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孤独、慰めのない、孤独。

人は皆、他人に対する恐怖を抱えながら、それを隠して生きているのだろうか。
そうなのであれば、何故皆、発狂することもなく耐えていけるのだろう。
私には、他人が怖い。
しかし、一人になるのも同じくらい怖い。

人には誰でも裏がある。
それは人間が社会で生きていく上で当然のことである。そして、自分を見ていて何よりもよく分かる。
表では仲睦まじく、冗談ばかりを言い合い、 喧嘩などしたこともない。しかしそれは外面、心中は互いに相手を蔑み、 憎み、それと同時に同じ程恐怖している。

そう、恐怖。これが全ての災いの源なのではないだろうか。
他人から嫌われることの恐怖、 見捨てられる恐怖、疎外される恐怖。
この恐怖から私は何千と眠れぬ夜を過ごし、 何万という自殺への願望に襲われてきた。
私は、友人といる時にはいつも笑顔でいる。 心がどんなにつらくても、体がどんなに苦しくても、文字通り必死で、楽しい雰囲気を創ろうと努力する。
むしろ私は、悲しい時にかえって軽く、楽しい雰囲気の創造に尽力する。
これは、私の精一杯の人間に対する求愛であり、サービスのつもりなのである。

しかし、私の遊びの相手をし、 精一杯の饗応を受ける友人たちも全く楽しんでいない様子である。
要は私にはらはらしているのだ。
私は、全ての財産と力を投げ捨てて、命をすり減らし、そうして一人の人間をも楽しませることが出来なかったのだ。

地獄だ、地獄だ、などと思いながら、 私はいい加減な受け答えを続け、話の止むことはない。
あの白痴の如き連中の、下らない、まるでなっていない、哲学だか、芸術だかについての話に適当に相槌を打ちながら、私は常に笑顔を絶やさずにいる。
友人らと別れた後、私は疲れ果ててよろめき、自らの愚かさについて、孤独について、そして、死ぬことを考える。

ひとが、ひとに奉仕をする事は、そんなに悪い事だろうか。
ひとが薄氷を履む思いで言っている冗談を看破するのはそんなに良い事なのだろうか。
自分のうちにあるエゴイズムを認めようとはしないくせに、人の必死の道化を看破する。
これ以上に残酷で、陰湿な行為はこの世にない様に思える。

家庭の幸福、友情、と言ったものが、何故私には出来ないのだろう。
それらのことが、私には怖くて怖くて仕方がないのだ。


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