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短編【アレをみる】小説


走っている。私は走っている。乱れた呼吸の音が聞こえる。私は何かを捜している。

ラーメン屋の裏の人気の無い路地の奥でそれを見つける。油でぎとぎとになった木材の隙間にそれはいた。

子猫だ。

子猫が私に向かって威嚇の小さな牙を剥く。私はその子猫の憎たらしい顔を見ると、ますます残忍な気持ちになって……。


午前四時。

びくんと軽く痙攣をして目が覚めた。まただ。またあの夢をみた。起きた直前は夢の映像を鮮明に覚えているのに夢の記憶は数分で真夏の薄雲のように消えてしまう。ただ、猫になにか酷いことをしたという罪悪感だけが残っている。

いつから悪夢を見るようになったのだろう。初めは、ひと月に一度のペースだった。それでも多いほうだと思っていた。それが週に一度は見るようになった。

そして、ここ数日、毎日見るようになった。まったく同じ夢を。正確にいえば、まったく同じ夢だという感覚を。夢の記憶が消えた後に残っているのは猫の姿と残忍な感情だけ。

夢の中の私は猫に何をしたのだろう。


捜している。私は捜している。そうとう遠くまで来たのか足腰が疲れている。それでも私は捜している。そしてついに一匹の猫を見つけて私は後ろからそっと……。

午前四時。

また、あの夢を見た。ただ場面が違っていた。どこがどう違っていたのかは思い出せない。だけど、猫を執拗に捜していたという感覚だけは残っている。


そのニュースを知ったのはテレビだった。猫の大量の死体が発見されたと朝のモーニングショーのナレーションが物々しく報じている。

猫の死体は河川敷の橋のたもとで発見されたという。ナレーションはその場所も克明に告げていた。私はプレーンヨーグルトを口に運ぶ手を止めて、その報道に見入った。そして、その手が小さく震え出した。

その河川敷は私が講師として務める珠算塾の目と鼻の先にあった。心臓が鈍く潰れてゆく。

私が、私がやったのか。あの悪夢は、ただの夢ではなかったのか。


忍び寄る。私は忍び寄る。人気の無い公園。寂れた公衆トイレ。私は、ゆっくりと足を忍ばせて公衆トイレの入口に立つ。猫をトイレに追い詰めた。絶対に逃しはしない。

逃げ場な無い場所に追い込んだ猫を深追いしてはいけない。そんな事をしたら猫は素早く脇をすり抜けて逃げてしまう。

出てくるのを待つんだ。

時間が経てば猫は警戒しながら、ゆっくりと入口から顔を出す。その時。タイミングを合わせて。
真横から素早く!

猫は驚くと一瞬止まる。絶対に止まる。その瞬間が逃すか捉えるかの境目だ。

私は捕まえた猫をずた袋に入れる。そして手を洗うために手洗い場に立ち、そこに取り付けられた鏡を見る。

水垢で汚れた鏡に映っていた顔は八歳ほどの少年の顔だった。私の顔じゃない。この少年を私は知っている。たしか珠算塾の女生徒の……弟の……。

午前四時。

目覚めた私は興奮していた。私じゃなかった。
猫を殺めたのは私じゃない。あの少年だ。あの少年を私は知っている。

だけど、その夢の記憶は口に含んだ綿飴のように溶けていった。少年を見たという記憶だけを残して。

その日を境に、あの悪夢を見ることはなかった。
あの少年の顔も思い出せないままでいる。

これが私、宮リョウコの初めての予知夢だった。


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