短編【嗤う者】小説
単なる空耳だと思っていたのに、これでは幻聴だ。
『…オノ……………』
夜になると聴こえてくる。
殺人事件の報道をテレビで見ると、ときおり被害者の顔写真と名前と年齢が画面に映し出される。
俺はそれを見る度に、知人の顔がそこに有ったらどういう気持ちになるのだろうと思っていた。
「……会社員、遠藤弥一郎(38)さんが胸を刺され、自宅の寝室で発見されました。先月起こった御津市の事件と手口が似ている為、同一犯の犯行とみて警察は…」
遠藤弥一郎さん(38)。
俺は遠藤の顔写真が映っているテレビ画面を呆然と見ていた。
遠藤が、殺された…。
遠藤は嫌な男だった。
アイツは俺の直属の上司で、よく一緒に営業で外回りをした。
最新型コピー機『PXV-Ⅰ850シリーズ』のカタログを持って市内の会社、事務所を二人で回った。
コピー機の説明をするのは俺の役目で、薦めるのが遠藤の役回りだった。
遠藤は嫌な男だった。
軽い口調と柔和な笑顔で接客しておきながら、その場を離れるとさっきまで親しげに商談をしていた者の悪口を真っ先に言う。
「あの男、ありゃあ出世しないな。声に覇気がない。受け答えもバカ丸出しだったしな。低学歴の部落出身者だぜ」
最低な男だ。
特にけなす所が見つからなければ、決まって、
「アイツにはオーラが無い」
と言った。
遠藤は嫌な男だった。
奴は時々、俺を呑みに誘った。
一度呑みに行った時、もう二度と奴とは行かないと思った。
遠藤の話しは始終悪口に尽きた。
社の内外を問わず、遠藤は罵り続けた。
きっと俺の居ない所で俺の影口を叩いているに違いない。
何度か誘いを断ってはいたが、いつまでも断り続ける事も出来い。
最後に呑んだときに、遠藤はポツリとこんな事を言った。
「最近、耳がおかしいんだよ」
「病院に行ったらいいんじゃないですか?」
『……オノ…………ナ………』
夜になると聴こえる幻聴は日に日に明瞭になっていく。
俺は一日中アパートに篭り布団の中で耳を塞いだ。
『……オノ…………ナ…タ…』
今日で会社を休んで2日目だ。
その郵便物が届いていたのは日曜日だった。
インスタント食料を買いに近くのコンビニへ行き、戻ってくるとドアの下に小筒が置かれていた。
手のひら二つ分の大きさの小包だった。
差出人は不明だが受取人の欄に、几帳面な字で『佐山克人様』と俺の名が書かれていた。
藁の人形と太い釘。
細長い和紙と細い竹筆。
小ぶりの硯と少量の墨が入った小瓶。
俺は小包に入っていた物を取り出した。
説明書らしき物は入っては居なかったが、それが何に使う物なのかは見当がついた。
こういう冗談は嫌いではない。
俺は面白半分に竹筆に墨をつけ和紙にあの男の名前を書いて釘を打ち付けた。
作法は分からないが、してはいけない事をしている気分だった。
悪い気分では無かった。
『ヒ…オノ…………ナ…タ…』
日に日に明瞭になってゆく幻聴はどこかで聞いたことがある様な声だった。
『ヒ…オノ…ワ……ナ…タ…』
その声は俺の耳の傍で聞こえる。すぐ傍で…。
『ヒ…オノ…ワバ…ナ…タ…』
遠藤弥一郎が死んだのは、俺がアイツの名前と共に藁の人形に釘を打ち込んだ翌日だった。
テレビを見ていた俺は遠藤が殺された事を知り、ゴミ箱に捨てた藁の人形を拾った。
藁の人形が嗤っていた。
幻聴が頭の中に染み入る。
『ヒ…オノ…ワバ…ナフタ…』
『ヒ…オノ…ワバ…ナフタツ』
『ヒ…オノロワ…アナフタツ』
俺の耳元で、死んだ遠藤弥一郎の声がはっきりと響いた。
『人を呪わば穴二つ!!』
「手口は一緒ですね」
「ああ」
胸から血を流して死んでいる佐山克人の死体を見下ろして、若い山田が初老の阿久津に言った。
「カルト団体…ですかね」
「ん?」
「あの藁人形」
「ああ。…それも視野に入れて捜査したほうがいいな。」
「マスコミには」
「まだ伏せとけ」
「はい」
これで凶器の無い殺人事件は三件目だった。
共通点は、死因が鋭利な刃物による胸部裂傷である事と、殺人現場に残された藁人形だった。
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