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コンプレックスはどこからくるもの?自信とはなんぞや?

こんばんわ、本日3本目の投稿のエンドウコウイチです、書きたかったので嬉しい(溜まって居たんだね)

今回は珍しく、結論を書きます、コンプレックスこそが人生のスパイスになるかもしれないとも、34年生きた私は思う、出来ない事、至らない事楽しみ始められたなら、人生かなり楽になる。


私はコンプレックスは潰した人間だ、どーゆー事か書こう、私のコンプレックスは目、ペニス、身長だったが今は結構楽しんでる


まず目なのだが整形をした、小学1年から目の細さが気になって気になっていた、私は親に可愛い可愛いと育てられたので(ありがたい)初めてちゃんと自分の顔を見た時ギョッとした、目が細いと思ったし、同級生にも言われた

そこから4年後、同級生とキャッチボールして、同級生の虫の居所が悪かったのか、「君は世界一の醜男(ぶおとこ)」だと言われる、コレは効いたが、今は感謝している
強く、整形しようと思えたからだ、それを言われた直後はキツかった、外に出ると人に迷惑がかかるくらいネガティブになっていた、18歳の頃、二重手術をする、無事に終了
個人的な整形のメリットを書こう、自分のパーツではなくなるので、なんか批判とかされても、そんなに、響かないし、むしろ話題になるくらいポジティブに捉えてる

サクサクいこう、次はペニスだ、本当にしんどい話すぎて申し訳ないが、私はコレを書いて、なんか謎の領域を切り開きたい(残念)
私は親にかなり恥ずかしい話だが、子供の時にチンチンを見せつけていた、優しい親はふふふっ大きいねと雰囲気良く言ってくれるいた、一回か二回ほどそんな事があったかなぁレベルの記憶だ(もっと多かったなら謝ろう)先ほどの話と同じく思い込みやすい私はその事だけは鵜呑みにする、が中学の時に同級生達のマグナム(チンチン)を見て悟る、「俺は井の中のカワズだと」私は今もそうだがこんな事全国に垂れ流すわけだから、賢くはないので、井の中とかは当時は思いつきもしない、そして明確なターニングポイントは17歳の頃、なかなか可愛い彼女が出来た、とても好きになったが振られる
チンチンの大きさともろもろ私の至らない所が理由で、振り返ると色々とよかった、そんな女の子と別れて、そして私は先ほど同様、私は不備があると直す男だった…
違う方向性で私は手術をする、そう真性包茎手術、なんか技名みたいだ(本当にすみません)まだ10代だったので親に手術代を出してもらった(11万くらい)振り返ると今幸せになったのはコンプレックスのしらみつぶしに尽くそってくれた親のおかげとしか思えない、noteというかブログは素晴らしい、こんな事書く人間がいたら、若干興味あるけど、私と同じくらい変態が物好きだと思うので、なんとも言えん


次に身長だ、私は167センチしかない、大きくもすげー小さくもないなんともな数字だ
コレでも、伸びた方だ、一時期ソールブーツみたいなのばかり履いていた時期がある
先ほども書いたが私は整形している、なかなかの目力を手に入れてしまったそんな男に身長を与えてしまったなら、普通に、絡みにくいよね‥

私は今でも時々、ダットスニーカーというかソールシューズを履く、そうすると173〜4センチくらいになる、まぁ別にそこまで高くもないが、低くはなくなる、年とり見栄やナルシズムが薄れたのか、元の大きさの方が全然人から好かれる‥と遅いけど気づく

そんな感じで私のコンプレックス祭りは親の脛をかじること、時間をかけて薄くなった
そして次のフェイズだ、167センチ謎の目力のある、コンプレックスの薄くなった男は
コンプレックスを感じる人たちの餌食になる、世の中の男の人とは恐ろしいと感じさせる殿方が多い、不幸そうな女の子を探す方が個人的には難しい、なので女性がシリアスな顔をしてると割と目立つ、私はADHD(発達障害)があり、わりとケアレスミスやまぁ忘れたり、ミスしたりする、開き直ってるわけではないが、最近はこのADHDによく効く薬が心療内科で貰えるので、34歳という若くない年齢でやっこさ色々と落ち着けた
ありがたい、心のそこから、19歳の夏休みは全部歌舞伎町で過ごした、悲しい思い出ではない、冒険の印だ、生活保護にもなった、両親は死んだ、このことは定期的に書いているから、私はまだ前に進めてないのかもしれない、明石家さんまさんの名言をよく、噛み締めるように思う、「生きてるだけ丸儲け」生きてる今日も無事に1日が終える事が出来、誰も殴る事なく、騙す事なく、もちろん自分の事もそう生きれてよかった

人は不足を抱えたりする事もある、本人は辛いかもしれないが、外側から見るとそれを隠す事が美しく見えたり錯覚する事がある、本当に強がりかも知れないが人が好きだ

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