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15 ナイト・サーカス

 長い間、戦っていたような気もするし、そんなに長くもなかったような気がする。
 夕方離陸し、二時間と少し。第一飛行隊の兵装が尽きる頃には戻ってきた僚機たちが戦闘を引き継いでくれた。ローレンツ軍の動き次第では、基地に戻ったあとに補給を受けてとんぼ返りも予想できたが、ローレンツ側の先遣部隊を完全壊滅に追いやったおかげで第一飛行隊はそのまま帰還することになった。
「あー……」
 キャノピーを開けてバイザーヘルメットを外す。夜風は思った程涼しくはなかったけれど、少し蒸れた頭には気持ちよかった。
 見上げれば星がきらめいている。夜間戦闘の激しい閃光が脳裏から離れない。
「フォックスバット、大丈夫か?」
 呼びかけられて下を見る。戦闘機から先に降りたヨアヒムが見上げていた。基地に来てからはずっと背の高い男たちを見上げてばかりだったオリアーナが、初めて仲間を見下ろしている。
「……うん」
 早く降りなければ。整備士たちはここからがまた仕事だ。わかっているのに、動けない。
「先に行ってて。すぐに行く。ちょっと夜風を堪能したくて」
 そう言って微笑んだけれど、足がまだ震えている。よく戦闘中、ミスをしなかったものだと自分でも思う。
「わかった」
 そう言うとヨアヒムはオリアーナに背を向けた。歩き出してしばらくした後振り返ったけれど、特に何も言わずにすぐに遠ざかって行った。
「はぁ……」
 ヘルメットを抱え込むようにして、シートに足を引き寄せ胸の前で抱え込んだ。そっと目を閉じて、膝に額を押し当てる。
 怖かった。
 でも楽しかった。
 恐ろしかった。
 でも興奮した。
 相反する感情が浮かんでは消え、浮かんでは消えと繰り返す。撃墜したと口では軽く言うけれど、それはつまり人を殺したということで、人を殺した事を楽しんで興奮しているのかと思うと、激しい自己嫌悪も生まれてくる。
 そうしなければ、仲間も守れなかったし、自分も死んでいた。
 カイザーが敵機を撃ち落としてくれなければ、ヨアヒムがミサイルを撃ち落としてくれなければ、あの時死んでいたのは間違いなくオリアーナであり、オリアーナが死んでいれば戦況が長引いていた可能性もある。
 あれからオリアーナは一人で二機撃墜、ヨアヒムと一緒に二機の合計四機撃墜した。相手も手練れだ。まだ指揮が落ちていなかった頃なので、手強かった。
「フォックスバット」
「団長……」
 いつの間に近付いていたのか、そこにいたのはカイザーだった。一度は待機室へ戻ったのだろうが、降りてこないオリアーナを迎えにきたのかもしれない。
「降りてこい」
「イエス・サー……」
 上官にまでわがままを通せない。どうせ、ゆっくりしていられないことはわかっていた。
 立ち上がり、かけられた梯子を下りて行く。最後に飛び跳ねると、まだ震えていた足から力が抜けて尻餅をつきそうになる。
「っ!」
 しかしカイザーが手を掴みとってすかさず支えてくれた。
「あ、すみません、団長!」
 照れたように笑ってみたが、カイザーの目が真剣だ。上官として部下の状態を把握しようとしているのだとわかった。
「やはり初日に久しぶりのフライトで夜間戦闘でしたし腕が鈍っちゃってました。明日からビシバシがんばりますから!」
「……」
 拳を握ってそう言うと、カイザーは手を伸ばしてきた。一瞬身構えると、カイザーの手はオリアーナの肩を軽く叩いた。
「よく頑張った。四機撃墜の報告をサイレントから聞いた。夜間戦闘でこれだけの戦果をあげるとは大したものだ。これからも期待する」
 この日、一番の戦果を挙げたのはカイザーだ。一人で六機撃墜。そのうえ、空母をコントロール不能状態にしたのもカイザーだ。オリアーナのピンチの時も颯爽と現れて助けてくれた。
 誰もが口をそろえて、カイザーはパイロットをよく見ているというのがわかる。
 地上ではぼんやりしていても、空の上では全く違う。空の女神に愛されているとしか思えない。
 あの砲弾飛び交う中でも変幻自在に飛びまわり、狙った獲物を次々に撃ち落とす。口で言うほど簡単な事ではない。
「あ……ありがとうございます!」
「っ!」
 笑顔で敬礼を返した。けれどその瞬間、涙がどっと溢れてきた。それを見たカイザーは驚きに目を瞠っている。
「ど、どうしたんだ? 怪我を?」
 空の上では颯爽とした騎士も、地上では普通の男だ。おろおろしている様子が似合わなくてオリアーナは笑った。
「あはは、なんだろ? 気が抜けたのかな? すみません、団長」
 涙を拭って顔をあげると、すっかり困り果てた顔のカイザーがそろそろと手を伸ばし、子供にするように頭を撫でた。
「よしよし」
「子供じゃないです!」
「いや、とりあえずなだめようかと思ったんだが」
 本気でそう思っていたのだろう。真顔だった。その上で困っている様子がうかがえる。
 空の上にいる時はどんな顔をしているのだろうか?
 その空色の瞳に冷徹な炎を宿し、次々に敵を屠るエースも、今は変に生真面目で困惑している。
「普通そういう時は、黙って抱きしめるものでしょ?」
 そう言って先に歩き出して振り返ると、カイザーは更に困り果てた顔をしている。
「今日部下になったばかりの女性にそんなことをしたら、セクハラじゃないかと思うのだが」
「泣いている女の子を慰めるために抱きしめるのがセクハラって、もしかしてそのままお尻でも触る気だったんですか?」
「まさか」
「じゃぁいいじゃないですか。はい、抱っこ!」
 両手を広げて抱きしめることを要求すると、大きな手が伸ばされて、オリアーナの頭をごしごしと乱暴にかき混ぜた。
「もー! 何するんですか!」
「抱っこ要求なんて子供じゃないか。これで十分だ」
 そう言って先に歩き出す。そんなカイザーの背中を見て自然と微笑んだ。
 あぁ、なんて男だろうか。
 みんながカイザーに信頼を寄せるのがわかる気がした。たった一日でオリアーナも心を奪われる。この人について行きたい。この人の行くところなら、どこへだっていけるし、きっと生きて帰って来られる、そんな自信が湧いてくる。
 その逞しい背中に駆け寄り、オリアーナは軽くカイザーの背中を叩いた。
「じょあ、おんぶしてください」
「自分で歩け」
「けち!」
 そう言いながら隣りに並ぶ。見上げたカイザーの頬には笑いの余韻が宿っている。
「じゃぁ、リクエストはレッドファングに譲るか? 今回撃墜数が同数だったので、着任したばかりのフォックスバットに譲るかとレッドファングは言っていたんだが?」
「団長太っ腹! 大好き! 愛してる!」
「現金だな」
 そう言いながら笑うカイザーとオリアーナの視線の先で、仲間たちが手を振っていた。
 オリアーナは手を振り返しながら、この基地に、この飛行隊に来てよかったと心から思った。
 そしてカイザー・オロフ・エルセンという男に出会えたことを、心から感謝した。
 空の王に出会えたことを。
 彼の部下になれたことを……


スカイロード―ナイト・サーカス―完

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