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精神疾患のアナロジーとしてのワーキングメモリ仮説 付・SSTについて

 地球上の空気や水には限りがある。
 同じくひとりの人間が物事に対処できるキャパシティにも限りがある。パソコンとかのメモリ量に似ているが足し増しはできないだろう。
不幸にして人生の前半で精神を患ったらそこで大半のキャパシティをとられたと思っていい。持論。
 揮発しないSSDのようなもの。
ひとりの人間が持っている一生涯に対処できるキャパシティとは、限られているがライフスパンで見ればメモリというよりストレージに似ている。敢えて新しい記憶を詰め込むには古い記憶から消さないとならない。精神病だとこちら。
 ワーキングメモリが少ないのは年とれば誰も一緒。悲観するな。
 以上、私の精神疾患当事者としての私的アナロジーです。
 付け加えるなら、SSTというのは周囲の人々の(最低限の)社会的スキルにかさ上げしてついて行こうとする動きです。社会が合わせるのではなく社会に合わせるということです。社会に理解してもらえるのではなく社会を理解しようと努めるというぐらいの差があります。多数派には敵いません。残念。
 いったん精神障害を負ってしまうと、稼ぎが少なかったり婚期を逃したりと、経済的、社会的に不可逆的な損失も背負っていくことになります。その辺りを補償するシステムがないけれども差し詰め、生存権を担保するのが福祉制度なのでしょうね。

2024/01/28 その2 ここまで

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