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noteを続ける意味 2024.5

noteを始めて2ヵ月が過ぎました。
そして大学を卒業して20年が過ぎました。
最初の「ごあいさつ」ではこんなことを綴っていました。

根本は今も変わらないのですが、2ヵ月続けて少し具体的になってきたのでこちらの記事をごあいさつ文にしたいと思います。

とても厚かましいことと承知の上なのですが「誰かの心を軽くしたい」これくらい具体的になってきました。
商売をしているし仕事が好きなので、仕事のことなども綴ると思います。
ただ、この2ヵ月フタを開けたらマインドばっかり。
ものすごく少数で良いから誰かに届いてほしい。
1人でもいい。いや、なんなら1人もいなくてもいい。
届いてると思い込んで自己満足できるメンタル持ってるんで。
そう思うと、届いた時の喜びは大きいです。

分析が好きです。
自己分析をして「なぜ?」のルーツをたどっています。

一番大きな理由は「私は恵まれている」という実感です。
裕福とか地位が高いとかでは全く無いですよ。
もらったものが多いという自覚があるということです。

何不自由なく育ってきましたが、むしろ根っから貧乏性なんですよ。
「もったいない」マインドですかね。
こんなにもらってきたのだから、誰か必要とする人に返さなきゃ「もったいない」

自由に選ばせてくれた両親。
自己肯定感強くトラブルメーカーのクセつよな私と「ヤレヤレ」と言いながらずっと仲良くしてくれる友人たち。
ワーワー言いながら一緒に頑張って楽しんでくれる妻。
わかりやすく私と妻のハーフ、スヤ太。
私を嫌わずに一緒に頑張ってくれる仕事の仲間。
「pay it forward」ですね。
なつかしい映画。見直そうかな。

さらにルーツをたどると10代のころ「歌うたい」になりたいと思っていた時期があるんですよ。
笑っちゃいますよね。
音楽が好きすぎて、兄がギター持っていたんで触ったら面白くて中二のころ作詞作曲を始めて、大学時代も音楽どっぷりでした。
代表曲は『行方不明者多数』知らんがな!です。
ここでも「なぜ?」が今になって問われます。
あぁ、目的が一緒だ。
そう気付いたんです。
現実、アーティストのポテンシャルは無いし、そもそも物理的に手を怪我した経験があるので当時のようにギターは弾けません。
無茶をしていましたからね。

原点回帰。
私はnoteであの頃の目的を達成できるかもしれない。
手法っていうのはプロセスなのでコロコロ変更していいんです。
当時書いた歌詞で「また開いて 閉じて 開いて 入れない 入らない」
っていうのがあるんですけど。
なんだか久々に入っていきたい扉を見つけたなって思いました。

noteのきっかけをくれたアドバイザーさんに感謝ですね。
おそらく会社のために良いと思っていただいたのでしょうけど、自分のために使います。
自分も会社も同じか。
どちらも私の人生です。

あ、やはり無駄に長くなった。。
読んでくれている方がいたら、すぺしゃるさんくすです。


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