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01 剣鬼

※この物語は前作「運命の女」のスピンオフです。


 スペンサー・カラックはテイクアウト用のピザとビールが入った袋を抱え、三階分の階段を上りきったところだった。
「はぁ……」
 慣れているとはいえ、空腹でもあるスペンサーは軽く息があがっていた。運動不足ということはないはずだと言い聞かせながら、目に入りそうになった濃い茶色の前髪を掻き上げた。
 地下都市エイキンでは、地上と比べると建物の高さがない。何せネズミの巣穴のように、あちこちに張り巡らされた魔窟だ。そう深く掘り下げ過ぎると地盤沈下を誘発しかねない。
 最大の高さでも五階程度だろう。地上と違って通年同じ気温で、天気など関係ないこの都市は、それでも毎年広がりを見せていた。
 数日前、子供の頃から一緒に悪さをしてきた相棒のロニー・フェリックスが、ヴィズルの阿呆共に撃たれた。
 エイキンを二分するマフィアでもある、ガウトとヴィズルの抗争などいつものことで、とりわけ珍しいことでもない。スペンサーとて撃たれたことは何度もある。ロニーも撃たれたのは初めてではないし、切られたことも刺されたこともある。今生きているのは無駄に悪運が強いのだろうとスペンサーは思う。なにせこの街で死体を目にするのはそう珍しいことではないし、自分がいつそうなってもおかしくはない。
 マフィアという稼業をしていれば、嫌でも血生臭く、命のやり取りを対価とすることに慣れているとはいえ、生き残れるかどうかは博打のようなものだった。
 そんな相棒は接近戦でしか役に立たない長物の一つ、倭刀と呼ばれる長刀を武器としていた。エイキンではアナログ武器が重宝する。何せ地上都市の真下に位置するエイキンなので、派手な戦争まがいの騒乱があれば、地下都市ごと滅ぶ。おかしなことだが、マフィアとて行き場を追われるわけにはいかないため、地上の連中に比べると大きな騒乱にはならない。
 その代り凄惨だ。
 力を誇示するために、より残酷に無慈悲に殺しあう。この街の覇権を握るために、その力を知らしめるために自分たちは殺しあう。
 その殺し合いの日々を生き抜いてきているのだから、スペンサーもロニーも悪運が強いのだろうと思う。
 そんなロニーは一つどうしてもスペンサーにも受け入れがたい悪癖があった。
 それはゲイであること。
 それも単なるゲイではなく、女性嫌悪を伴うゲイだ。
 不幸中の幸いは、誰彼かまわず男なら誰とでも寝るというわけではない事だ。後くされるのが苦手らしく、恋人という恋人がいた試しもない。そばに誰かを置きたくないという、そんな気持ちもわからないでもない。
 自分たちはマフィアで、ガウトに関わる人間は仲間か敵かあるいは商品だ。
 売春婦もそうだし、賭博場の従業員も、薬の売人もそれらの客もすべて「商品」であって、人間ではない。そう思わなければ務まるような仕事ではない。情をかければ目が曇る。目が曇れば、足元をすくわれる。それは直接的に命に係わり、自分たちの死はガウトの影響力に直結する。行き場のない自分たちの唯一絶対無二の存在が、エイキンを牛耳る組織ガウトなのだから、組織を守るのは当然だった。人を殺すことしか能のない自分たちが、地上に出たところでやれることなどないに等しい。
 そしてヴィズルの連中はあくまでも「敵」であって、人間ではない。商品ですらない。自分たちに利益をもたらす事もない害虫だ。だから自分たちは簡単に殺しあえる。互いに自分たちを人間と認識していない証拠だ。
 そんなふうに感情のどこかが壊れているから、自分たちはこの稼業を続けていられるのだとスペンサーは思う。
 特にロニーはそうだろう。
 聞いたところによると、子供の頃に母親を自分の手で殺し、それ以来女がダメだと酔いつぶれた時に漏らしていたことがあった。見た目はそう悪くない。元々の赤毛を更に真紅に染めて、両方の耳にも目蓋にも鼻にもピアスをしてはいるが、顔立ちそのものは悪くはないのだが、如何せん、そのピアスの存在がロニーを人から遠ざける。服装自体はスペンサーもそうであるようにノーネクタイのカジュアルスーツが多い。なにせ自分たちは組織のナンバー付きと呼ばれる人間だ。その他大勢の構成員とは違う。スペンサーは地上とエイキンを行き来しながら、薬物の売買、主に買い付けを担当している。組織の金を扱う以上、立場も責任も重大だ。地上のマンションの一室を丸ごと買える金が、一晩で動くのだから。
 もちろんロニーも担当しているが、よりによって売春宿のみかじめの徴収をはじめとして、娼婦の管理も任されている。女嫌いだからこそ、商品に手を出さないという一面を買われたわけだが、ロニーにしてみれば最悪な仕事だっただろう。元々は地上からやってくるアウトローな連中に、武器の卸売がロニーの仕事だった。前任のアホが娼婦を孕ませたりしなければ、今もロニーが娼婦に関わることはなかっただろう。
 ロニーの女性嫌いは度を越している。存在が嫌いというだけではなく、触られると蕁麻疹が出るというのだ。
 何をどうしても女嫌いは治らず、少年のような少女をあてがっても拒否し、ニューハーフを抱かせようとしても全力で拒否し、最終的に寝ていたロニーの元へ娼婦を送り込み、無理やり女を抱かせようとした時に、全裸で倭刀を振り回して女を追い出すという暴挙に出てからは、女嫌いを治すのはもうダメだと誰もが匙を投げたものだ。
 そのロニーの様子が最近おかしい。
 というのも、その怪我をした時に、ロニーを助けたというのは正真正銘の女だった。
 名前をセシリアと名乗ったその女は、すらりとした手足に金髪のショートボブのなかなかいい女だった。サングラスをしていたので素顔はわからなかったが、胸の大きさはスペンサーの好みのサイズで、それだけでも合格だ。
 ロニーを助けるに至った経緯は、負傷していたロニーにぶつかって、双方道に転げて怪我をしたらしい。実際セシリアはサングラスをしていてもわかる程度に目の下が腫れていたし、両手にも足にも擦り傷を作っていた。派手に転んだということは、一目瞭然だった。
 なにせロニーはヴィズルの連中に撃たれた上で追われており、奴らの追跡を振り切ろうとしていたのだから、全速力で走っていただろう。
 ロニーは倭刀の使い手で、それだけに体は鍛えている。スペンサーの倍以上も努力しているだろう。
 そんな筋肉質なロニーが体当たりしたのだから、セシリアの負傷も頷けた。
 そしてロニーは彼女だけは触っても平気だと言う……
 何がどう平気なのか?
 同じ場所にいても不快感を抱かない、触っても蕁麻疹が出ない、気持ち悪いと感じない。
 今まで少年のような容貌の少女を与えようとも、性転換手術を受けたオカマをあてがおうとも、女の容姿をしているというだけで、不愉快そうな顔をするあのロニーが、彼女だけは受け入れようとしていた。
 当然ガウスでは話題になっている。ロニーが負傷して動けず、自分のフラットで寝てばかりいて組織に顔を出せないのをいいことに、その女を探せ! という者好きな連中も出てきたくらいだ。
 当然、スペンサーもそれに絡んで調べたところ、活動拠点は主にエイキンで、第一区画から第二区画でよく個人の仕事を引き受けているらしいという事がわかった。
 自称・トラブルシェーターのセシル。セシルというのはセシリアの名前を短くした通り名のようだ。
 特に専門とする仕事はなく、便利屋という見方もできる。ちょっとした仕事の口利きから、家出人の捜索、しつこい恋人から逃れるために、地上に逃げる手配をし、或いは空中都市への口利きなど、幅広く活動しているようだ。コネが随分とあるらしい。
  やっかいなのは傭兵人材派遣会社・イヤールクの女社長、リー・チェンの女狐に気に入られていることだろう。
 それほど腕が立つのか、それとも裏方の事務やバックアップ要員として引き入れたいのか、何度もあの女狐は接触しているらしいが、その都度断っているということがわかった。あの強かな女狐に気に入られているのだから、相当セシリアという女は使えるのだろう。
 あと、エイキンに常駐していないことだ。主に週末ふらりと顔を出す。平日は音信不通となるということは、他の区画か地上にいるのだろう。
 サングラスをしているものの、顔立ちはそう悪くはないと思う。唇の形もまぁまぁよかった。胸の大きさはなかなかのもので、一度くらいなら抱きたいと思う。
 だがあのロニーがスペンサーと同じように考えるとも思えない。なにせ、これまで女が少しでも触れただけでも拒絶する。蕁麻疹が出るからだ。
 しかしそれでも気にかけているようだった。これは女嫌いを克服するいい機会じゃないか? と思う。ロニーをけしかけてみるか、それともあの女に直接話をつけてロニーの相手をしてくれないか? と頼んでみるのもいいかもしれないとスペンサーは思っていた。

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#小説 #オリジナル小説 #アクション #バイオレンス

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