある時それは私に課せられた「宿命」であるということに気付かされます。父親の死です。

皇室と比較するのも畏れ多いですが、私の家も祭祀にまつわるものは代々長男が引き継ぐものとされてきました。父の死で、葬儀も当時まだ未成年だった私が喪主代行(喪主は母親でしたが、実質私が執り行う立場になりました)し、恙なく父を葬送しました。

そこから、私は祭祀のすべてを母と相談しながら、一周忌、三回忌・・・と執り行うようになり、仏壇を引き継ぐことになります。

それから20年、その母も亡くなり、すべての祭祀を一人執り行うことになりました。皇室のように家宝とするものを引き継ぐものはありませんが、実家にあったほとんどすべての、両親が残した財産を私が引き継ぐことになりました。

仏壇も実家にあったものを私の自宅に移し、毎日朝夕、両親と先祖に拝礼します。

そこでふと思いました。「代を受け継ぐ」というのは、単に物を引き継ぐだけではない、ということです。両親から、あるいはその両親、その両親・・・営々と続いてきた御先祖様の魂を引き継ぐことだと気がつきました。

ある方が、「代を受け継ぐ」ということは「先祖の御霊を私(自分)の中に引き込み、自分が親になるということだ」と言っておられました。○○家に代々継承されてきたものは物だけではなく、さまざまな因縁、ご縁、宿命、役割などといったものもすべて「代替わり」することによって自分の中に取り込まれて次世代に引き継いでいくものなのだということに気付かされたのです。

皇室の場合は、それが三種の神器であったり、皇太子の御印である「壺切御剣」である他、皇室が皇室であるゆえんである伝統と文化、皇室の果たすべき役割、理念、日本国の建国から続く天皇の「御魂」(役割とか理念とか天皇が天皇たらしめるものを総称してそう表現します)を天皇陛下が上皇陛下から引き継がれたのであり、皇太子の御印である「壺切御剣」も天皇陛下から皇嗣殿下に「次を頼む」という意志を伝えることだと思います。

ただ、陰陽五行論では、自分の先天的な宿命で「家系を終わらせる」役割を持つ人もいて、実は私がその役割を持っているようです。その役割をまっとうするような生き方在り方をすれば自分の運命は開花するもの、と言われますが、必ずそうしなさいというわけではなく、改良方法はいくらでもあるというのが陰陽五行の考え方です。詳細はここでは触れませんが、「代を受け継ぐ」というのは実はとてつもなく重大で重要なことなのだと、立皇嗣礼宣明の儀の日を迎えて考えました。

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