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天才を壊す恐れのある、我々、凡人

やぁ、やぁ、昨日、既婚者なのだが、泡先体マッサージを受けた、エンドウコウイチです、わかる人にはわかる…

結論から、言いうと、私は天才にあった事がある、しかも成功している人

街録chの創設者、三谷三四郎さん

そもそも街録chをご存知だろうか?
マチロクではないガイロクと読む、試しにYouTubeで検索してみて欲しい
街録chは一般人から、芸能人、犯罪者、被害者、障害者、何かしらの特殊な状況の当事者が出演している。

視聴者の趣味思考や興味によって、感想は変わると思う、その部分も含めて
発明的なYouTube、chだと、私個人は思う。

繰り返しになるが、私は三谷三四郎さんに会った事がある
回数としては、5回程会っている、初めて会った時、本当に緊張したのを覚えている
新宿のVictoria golfの近くで、撮影があると、SNSに告知があったのだ、それは1年ほど前で、私は当時就労継続のA型で勤務していて、仕事は14時15分に終わるので、仕事終わりに急いで、着替えて、15時30分頃に新宿に着いた、当時、三谷三四郎さんの頭髪は緑色で身長は180センチ、すぐにわかった、緊張した、三谷さんの携帯の待ち受けは三谷さん自身のお子さんの写真だった。その時私は確信したのだった。

絶対にいい人だと!!


冗談はココらへんで、その緊張しまくりの私は無事に三谷さんと話し
三谷さんのサブチャンネルに出演出来た、私もそうだが、他にも三谷さんの映像に映りたそうにしていた人が居た、映画を撮っているとその人は言っていて、私は「どんな映画を撮っているのですかと聞いた、1年経った今、全く覚えていない、聞いておいてすまん、天才三谷三四郎に会って痛感したのは、圧倒的にマイペースを感じた、後は自分の好奇心に忠実だとも思った、そうして、私は三谷三四郎に憧れ、また会いたいと思った、そこから、2週間程経った頃だ、三谷三四郎はまた、新宿にきた、説明を省いてしまっていたが2回目も前回と同じくチケットの手売りイベントを行っていた、私はチケットの手売りイベントを行った、私は最後までチケットを配る事を頑張った、私が配ってもらってくれる人も本当数えられるくらいの人が居た、しかし三谷さんの知名度は圧倒的だった、私は客観的に見ていたのでよく覚えている、三谷さんにチケット手売りの時に「エンドウさんもう、大丈夫っスよ」と言われた、私は謎の挫折感と達成感で何思ったのか、新宿のちょっと高めの(1万円くらい)のオナクラに行った、オナクラがわからない人は、ネットで調べてくれ、私はそのデリバリー式のオナクラで私は、芸能人のあのちゃんにかなり似てる子が来てくれた、あのちゃんがわからない人の為に、写真を貼っておく。

この写真が結構似ている※あのちゃん

私が時折、風俗に行く事は私がスケベな女好きだからという理由が主になのだが
もう、2度と会えないけど、親密な話をする部分がかなり好きなのだ、後はおみくじ的に楽しんでいる、私は基本フリーで入る、私が相手の女の子にたいしてする質問はこうだ、「どんなYouTubeをみているか?」「どんな音楽を聴いているか?」「食べ物は何が好きか?」まぁよくある質問だが、コレは鉄板で聞く、毎月風俗に行くわけではないが、運気を変えたい時、本来なら、出会うはずのなかった人に会えるといことを自分のタイミングで行えるのだ、物はいいようなので、異論がある方はコメント欄に遠慮なく、書いて欲しい。私はそのあのちゃん似の子と色々話した、私が既婚者な事、今後頑張りたい事、あのちゃんが昼間の平日はIT系の仕事をしている事、すぐに人を褒めたくなる事を話して、私も割と人を褒める事が多い事でお互い共感し盛り上がった、40分50分ほどの時間だったが、かなり話したと思う、楽しかった、もう会う事はないのだが

そこで、頭からっぽになった私は、三谷三四郎に会いたい、インタビューされたいと考え、色々な創作をした

ピクスアートという割と安価なクリエイティブツールを使用して、ポリゴンモーションを作成した

本当に色々作った、毎日、毎日、ドラクエのレベルを上げるかのように、創作をしていた、インタビューを三谷三四郎から、受けたい、過去を清算したい、その思いでいっぱいだった、三谷さんのオンラインサロンにも加入した、また、私の現状も変わり始める、就労継続A型から、障害者雇用のより良い就職先を見つける為にサービス管理責任者から、今の就労支援を教えてもらい、障害者雇用で働く上での、自己理解をする為に、過去分析やキャリアプランを指導員の方にFBを貰いながら、日々訓練に打ち込んだ、常に孤独を感じていた、話す人は話しかけてくれる人も沢山いた、が当時は拭えない孤独を自分で言うのも、なんともだが、感じていた、私は繊細なのか、神経質なのか、利用者と指導員の遠回しな、八つ当たり的な物を受けるようになったというか、感じた、しかし、心を強く保ち、施設には行き続けた、妻の協力の賜物だ、いつも妻に救われている、感謝しなくてはいけない、本当に、そんな時に、街録のオンラインサロンメンバーの人から、「エンドウくん、もう一度、インタビューに応募してみたら?」と言われた、その人は割と適当で問題は山積みな人だったのだが、街録chの動画は全て見ていて、どの放送回の話をしても、わかっていた、私は、現実が上手くいってるとは正直いえなかった、ので、打破したい、自分を超えたい、変えたいと思い、もう一度、インタビューの応募を決意した、そこから、数週間後にGmailが来た、街録chに出演が決定し、私は地元の友人、元会社の同僚、オンラインサロンメンバーの方の力を借りて、インタビュー動画を撮影してもらった、三谷三四郎に撮って貰えたのだった

アップロード初日で私の動画は12万再生程行った、どんどん再生数が伸びていく感覚に驚きを感じた、私に対する友人も周りのからの見え方が少し変わったのは感じた、インタビュー練習を付き合ってくれた元同僚は変わらずに接してくれた、コレこそありがたい事だ、動画の編集も三谷さんの愛を感じた、話はすっかり、自分の話になってしまった、私が変わるきっかけを作ってくれた、三谷三四郎さんへの感謝と尊敬は私は忘れないようにしたい、妻に対してもだ、三谷三四郎さんの天才性の深掘りはまた、違う機会に書きます、最後まで、読んでくれた方がもしいたならば、お礼を言います、ありがとうございます。

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