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04 幻想夜話

 指輪や時計、その他のアクセサリーなどはもちろんあったが、傘や杖などといった品までショーケースに納められている。質屋のイメージとして、金目のものや流行遅れのブランド品が並べられていると思っていたが、少なくともここは主人の趣味によるものなのか、他の店の商品とはまったく違うものらしい。正直金銭的な価値が高いものがあるようには思えない。
 そういえば、「特別な品しか引き受けない」と言っていた。金銭的な価値がなくとも引き受けているという事か?
 そこまで考えてはたと思い出す。
「ねぇ、品を売ったら願いをかなえるって、どういう意味?」
 ガラス戸のショーケースを背にして零斗は振り返った。囲炉裏にかけた鉄瓶から熱湯を注いでいたユメは、目尻の下がった瞳をさらに細めた。
「そのままの意味さ。特別な品を預けて貰うのだから、ただ金を渡して終わりになんてしないという事さ。お兄さんにも望みがあるのかい?」
 ユメが顔を上げた。それまでどうしても赤いブラジャーや白い胸にばかり視線が向いてしまい、あまり見てはいけないと顔を逸らしていた結果、零斗はユメを直視することはなかった。
 だが今、真正面から見たユメの瞳は鮮やかな紫に息を飲む。それは宝石のように透き通った紫水晶の輝きを放つ、光のように艶やかなものだった。
「望み……」
 その瞳から視線を逸らすことが出来ない。魅入られたようにユメの瞳を見つめ続けた。
 ユメは目を細め、口角を上げて密やかに笑う。
「そうさ、望み。人間なんていつだって何かを願う生き物。でも大抵は叶っても叶わなくてもよかったり、自分で努力して勝ち取れるもの、またそうでなければ意味がないものまで様々さ。でも中には自分の努力だけでは、そして誰かの協力があっても、それでもどうにもならないものがある。もちろんあたしも全知全能の神じゃぁない。できることとできないことがあるけどね? でも望みを口にするだけならば、誰にでも許されているんだよ」
 一瞬どきりとしたが、あぁ、なんだそんなことかと安心する一方で、ひどく残念な気持ちにもなる。どんな願いでもかなえてあげる、というわけではないようだ。もっとも零斗の望みをかなえることなんてきっとできないだろうが。
「さぁさ、お茶が入るよ。ここへ。それから聞こうじゃないか、お兄さんの望み。買えるものならば、あたしが買い取ってあげるから」
 当初の戸惑いを忘れ、零斗はユメの前に座った。立ち上る緑茶の爽やかで、そしてどことなく甘い香気にほっとする。
「売れるものなんて何一つ持っていないよ」
 お茶に手を伸ばそうとしたとき、それまでずっと零斗の指を宿り木代わりにしていたクロガネが、羽根を広げて飛び立った。そしてユメの頭の上に止まった。
「でも望みならあるかな」
 そう言って自分の手をなんとなく見つめる。
「師匠の音を忘れたいんだ」
「へぇ?」
 ユメは口角をかすかに吊り上げて笑った。それから番頭台に置いたままの煙管盆ごと持ってくると、また煙管を手に取り火皿に刻み煙草を詰め込んだ。
「でもお師匠さんの音がすばらしいから、お兄さんは弟子になったんだろう? なんの楽器かは知らないけれど」
「あ……」
 零斗ははじかれたように顔を上げて、ユメを見た。
「俺は津軽三味線演奏家の木田柳零翔、本名は松井零斗。師は木田柳翔樂という津軽三味線の演奏家なんだ」
 三味線そのものは日本各地に伝播し、それぞれの土俗の融合を果たし独自に発展した弦楽器であるが、この津軽三味線という三味線はその中でも群を抜いて異質な存在だった。
 元々はボサマと呼ばれる男性の視覚障害者の門付け芸能であり、民家の軒先に現れて演奏しては、食べ物を恵んで貰い金銭を得るなどし、長きに渡り蔑まされたものだった。
 やがて時を経て津軽三味線はボサマたちの間で競うものとなっていく。爪弾くものだった奏法は弦を叩くような打奏法となり、大きな音を響かせるため、棹は細棹から中棹、そして太棹へと変わっていく。そして流れるような早い調子で弾くために、小ぶりのものが好まれるようになる。
 こうして津軽三味線は独自の進化を遂げて、他の民芸とは異なる音楽へと変わっていった。
 また津軽三味線には楽譜がない。
 それというのも、元々は視覚障害者であるボサマたちの門付け芸。目の見えぬ彼らには楽譜などそもそも無用だったのだ。その名残として楽譜がない。現在では楽譜に起こして津軽三味線を教える流派もあるが、流派に属さない演奏家は今も口伝であることが多い。
 耳で聞いて曲を覚え、目で見て弦の押さえ方や撥捌きの技術を盗む。そして音を一人で作り上げるものである。
 そしてその流派そのものの歴史も浅い。近年に入り組織化されたものがほとんどであり、古くからの伝統を受けついてきた流派は少ない。そのためどれ程すばらしい演奏家であっても、弟子を取らずに一代で生涯を終える演奏家も数多くいた。
 閉鎖的であり、頑なでもある。津軽という土地の気質そのもののような津軽三味線だが、一度懐に入れるとその分人情に厚い世界だ。
 冷涼たる冬の冷たさ厳しさと、広い大地をなすがままに受け入れる懐の深さ。
 それが津軽三味線というものであり、その土地に生まれた楽曲の気質でもあった。
「ではなおのこと、忘れちゃいけないものなんじゃないの? 津軽三味線は独特な演奏法をするというじゃない。師匠さんのその音も、なくしちゃいけないものだよ、きっと」
 ユメは火皿に埋め火を移した。深く吸い込んで、目を閉じる。一泊置いてから静かに目を開けながら、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
 紫煙はゆるりと空気に溶け込んでその姿を消していく。
 零斗は寂しそうに、しかしどこか嬉しそうな、反する感情を内包した眼差しを湯飲みに落とした。ゆらりと揺れるお茶の水面に、頼りない姿が溶け込んでいく。

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