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プロメテウスの埋み火(仮)


理性とは?


 2023年9月2日朝日朝刊コラム「折々のことば」でパスカルの『パンセ』から引用がある。要旨として、人間の理性には限界があり(造物主である神から与えられた)理性を超えようとするのは思い上がりだと戒めている。

 敢えて丸括弧に「造物主である神」を補ったのは、パスカルの頃までそれを抜きにしては、日本人としてキリスト教圏の哲学を理解しづらいと私が思ったからである。世界を人類が理解するために神から与えられたのが「理性」だが、それは無限ではなく限りがあるとされる。

 理性を超えようとした所で神の怒りを買った旧約聖書のエピソードとして、バベルの塔の話があげられるだろう。神の領域に及ぼうと天に至る塔を建てようとした人類が、神の怒りのため塔を打ち壊されたうえ、それまで話していた言語はバラバラに散らばったというのだ。


プロメテウスからパスカルまで

 さて、今日のタイトルで取り上げたプロメテウスは神は神でもギリシャ神話の中に登城する神で、一番偉い神ゼウスの下にいるとされる。簡潔に紹介すると、人類に禁断の炎を与えたためにプロメテウスはゼウスによって罰されるのである。ギリシャ神話と聖書とでは世界の体系が異なるが、神でありながら人類に炎を与え岩に縛り付けられ肝臓を鳥についばまれるところが限りなく、人間らしい所である。

 人間に近いと言えば、新約聖書で登場するキリストが強いて言えばさしあたり近い存在である。使徒信条(クレド)をまとめると、造物主である神と(楽園追放されたアダムとイヴ以来の)原罪を負う人類の執りなしに入り、十字架において自らの命を差し出して復活した救い主とされる。その後の神学論争と理性の問題はここではさておいても、造物主である神から与えられた理性を超えることは人類にはできないとされる。それは前述のパスカルの頃まではそうである。


キュリー夫妻


 しかし、人間が理性を超えようとしたことがあったとすれば、それはキュリー夫妻が放射性物質を発見し、その後放射性物質から核分裂でエネルギーを取り出そうとした物理学者達がそのあとに続いた出来事ではないだろうか。

 むしろ、人類が持つ理性を超えて対数級数的に開発が進み制御不能となった悲劇的な代表格が放射性物質であるといえるだろう。それが発見のわずか50年前後のことだから有史以来の歴史と比べると、驚きを禁じ得ない。核弾頭の配備やいったん暴走を始めた原子炉を誰も止めることはできない。まさに理性の領域を超え様々な分野での「驕慢」を産んでしまったのである。

 今度バベルの塔の悲劇がが再現されるとすれば、それはかつて「未来のエネルギー」「夢のエネルギー」とされた放射性物質において人類が滅亡するという悲劇ではないだろうか。どれもいずれにせよ理性を与える「神の領域」を超えてしまったためともいえるだろう。


バーベンハイマー


 先日、広島と長崎の原爆忌に近い頃、SNSで問題となったのだが、バーベンハイマー(Barbenheimer)として実写版『バービー』に、原爆開発のマンハッタン計画に携わった一人としてオッペンハイマーとアラモゴードの試験場が示唆される場面が登場した。これは単なる大量殺傷兵器である核兵器に限らず、原子力発電所廃炉の問題も示唆しうることではないかと私は思う。

 戦勝国アメリカが制作したのが実写版『バービー』であるから、敗戦国日本がいくら「人道に対する罪」を訴えても戦争の勝敗が歴史的にもたらしてきた力関係を見る限り、いくら日本に正義があってもアメリカにはそれが通じにくいところがあるのかもしれない。これは日本とアメリカに限ったことではないと思われる。

 いずれの国にせよ、信教する神が異なるとは言え、人間の限界を超えてしまったものをどうにもできないでいる。冒頭のコラムの執筆者が痛罵したい「驕慢」とはこの事実とはいえないだろうか。


明日無き世界


 国対国に限らず、国対自国民の関係もまた似ている。一方的に既成事実を作ってしまった側が強いのだ。負けた方が何を言ってもおごれる勝者は聞く耳を持たない。思い上がった挙げ句聞く耳を持たない、これでは最悪である。

 だが、廃炉になった原子炉にある処理水も、地球上各所の地中に出番を待つ核弾頭も、そうしたおごれる歴史上の勝者達に味方している。さらに輪をかけて極言するなら、放射性物質も核弾頭も人類や生物界も巻き添えにして区別はしないのである。どれも人間の限界を超えてしまったためである。

 振り返って人類は放射性物質発見以前に戻れるだろうか。炎を手にした人類以前に戻れるだろうか。一度、文明の利器を手にした人類はそれを手放せない。放射性物質はその文明すら破壊してしまうのは明らかである。理性を超えたという表現はこの周辺の事実以外にあり得ない。いわば地球上の文明の存亡は今この時点にかかっているし、あとにも先にもプロメテウスの埋み火である放射性物質の扱いを振り返る時季は今しかないのである。
(了)


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