今つらい方々の、何かの支えになれば幸いだなと思い、書いてみます。 昨年の10月、1年半勤めた会社を休職した。朝起きると何もできなくなっていたのだ。今は睡眠を除いて改善しているが、寝れない、食べれない、焦点が定まらない、頭が痛い、吐いてしまうのフルコンボは思ったよりも堪えるものだった。 会社を離れてまず気付いたのは、ろくに飯も作っていなかったことと湯船の気持ちよさを感じなくなっていたことだ。それかよ と思う方が居たら申し訳ないが、本当なのだ。就職前や調子の良い時はできていた
フェリーに乗りたいと、木曜日の仕事中に思った。 太平洋より日本海が見たかった。 昼間にのんびりと、ずっと読みたい本を読みながら窓から海を眺めたかった。 その日のうちに、日曜日の朝8時半に秋田港から新潟港へ7時間かけて向かうフェリーの安いシートを予約した。秋田まで何で行こうかと考えたが、中国の砂漠で乗った36時間バスの感覚が懐かしくなって、東京駅から金曜日の夜に出る秋田行きの夜行バスを予約した。土曜日の宿は一番港に近い安宿を取り、日曜日の夜に新潟から帰る新幹線も抑えた。 とて
太宰の短編にこんな一節がある 結果的にこれが休職中の大きな救いになった。 別に太宰のように本気で死のうと思っていたわけではないが、あまりにも視野が狭く希望を見いだせなかったので、上の短編にある着物のようなものを先の未来に置いていく必要があると感じ、実際それがかなり回復に役立っている。 置いたものに関してはいろいろあるが、3つ紹介したい。 1つは本当にすぐできるもので、植物の成長を見ることである。 私の場合は切り落としたニンジンの頭から出てくる葉っぱはかなり伸びるので行ける
朝、鴨川でコーヒーを飲んだ。 隣のおじさんは横笛を吹いていた。気持ちの良い朝だった。商店街を自転車でフラフラしていると、タオルをたたき売りするおじさんがいた。そこで中東柄のバスタオルを買い、家に戻った。夕食の買い出しに出た先の雑貨屋で指輪を見つけ、買った。500円だった。カラフルで、岡本太郎やゴッホ絵を連想させる柄だ。芸術に救われた気持ちを忘れないよう、肌身離さずつけていようと思う。 大学時代、芸術は私にとって知的好奇心の応答場所であり、憧憬を抱く地だった。社会人になって
昨日京都に着き、宵越しの金は持たぬほど飲んだ。今日は大阪に行った。 安藤忠雄さんの講演会を聞きに行くためだった。経営者向けだったので名刺もでっち上げた。 タイトルは いかに仕事を作るか だったが、内容としては安藤さん自身が行っているワークやPJTを通して どう生きてきたのか ということに関する知見がほとんどだった。中でも印象的だったのは安藤さんの「自然」「文化」に対する姿勢である。 直島という、瀬戸内海に浮かぶ小さな島がある。2,500人程度の小さな島の中に、広大な林と
クラシック音楽というあのなんだか頑固でとことん人工的な代物が割と好きなので、その話をしようと思います。 クラシックの大きな特徴として挙げられるのは二つありますが、まず一つはポピュラーなJPOPなどでいうところの「サビ」に行くまでの過程をもったいぶっているところでしょう。 クラシック(特に交響曲)においてはほとんどの場合メインのメロディーが流れるまで数分かかります。その間はサビに入るのかと思わせるような盛り上がりやフェイントを駆使して観客の期待を煽ることに徹しているように感
天国から物語は生まれない、という言葉があります。 しかし、素敵だと思うものや人にはその多くに物語があります。 だとすれば、素敵なものには少なからず地獄があるのではないでしょうか。 特に、手放しに称賛できるものには、得てして深い地獄がそのすぐ裏にぴったりと付いているような気がします。 笑顔で居よう それだけで、周りも自分もハッピーに居られるから よく見かけるキャッチコピーです。 本当にそうでしょうか。 この場合の幸福感は本人の感性に依存する部分が多いです。幸せとは押し付
旅をしようと思った理由は、自分でも言語化できていません。 それでも、「頭に直撃するような強い刺激」を外に求めていたというのは私を異国へ赴かせる最大の原動力になっていたのかもしれません。 自分の心が飛んで行って、放心状態で体は動かず、意識があるのかもわからず、ただこの一瞬がずっと続いたらどんなに幸せかと思うような体験は、多くの人の心にしまい込まれていると思います。きっと大人になってもずっと私はこの経験を求め続けるんだという気がします。 わたしの最初の経験は、バレーボールでした
歴史上の人物で一人好きな人を上げるとしたら、私は世阿弥と答えます。 容姿端麗且つ文才に恵まれた、圧倒的主人公キャラであることはもちろん、言葉の細部ににじみ出る役者や芸能への深い洞察と能楽発展への情熱は、二度と生まれないであろう逸材の登場を匂わせます。 その世阿弥の思想が凝縮された秘伝書が「風姿花伝」です。世阿弥は役者を花に喩え、明快で繊細な語り口を持ってこの芸能の神髄を説きます。この伝書は長い間、一子相伝の戦略指南書として公に披露されることは一切ありませんでした。その理由
続きです 前回、自分で全て支配する人生に恐怖があると言いました。 その理由は、集団に自己の人生における一部の決定権を持たせることの効果をあまりにも軽視するスタンスに起因しているようです。 会社に入れば、転勤や部署移動、給与体系や勤務時間等に様々な制約を受けます。これが私の言う「集団に自己の人生における一部の決定権を持たせる」状態です。一見がんじがらめに見えますが、特に勤務時間なんて物理的に身体の位置を指定されるだけのことですから、他のことを考えていても勤務していることにな
最近よく、ノマドワーカーやフリーランス等の「自由な生活」を目指している人を見かけます。そしてその「自由な生活」をしている人はしきりにこっちへおいでと手招きしています。まるで自分と同じ環境の人を増やさないと死んでしまうかのように。 あるフリーランスの方は、「自分の人生を他人に支配されたくないから」この仕事を続けていると言っていました。しかし、わたしにはその自分で全てを支配する人生に何か恐怖心を抱くんです。 なにか独りよがりな妄想の中心を突き進んでいるように映るんです。 ノ
父はその後、心筋梗塞で亡くなりました。 平成に置いていきたくなかったので、今書こうと思いました。 重い話、今違うって方はこの後読まないでくださいね。 朝起きると、母親が話しかけてきました。 「お父さんが変なの」 部屋を覗くと、父が寝ていました。 でも、一ミリも動かなかったんです。 大きな寝息も何にもきこえなかったんです。 母は救急車を呼んで、近くの学校にAEDを取りに行きました。 私は父の名前を呼びながら、父の体を動かし続けました。 でも父は、二度と自分で動いては
最近、今までは個性だと捉えられていたものを病気や異物と認定するケースが増えていると思います。これを促進した先の未来に希望が持てないので、一度今思っていることを吐き出したいと思い、書くことにしました。 最近ジェンダーにしろ精神疾患にしろ、種類を細分化して自分の状況に一致させることで安心しようとする人というのが、一定数存在すると思います。こうすることで得られる種類の安心というのは、あなたの人生がうまくいかない原因はこの特定のところがおかしいからだ、という断定によって不都合な事実
時々舞台や建築を見ていて、何世紀も前に作った人たちのものに圧倒されることがあります。それは言葉や思考ではなくて、生きた証のような完成形として目の前に現れるため、私はいつもその景色に「到底敵わない」というような羨望とあきらめの混じった目を向けざるを得ませんでした。 しかし、パリにあるサントシャペルはこの眼差しのあきらめの部分を、なにか柔らかいものに変換してくれたような気がします。 パリの街は、シテ島というセーヌ川の中州から発展していきました。その島の中心に位置しているのが、
二年前、初めての一人旅でモロッコに行きました。アフリカ大陸という語感にわくわくしながらその地に降り立ったのは、夏休みも後半に入った九月のことでした。 もー興味が止まらないんですよあの国。アラビア語のミミズみたいな文字とかフランスパンみたいに硬いナンとか不思議な形のタジン鍋とか小銭を手の上でジャラジャラ転がしながら歩くあんちゃんの多さとかバカみたいに砂糖ぶち込む中国茶とか。その全部が全部、しっかりとその土地の人や生活に根付いていて本当に素敵なんです。 今日はそんな国にいた人の
今年、初めてヨーロッパに渡航しました。 行先は、パリです。 この旅行は、私の人生のいろんなタイミングが重なって、大切な記憶になりました。友達のことと、彼女のことと、これからのことと。 「ある彼のこと」の主人公である私の友人は、いまパリに住んでいます。友人は今年の五月、パリから郊外の町へ住む場所を移します。これが、今年パリに行くことを決めた理由です。もちろん、友人が現地にいることはあらゆる意味で便利ですからそれも要因の一つですが、最も大きかったのは同い年の友人がパリという地で