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🦊 曲を「聴かない」聴き方

僕は音楽が好きだ。
僕はあなたより音楽に詳しいし、あなたより音楽に情熱があります。とは思わない。
音楽にはあまりに多いジャンルがある。というよりどこからが音楽なのかを定義するのさえ難しい。
だから僕がどれだけ音楽を「スキ」と思っていても、それは僕の尺度でしかない。他の人に比べてどうとかいうものではないと思う。

ここで僕が語る音楽論は、啓蒙的な語りではなく、読んでくれるあなたの隣で共に、単に楽しむための語りである。故に、そこに価値観の押し付けだとか、正しさの強要もない。ただ、好きなことを語るだけである。
だからあなたも、ただ、楽しんでほしい。

僕の好きな音楽の聴き方の一つに、「聴かない」聴き方がある。わかりずらい表現だ。音楽を聴くのではなく、「聞く」といえば、いくつかわかりやすいだろうか。
簡単に言えば、分かろうとしない。という事。

歌を聴くとき、曲を聴くとき、その題名や歌詞、背景やジャケット写真、MVをイメージして聴く事が多いと思う。

Last Christmas, I gave you my heart
But the very next day, you gave it away
                                    (Last Christmas - Wham!)

Wham!のこの曲を聴くとき、その歌詞にクリスマスと入っていることや、ジャケットで2人がクリスマスの様相であることから、クリスマスの曲だなと感じる人がほとんどだろう。
こんな具合に、曲を聴くと、なにかに包まれる。それは時制を持つ。

けれど僕が今回言いたいのは、「聴かず」に「聞く」だけ。つまり、全部無視して、自分の中で勝手に消費すること。

冬のことを歌った曲を、夏に聴く。
夜のことを歌った曲を、朝に聞く。
友情を歌った曲を、恋人に重ねる。

僕は、ユニコーンのmaybe blue(1987)が大好きで、いつも歌っている。
中学時代友達と学校帰り、歌いながら帰った。
暑いのに半袖のシャツはダサいからと、長袖をまくって、第二ボタンまで開けて歌った。
汗でシャツがピタピタしていたのを覚えている。
蝉が泣いていた。maybe blueを聴くといつも夏を思い出す。夏が来ると聴きたくなる。

でもこの曲は、夏の曲ではない。

Maybe blue 冷たい部屋で かまわない
Maybe blue くずれるくらい 抱きしめて
           (Maybe blue - ユニコーン)

季節が名言されているわけではないが、夏の歌ではないことは、歌詞からわかる。楽しい歌ではなく、哀しさを含む歌であるし、冬なのだろう。
だけどこの曲を僕は聴かない。聞く。

僕にとってこの曲は、冬の夜の哀しき女性との曲ではない。
夏の夕方汗だくの友人との曲なのである。

歌詞や、ジャケット、街でかかるタイミング、CM。
こういったもので聴くのも良いが、自分にしかない感性と感覚で曲を「聴かない」で聞く。

今年の夏聞いた曲が、今後の夏につながるかもしれない。
そんなことを考えて聞いてみるのも、悪くはない。

kou

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