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短編【宇宙からの指令】小説

宇宙から飛来した電気質の生命体は成層圏で小規模の爆破を起こし膨大な数の素粒子となり地上へ降り注いだのだが、その大部分は大気に蒸発吸収され生き残った素粒子のみが大地に到達して生涯を終えた。

地上へ到達することの出来た素粒子のうちの過半数に満たない幾つかの素粒子は、好運にも生物の体内を通過することが出来たのだが肝心な宿主部位を射抜くことはなく、そのまま通過して地上に落ち、やはり絶命した。

宿主部位に上手く辿り着く僥倖を勝ち得たのは、わずか十二粒の素粒子だった。

ある素粒子は太平洋に。
ある素粒子はカザフスタンに。
ある素粒子はラオスに。
ある素粒子はウルグアイに。
そして、ある素粒子は日本に……。

数千億もの素粒子の粒の中で、わずか十二粒だけが宿主部位である扁桃体に喰らいつくことが出来たのだ。

約三億個の精子の中から、たった一個が卵子に着床し生命が誕生するよりも遥かに厳しい確率である。

哺乳動物の扁桃体に到達した、その電気質の生命体は扁桃体の深部に到達するやいなや電気信号を発火させ扁桃体のニューロンを変容させる。

変容したニューロンは周辺のグリア細胞を吸収して小さな核をつくる。
そうして扁桃体に鎮座した核は海馬や小脳、中脳、大脳辺縁系に悪魔の電気信号を送信し記憶の断片をかき集めて前頭葉領域から指揮権を奪う。

コノモノハナニモノナノカ。

扁桃体の核は、この個体の74年にわたる膨大な記憶を集計を始める。
本体が忘れている深層心理の奥底に沈んでいる記憶もすべて。

「…こうしてカタツムリに寄生したロイコクロリディウムは一体なにをするのでしょうか?なんと寄生されたカタツムリは明るい葉っぱの上に出てきてしまいました。こんな所にいたら、お腹をすかせた鳥に見つかってしまいます。実はロイコクロリディウムはカタツムリの脳を操って…」

志島しじま佳代かよはNHKの番組、サイエンスZEROの寄生虫特集を見ている。

テレビを見ながら佳代かよは体調に違和感を感じていた。
番組の内容が全然頭に入ってこない。
動悸が激しくなっている。
首から上が熱っているのに手先が冷たくなっている。
そして、焦燥感と不安感。

どうしたんだろう。
更年期障害が再発したのだろうか。
もう74歳だというのに。
とっくに終わったと思っていたのに。

手のひらを心臓部分に当てて必死に落ち着こうする佳代かよを、飼い猫のロシアンブルーが不思議そうに見ている。

ああ、チャコちゃん。
私、どうしたんだろう。
居ても立っても居られない。
走り出したい衝動。

でも、佳代かよはこの場から動くことは出来なかった。
なぜなら佳代かよの両足は膝下から欠損していたからだ。
佳代かよは車椅子に座っている。
30年前、トラックに轢かれ両足を失うという大事故に遭ったのだ。

ああ!苛々する!どうしたんだろう!何に怒っているの?

佳代かよはテーブルの上にあるテレビのリモコンを壁に投げつける。
破損音と共に砕けるリモコン。
ロシアンブルーは、その音に飛び跳ねて逃げる。

佳代かよは自分の中に芽生えた理由なき殺意に恐怖する。
まず先に殺意があって、あとから原因を探している感覚。

あのとき、トラックに撥ねられていなければ!
結婚をして子供が出来て可愛い孫もできて今頃は!今頃は!
どうして今頃、そんなことを。
もう過去のことじゃない。
過去のことなんかじゃない!
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!

助けて!チャコちゃん!私が消えてゆく!
私が私じゃなくなってゆく。
おかしい!私の頭の中に何かがいる………。


「こんにちはー」
訪問看護師の井上いのうえ巴菜江はなえ志島しじま佳代かよの家を訪れたのは正午を過ぎた頃だった。
入浴介助サービスが始まるのは午前十時からだけど井上いのうえはだいぶ遅刻してきた。

「ごめんなさい、志島さん。前の現場が押しちゃって」
「いいのよ、いいのよ」

童話作家の志島しじま佳代かよとお喋りをするのが井上いのうえ巴菜江はなえは好きだったが、今日はそんな時間はない。
井上いのうえは急いで準備にとりかかる。


「今日もよろしくお願いします、志島さん。」
「こちらこそ、お願いしますね」

志島しじま佳代かよは穏やかな笑顔で答える。
両足が不自由な志島しじま佳代かよは週に三回の入浴介助サービスを受けている。

「それじゃ、ちょっと荷物を置いてきますね」
「はいはい、あ、冷蔵庫の中にあなたの好きなレモンジュースがあるから、勝手に飲んでね」
「えへへ。いつも、ありがとうございます」

そう言って井上いのうえは介助道具を浴室へと持っていった。

その後ろ姿を志島しじま佳代かよが、いつの間にかビー玉の様に生気を失った目で見ている。

ロシアンブルーのチャコだけが、その異変に気付いていた。

人の正気を奪う謎の素粒子が宇宙空間に存在するという事を、人類は未だ知らない…。




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