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修羅道の遣い「イジメラルダ」

イジメラルダとは

 時期を特定されるのは不本意ではないのですが、小生、小学生の頃は女系家族にて手近にあるのは少女雑誌ばかりでした。

 その中に当時の私が出会ったキャラクターには、イジメラルダという人工生命が登場します。人工生物とでもいうのでしょうか。

 ともかく、いじめられる人を無くそうと開発された架空の存在という記憶はあります。登場人物たちがどういう経緯をたどったかはおぼえていません。

 ただ、苦しみや痛みに顔をゆがめるイジメラルダたち(クラゲによく似ている姿でした)には、登場人物たちの行方に、幼心に一抹の不安を抱いていたことは確かです。

勧善懲悪主流の時代背景

 一方で今のように善悪で両極化できない世界では考えにくいことで、当時は勧善懲悪が支配的でした。存在は善にも悪にもなり得るという発想が受け入れられづらい世界でした。

 そうした中で、私は小学校のクラスでいじめられる一方だった自分の身代わりがいれば良いのにぐらいにしか、イジメラルダのことを思ってなかったのです。
 しかし、中学校時代中盤でいじめが暴力になる頃、私は何度も今でいうキシネンさんに襲われ命を落としかけました。

 こうして生きていられるのはもっけの幸いです。その一方、私も実を言うと私の身代わりに沈んで欲しい存在を探して実際、叩いてしまったりしました。それは振り返ると、私が先生や上級生や親から受けてきた仕打ちそのものでした。

 優等生面してこういう暗黒面も持っているのです。何もイジメラルダを象徴化して自分の行為を正当化するつもりはありません。
 むしろ、イジメラルダという変換記号によって、人間は容易に善にも悪にも変わるのです。その名を知らなくても、ロシアやウクライナのようにもなりますし、イスラエルとハマスのようにもなります。

果たしてイジメラルダは何者か

 そのマンガの作者は気づいていたのかもしれません、イジメラルダとは修羅道の遣いであると。仏教でいう修羅とは私が捉えている限りですと、暴力や殺戮の応酬で無限にそれを繰り返す地獄の世界の一つ、という括りです。それをあの時代に発信したとすれば恐るべき眼の持ち主だと私は思うのです。

 今も私の心には、当時の応酬や復讐といった繰り返しが社会に出てからも暗い影を心に落とし、遂にはそうした人達ばかり集まる職場に身をやつして心を病み、健常者の暮らしからリタイアすることになったと記憶しています。同級生達もその頃結婚、家庭を持ち、未婚は私ひとりのようです。

 差し詰め、ダンテ『神曲』の地獄篇みたいに、天上へ向かうダンテ達(大詩人ウェルギリウスもいてダンテは生き身のままその導きを得ていたという設定です)に地獄から、
 《私は旧友のひとりだが
  地獄でこうして
  生前の政争であなた方を陥れたため
  業火に焼かれている。
  戻ったら残っている仲間達に伝えてくれ。》
という亡者のひとり(魂)のようなものです。

 その限りでいうと、あの時代、その亡者達のように政争というかいじめから自由であった同級生などいたのだろうか、と不思議な気分になるのです。

 『神曲』も、イジメラルダも、今の世界情勢も、どれをとっても仏教でいえば修羅道そのものを描いている、私にはそう思えてなりません。

(BGM The rolling stones 'Paint It Black')

2024/01/07 その2 ここまで

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