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01 運命の女

 地下都市メインゲートから地下へ延びるエレベーターに乗り、二分程で中央区画に降り立った。地上より気圧が高く保たれているため、扉が開いた瞬間は突風の洗礼を受けるのが地下都市だ。もみくちゃにされた金髪の前髪を押さえつけながら、セシリア・アネーキスは進み出て、地上より冷たい地下の冷気に肌を撫でられ身震いした。
「慣れるまで寒く感じるのよね」
 誰にともなく一人呟き、素顔を覆い隠すサングラスを押し上げる。見上げるとややオレンジがかった照明が中央区画を照らしていた。
 この場所は地下都市と呼ばれている。大まかにみて四区画。東西南北に別れていて、それぞれに特色がある。
 元々この国は人口増加に伴い、様々な形態で都市が形成されることとなった。地上を離れて空に浮かぶ気団に居住する者、今セシリアがいる地下深くに都市を築き居住する者、海底深くに都市を築き居住する者。
 そんな中で、毎年少しずつ、それも住民ですらわからない程に空間を広げていく都市は地下都市と言われている。空中都市はそもそも気団が浮遊状態で移動しているため、ある日ぽっと島が増えたところで、気にするのは海賊や飛行士くらいだ。海底都市は簡単に増やせる場所ではないし、地上は土地が限られているうえ、森林の保護特区などもあり簡単に居住地域を増やせるわけではない。
 そのため魔窟とも揶揄される地下都市は、穴を掘ってはまた新しいエリアが拡大されていく。蜘蛛の巣のように横に広がりつつ、時には縦に掘り下げる。住民ですら足を踏み入れたことがないという場所、行ったことがないという場所も数多くある。半年もあれば、新しい建物や区画が拡大されているため、地下都市の地図は毎年のように書き換えられる。
 まるでモグラのように道を広げ、住む場所を拡大して迷路となっていく様が、セシリアにとって面白い場所だと感じさせる理由だった。
 この中央区からそれぞれ東西南北の四区画に分かれていくのだが、その中の一つ地下都市北部・エイキンという場所がセシリアの目的とする場所になる。
 エイキンは一言に言うと歓楽街だ。ありとあらゆる欲望と快楽のすべてが、商品として提供される。
 女性向けのエステ店もあれば、隣には性風俗店も顔を出す。ギャンブルもあれば、リラクゼーションスパも存在する。
 この区画はあらゆる人間の、際限のない欲望のすべてを快楽に変え提供する場所だ。
 合法・非合法を問わない。欲する者には与えられる。それに見合った対価と共に。
 自らのささやかな欲望を満たすだけなら楽しい場所ではある。非日常的でわずかの時間と割り切って遊ぶのならば楽しい場所だ。
 しかし際限のない欲望に飢えを感じたらもう抜け出せない。底知れぬ闇に似た欲求は、もっともっとと膨らみ絡め取る。
 そして破滅へと向かうことになる。自制心のない人間には蟻地獄のような場所に様変わりする。それが地下の魔窟・エイキンだった。
「セシル姐さぁん!」
 柔らかそうな茶色の髪と瞳、それからそばかすの多い顔立ちの十代前半の少年が、セシリアに向かって小走りに駈けてきた。セシリアの前まで来ると、顔をくしゃくしゃにして嬉しそうに笑った。
「あら、チャド。久しぶり。どうあれから?」
「おかげさまで!」
 そう言って嬉しそうに笑い見上げてくるのは、十三歳になったばかりのチャドという名の少年だ。元々両親と三人でエイキンの第三区画に住み、第二区画で飲食店を営んでいたが、父親の突然の逝去により母子家庭となった。店は処分したが、手元に残った金は少なく、母親が作ったパオズーやマントウを売って生計を立てていた。しかしながら路上販売するにはそれぞれの縄張りがひしめくのがエイキンだ。販売を見逃す代わりに払えというショバ代の高さに、生計が立ちいかなくなり、無理心中さえ考えていたチャド親子に、飲食店での仕事の口利きをしたのがセシリアだった。
 ちなみにセシルというのはセシリアのここでの通り名だ。
「お母さん、仕事は?」
「毎日行っています! 俺も働かせて貰っているんです。休みの日だけしかマントウ売ってないけど、そっちは小遣い稼ぎ程度になってよかったです」
 目をキラキラと輝かせて嬉しそうにチャドは言った。
 この国の教育は平等ではない。
 空中都市で住民の子供たちはみな一流の教育が施されている一方で、最低限の教育ですら受けられない子供たちが地下都市にはいる。
 同じ性別、同じ年代でも、生活そのものがまったく違う。
 チャドも恐らくまともな教育は一度も受けていないだろう。地下都市にも教育施設はあるが、それはこのエイキンには存在していない。最もこの歓楽街にそうしたものがある方がおかしい。この街は道徳を忘れ、背徳に溺れるような場所だ。教えられるものがあるとすれば、人生の不条理さ、それに尽きるだろう。
 チャドは自分で生きるための術を知っている。労働により賃金を得ることも、力ある物から受ける理不尽な暴力も、今日食べることができるささやかな喜びも。
 漫然と与えられそれらを享受し、疑うことなく生きるだけの、徹底的に管理されたブロイラーのような生き方と、自らが勝ち取り得た物を己が物とし、戦って毎日を生きる明日の保障すらない厳しい生き方か………
 どちらが安全か、というと前者だが、どちらが幸福かというと比べることはできない。
 自由がないことにすら気付かない程、徹底的に管理されているのが幸せだというなら、それも幸せなことなのだろう。
 すべての責任を背負い厳しい環境に身を置くことになっても、自身の決断において生きていく自由がある日々が幸せならば、それも幸せなことだ。
「今度俺が店にいる時に、食べに来て下さい! 俺がおごります!」
 チャドは目を輝かせて嬉しそうに言った。出会った頃のチャドは、不安そうに大人の顔色を窺い、誰も信じられないというような疲れ果てた大人のような目をしていたものだ。
 だが今はあんな暗い影はない。
 毎日を怯えることなく生きることが出来る、それがチャドの表情を変えたようだ。そのきっかけを作ったセシリアに、チャドは感謝していて、それをどうにか形にしようとしているのだろう。
 セシリアはにっこりと笑った。
「あら、ありがとう。でもそれなら先にお母さんに御馳走してからよ」
「母ちゃんに?」
「当然でしょ」
 チャドは恩人に恩返しをしたいのだろう。それをセシリアは感じ取っていた。しかしこの親子の生活が前よりマシになっただけで、決して裕福なわけではない。他人に食事を奢る余裕など本当はないはずだ。
 チャドはセシリアの言うこともわかるけれど、それとこれとは別だろう? そんな事を言いたそうな顔をしている。そんな義理堅い性格に、セシリアは微笑んだ。
「まぁ、あたしへの謝礼なんて出世払いよ。将来大物になったら、すごいご馳走を奢ってもらうために、今は我慢しておくわ」
 そう言うとチャドもセシリアの意図がわかったらしく、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「そう言う事なら、今のうちに頑張って働いて、お金貯めておきます」
「そうしなさいな」
 セシリアが微笑むと、チャドも楽しそうに笑うが、不意に表情を改めた。
「そうだ、セシル姐さん」
「ん? 何か仕事?」
「違うよ」
 トラブルシェーターとしてセシリアはありとあらゆる仕事を請け負う。チャド親子には仕事の斡旋をしたけれど、他の都市へのガイドやチケットの手配、暴力を振う恋人から逃がす仕事もあれば、腕っ節の良さを生かすようなことまでと、いわば便利屋だ。
 中でも一番その腕を買われているのが、他の都市への影響力だ。セキュリティーの厳しいことで有名な海底都市へも出入りし、地上都市でのコネも多い。何かしらのトラブルがあったら、セシルに持ちこめと言われることも多くなってきた。
 もちろん、セシリアにも不可能は存在する。あくまでも請け負えるのは、個人レベルでの話だ。組織的な大事な事となるとお手上げになる。
しかしセシリア自身に不可能なことでも、解決するための糸口くらいは掴んでくる。だからセシリアは重宝されていた。
「なんかガウトとヴィズルが揉めている。今日はあまり奥へは行かない方がいいよ」
「連中が揉めるのはいつものことでしょ?」
 エイキンは歓楽街であり、またそうした意味では娯楽施設も数多く存在する。
 快楽と引き換えに毎日生み出される資金は、二大勢力のマフィアたちの絶好の資金だ。
 そのマフィアのうちの一つがガウト、そしてヴィズルだ。
 元々はガウトがこのエイキンを支配していたのだが、数十年前から新勢力・ヴィズルが頭角を現した。しかもこのヴィズルには元ガウトの構成員が含まれていたため、裏切り者が牙をむいたと見なされ、一族子々孫々皆殺しという血で血を洗うような事件も多かったという。
 そうした経緯から、この二つのマフィアは、エイキンでは常に一触即発な雰囲気を放っている組織でもあった。
「第三区画でも血まみれな事件があったんだ」
「ちょっと、こっちに来すぎね、それは」
 主に第三区画は住宅が多い。つまりエイキンの人間が一番多く生活している場所がそこになる。そこで流血の事件があったということは、一般人が巻き込まれる可能性も高いということだ。
「でしょ? だから気を付けて」
「わかった。忠告ありがとう」
 人を人と見ない連中なのは確かだが、奴らとてそんな人間が存在しているからこそエイキンが歓楽街として成り立つことを知っている。だから不用意に一般人が戦闘に巻き込まれないようにしているのだが、元々が荒くれ者の集団だからか、一度始めれば相手が死ぬまで止めない。この場所は警察が介入できないので、殺人事件は真新しい事件でもない。
 法が行きわたらないのではなく、この場所は、この地下都市は、力こそが正義だ。はむかう者には相手が誰であろうと容赦しない。それが警察であっても軍隊であっても。
 地下都市が壊滅状態に陥れば、その上に展開している地上都市ヒミンビョルグ市にも影響が出る。だからこそ司法は手をこまねいている。
 下手に踏み込めば、被害は免れないからだ。
 何せ地下都市の地図は刻一刻と変化している。乗り物にも制限があれば、外部からまとまった数の人員が一度に急襲できる乗り入れ口がない。メインゲートから行儀よく降り立っていては、地下に到着した途端に待ち構えている連中に急襲される恐れもある。
 また地盤から考えてエイキンの真上の地上都市ヒミンビョルグ市のその一帯は、丁度大手企業がひしめいている一帯だった。地下都市の地盤が揺らぐことがあれば、直接的な影響を受ける。そのため大規模な火力での制圧など不可能だ。地下の魔窟、地下の要塞を取り締まるのは難解なこととなっていた。
 そのため司法は手をこまねく結果となっていた。だからこそエイキンという街はマフィアが支配できているのだ。
「チャドも気を付けてね。じゃ」
「うん、またね、セシル姐さん」
 チャドに別れを告げて手を振る。チャドは地上へ用があるらしい。セシリアが乗ってきたエレベーターに乗り込むために、待っている他の乗客の後ろに並んだ。
 それを見送ったセシリアはその手を自分の頭に乗せて、ショートボブの金髪をくしゃりと撫でた。
「雲行きが怪しいなぁ……って、この場所には雲なんてないけど」
 人工的に地下に掘り下げられ建設されたこの都市は、東西南北に別れながら更にそれぞれに進化しているため、もはや迷宮と言っても過言ではない。トンネル程度の天井の低い場所から、地上なら五階建てのビルがすっぽり入りこむような高さがある場所もある。綺麗に工事され、洗練された建物の内部にいるような区画もあれば、採石場と見紛う程に外壁がむき出しの場所もある。
 初めてやって来た人間はまず迷うし、迷ったら犯罪に遭遇する確率が高い。
 それでも北部・エイキンに足を踏み入れなければ、その犯罪の遭遇率も半分以下に激減するが、西区・シガラに迷い込んで気付いたらまったく興味もなかった、見知らぬ宗教に入信していたという噂話も聞く。どこへ行っても気を引き締めていなければならない、それが地下都市の特徴だった。
「今日は仕事しないで、ちょっとおいしい物でも食べて寝ちゃおうっかなぁ……」
 遠ざかるチャドの背中を見ながら、セシリアは呟いた。
 普段セシリアはエイキンでは生活をしていない。生活の大部分は地上都市で過ごしている。
 いわば地下都市エイキンで過ごす週末は別の顔だ。
 だからこそ素顔を隠し、服装から立ち振る舞いまですべてを変えていた。
 普段は黒いロングのウィッグに、素顔を晒す。一応企業に就職している身なので、着用するのはスーツが主だ。
 逆にここへ来るときは、素顔を隠すサングラスに、地毛の金髪のショートボブ。露出度の高い恰好は、エイキンの歓楽街に馴染むためのものだ。それでいて歩幅が制限されるスカートは履かない。必ずショートパンツにしている。
「はぁ……」
 生粋の地下都市育ちのチャドが危険を感じ取って忠告するくらいなのだから、連中の抗争は相当厳しいものなのだろう。
 世代交代にはまだ早いような気がするが、そうした切欠か何かが存在しているから、表面の対立が大きくなっているのだ。
「それがよさそうね」
 諦めたように溜め息をついて、セシリアは中央区画から北部エイキン、第一区画方面へ向かって歩き出した。

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