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01 幻想夜話

 薄紅の布がついたはたきを振るった瞬間、その戸棚の隙間で羽根を休めていた小鳥が飛び立った。漆黒の翼を広げて天井高くへと舞い上がる。成鳥だが大きさは大人の女性の拳程しかない。口ばしが木の実を食べて染め上げたかのように赤い小鳥だ。
 飛びまわるには自由さを欠いた閉鎖的な室内をくるくると旋回して飛ぶと、自らを追い立てた 主(あるじ)の頭上近くを飛び回った。
 主人ははたきを振るっていた手を止めて微苦笑を浮かべる。
「ごめんよ、クロガネ! そこにいるのを知らなかったんだ」
 はたきを振るった人物、 月乃井ユメは、今も抗議するようにユメの頭上を旋回して飛び回る小鳥に謝罪した。
 真っ黒な黒髪は絹糸のように細く、腰に届く程に長い。それを一本にまとめて、頭上高くから結い上げているので、動くたびにサラリと揺れる。でたらめにさしたかんざしは、細かな金細工が特徴的で、ユメが歩くたびにシャラリシャラと音を奏でていた。
「ごめんって! 本当に知らなかったんだ。許してよ」
 派手なだけで下品なのか、微妙なバランスをとって色気があるのか。
 黒の男性用の甚兵衛を自分用に手直ししたものだが、襟元と袖口は真っ赤なレースが彩っており、大胆に胸元がはだけており、真紅のブラジャーが見えている。ちらりと見えるようなら色気もあろうが、ここまで豪快に出ていると、下品としかいいようがない。しかしながらその豊満ともいえる双丘は、その谷間が随分と深くて色っぽい。
 本来横の紐で結ぶ甚兵衛だが、ユメは赤い腰布で絞るように結んで、脇腹でリボンのように結んでいた。そのためより肌蹴た胸が強調されており、見えているというよりは、見えるように着ているとしか思えない状態だった。
 ブラジャーから零れ落ちそうなくらいの豊かな乳房の左側には、赤い花の刺青が鮮やかに咲き誇る。
 そして首から下げた幾多のアクセサリーが、動くたびにジャラリと音を奏でていた。
 下は黒のショートパンツ。そこからはすらりと素足が伸びる。足首にも鎖状のアンクレットを幾重にもしているために、歩くだけでシャラリと鳴る。
 まったくもって落ち着きのない、ただでたらめに派手なだけの装いだったが、不思議とユメには似合っていた。
 少し目尻の下がった眠たそうな瞳は、鮮やかな紫。今はその目を細めて、飛び回る小鳥に向けていた。
 クロガネは睡眠を邪魔したユメに抗議するように飛んでいたが、やがてユメの頭の上のかんざしの一つに止まった。
 ユメはおや? というように表情を変えつつ、小さく笑う。
「まぁ、そこにいるならいても構わないけれど。あたしは掃除中だからじっとしていないし、クロガネの休憩には向かないと思うけどね」
 苦笑しつつ、ユメは商品が陳列してある戸棚の埃を落とすべく、たすきを振るった。
 ユメのいる空間は、およそ統一性のない品が陳列してある棚に囲まれている。
 中には指輪や時計、年代物のジッポーやアンティークナイフ、もしくは人形や置物など、混沌としている。
 更には空間そのものも、落ち着きを欠いたものだった。
 基本となる造りは完全な和風家屋で、壁はすべて白の漆喰。入り口は土間となっており、すぐに板の間へとなっている。正面入り口を見据えるような形で、漆黒に塗りを施された番頭台があり、その上には帳面と、煙管の道具が一揃えになっていた。
 部屋の中心部には小さな囲炉裏が設置されており、その向こう側には二階へと続く階段があり、両壁面もガラス戸棚となっていて、ずっと上まで続いていた。
 しかし如何せん、照明の色は青。戸棚を照らすのはにぎやかな黄色。
 せっかく落ち着きのある空間を、落ち着かないものにする演出がされてあるうえ、店主たるユメが一番派手で落ち着かない装いだった。
 くるくると跳ね回るように移動しながら、戸棚にはたきをかけて移動する。黒い小鳥であるクロガネは、しばらくは我慢していたようだったが、ゆらゆらゆれるその状態に耐え切れず、再度その翼を広げて飛び立った。
 その様子を横目に見て、ユメは口元に微かな笑みを浮かべる。
「ほうら、やっぱりだめだった。番頭台のところにでもいなさいな」
 ユメの言葉を解したかのように、クロガネは高い天井を飛び回った後、店の正面入り口の番頭台に向かい、羽根を休める。何度か毛づくろいをするように、背や翼の羽毛を赤い口ばしで整えたあと、ぱたぱたと羽根を広げた後、きちんとしまう。
 その様子を見届けたユメだったが、同じく番頭台に置いた煙管盆に視線が止まり、ふと喫煙したい欲求に駆られた。
 金の掘り細工が見事な雁首と吸い口、そして紅色の羅宇。ユメが大切にしている煙管だ。
 それに手を伸ばして口に咥えようとしたところ、番頭台の上でくつろぐことにしたクロガネが、「ちょっと、まだ掃除中でしょ」と言うように、ちょこんと羅宇の上に止まった。この状況で口に咥えることなどできない。
「ちょいと、クロガネ? そこにいたら、煙草に火が付けられないよ」
 苦笑しつつクロガネを見ると、クロガネは煙管を持つ手の指を突いて抗議した。
「あらやだ、さっさと仕事しろっていうの? 一服くらいしてもいいでしょ?」
 だめだめ、そう抗議するようにクロガネはユメの指をツンツンと突く。
「えー、いいじゃない、少しくらい」
 しかし主に睡眠の邪魔をされた挙句、寝床を追われた小鳥は、ささやかながら意趣返しがしたかったのか、決して煙管から退こうとはしなかった。
 早く煙管を置きなさい、というように指先を突く。
「んもう、ケチ!」
 煙管を煙管盆へ戻そうとすると、クロガネは羅宇から降りて番頭台の上に乗った。そしてそれを確認したのち、再度喫煙するべく手に取ると、今度はユメの手の甲に乗ってきた。
「はいはい、わかったわよ」
 諦めて完全に煙管を煙管盆に返せば、わかればよろしいというように、クロガネはユメの手から降りて、番頭台の上に乗った。
 掃除途中の一服休憩をユメが諦めたそのとき、曇りガラスの格子戸が横に引かれて、戸の淵に取り付けられた鈴が、来客を告げるように軽やかな音を立てた。
「こんばんは……?」
「おや、いらっしゃいお客さん」
 入ってきたのは二十台半ば程の青年だ。一人客だったのだが、入り口の暖簾をくぐったその瞬間に、店の雰囲気に呑まれたのか、それとも胸を肌蹴たような格好のユメに驚いたのか、それともその胸の谷間そのものが彼を凍りつかせたのか。
 ともかく帰るタイミングを失った青年は、自分がどんな店に足を踏み入れたのか、まったくわかっていない様子でぐるりと店内を見回した。

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