06 ナイト・サーカス
微妙な気持ちで手のひらの飴を見つめていると、ヨアヒムもハーマンもすでに口の中に転がしている。一人だけ食べないのも、かえって子供っぽい意地を張っているように見られる気がして、オリアーナは飴を口に放り込んだ。
爽やかな柑橘系の味だった。
「ところでフィッシャーマン。団長のタックネームが思い出せないんだけど、なんだったか覚えてる?」
ハーマンは年上だろうとなんだろうと、あまり気を使わないらしい。階級が少佐であっても自分のペースで話しているが、バリー少佐は怒るどころか普通にしていた。
彼の人徳という気もする。ハーマンはなんだかすぐに打ち解けてしまうような気さくさが感じられた。
フィッシャーマンことバリー少佐は、ハーマンの問いかけに頷き、すんなりと教えてくれる。
「ゴーストだろ?」
「そうだ、それだ!」
ようやく納得したというにハーマンは頷いた。
そしてオリアーナはあの生真面目だが、どこか鈍そうなカイザーを脳裏に思い浮かべる。
ゴースト……しっくりくるような、ぴんとこないような微妙な気持ちだ。
「俺なんかは前の前の基地でも一緒だったからな。地上じゃぼうっとしていて、下手すりゃ気配感じないし。空に上がればゴーストを量産する撃墜王だ」
「噂はそりゃ聞いているんですけど、なんか正直ぴんときません」
なにせハーマンがきっちりとデスサーカスの憧れを砕いてくれた。空にいる時のイメージが浮かばなくなってきた。
そう言うと、バリー少佐は声を出して笑った。
「まぁ、そのうちわかるさ。あいつはさ、パイロットになるために生まれたような奴だ。あいつから戦闘機を取り上げたら、きっと死ぬだろうよ」
大抵のパイロットは同じようなことを考える。自分たちが空軍の中でも選ばれた一握りの人間であることを誇りとし、そして強い空気抵抗をその身に受けて、呼吸すら苦しくなるあの空間の中で、誰よりも解放感を味わう。誰よりも空を感じられるあの場所を、何よりも愛している。
戦闘機に乗り、敵を撃破すること、敵地に空爆を行うことは、誰かを殺していることだとわかっているのに、その瞬間に最も興奮するどうしようもなくイカレた自分たち。
いつか年老いて退役するくらいならば、空で撃墜されてしまってもいいという、他の軍人では考えられない破滅的な思考を持つパイロットも多い。
「わかるな、それ。たぶん団長に、これから一か月戦闘機に乗るなといえば、一週間は耐えられても、それを過ぎたら戦闘機を強奪しそうだ」
同意するようにハーマンもそう言って笑った。
乗れなくなると余計に乗りたくなるという気持ちはわかるけれど、それほどまでなのだろうか?
男女の考え方の違いかな? と漠然と思った。
カイアナイト空軍では、確かにパイロットの比率は女性が少ない。しかしいないわけではないし、カイアナイト空軍で見ると、かなり多くの女性兵士たちが従軍している。
だがやはり戦闘機パイロットとなれるのは一握りの人間だけだ。その一握りの人間たちになるには努力だけではどうにもならない。
パイロットの多くが男性だが、実はパイロットの適正は女性にあると言われている。それはブラックアウトを起こしにくい点だ。
ブラックアウトとは、大きなG(空気抵抗)がかかった時に下半身に血液が集中し、上半身、心臓や脳に血液の循環が少なくなり、視野狭窄から失神してしまう症状を言う。
血液量の多い男性の方が、ブラックアウトを起こしやすい。それを防止するためにパイロットは耐Gスーツの性能で、空気圧で膨らまし下半身に装着されたベルトを引き締め、血液の循環を一定に保つ性能があるものを着用する。
そのための訓練も受けてはいるが、それでも体調によってはブラックアウトを起こすこともある。
当然飛行中に失神し、操縦不能となった時、撃墜される恐れもあるが、墜落、もしくは友軍機に追突する可能性もある。
オリアーナがまだ訓練をしていた頃に何度も経験がある。あれは一瞬で落ちる。負荷が弱まれば意識は回復するけれど、意思の力ではどうにもならない。すっと冷たい血液を頭から流されているような錯覚を覚えた頃にはもう意識がない。実際には血流が巡っていないから、酸欠でそうなっている。
パイロットはこうした対G訓練を受ける。人工的に強い負荷がかかる環境で耐える訓練をする。これに耐えて慣れることができなければ、この時点でもうパイロットにはなれない。ここで脱落した仲間たちも多い。
「それにぼうっとしているように見えて、パイロットのことはよく見ているんだぜ」
ハーマンがそう言うので、きっとそうなのだろうが……どうも執務室での印象が強く残ってしまったようだ。
どうにも印象が不確かな人物になってきた。真面目で勤勉、空の撃墜王、でも地上ではぼうっとしていて、それなのにパイロットのことはよく見ている?
極端な印象が集まりだして、噂で聞く「デスサーカス」のイメージから離れていく。
「変な人なんですねぇ、団長さんは」
「違いねぇ!」
ハーマンはそう言って楽しそうに笑った。オリアーナとしては、いったいこれからどうしたものかと頭を悩ます問題だった。
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