11 運命の女
ロニーは目を見開いた。間違いない、あれはセシリアだ。まだこちらに気付いた様子はない。入って来るなり、メニューが表示された電光掲示板を見上げている。
「セシル!」
「おわっ!」
テーブルを軽く蹴り上げてしまい、慌ててスペンサーがテーブルを押さえつけた。謝る暇もなくロニーは立ち上がり、入り口付近にいたセシリアに向かって走り出した。一方セシリアは名前を呼ばれたことに気付いて、周囲を見回していた。目立つロニーの染めた赤い髪と、猛烈な勢いで駈けてくるのに気付いたらしく視線を向けた。
「あぁ、えーっと何だっけ? あ、ロニーだ。ロニー。どう、傷の調子は?」
セシリアはそう言って笑顔を向けた。ロニーはセシリアの前で立ち止まりしげしげと見つめた。とりあえず見ただけで嫌悪感は湧かない。前に来た時と同じような恰好だ。キャミソールにショートパンツ。そしてショートブーツ。素顔を隠すサングラスもしている。
他の女は見ただけでぞっとするときはぞっとする。覚悟を決めたように一度深呼吸をしてから、ロニーはセシリアを抱きしめてみた。
「ちょっと!」
「……」
驚いたようではあったが、セシリアは抵抗しなかった。正確には抵抗しても振りほどけないと知り、諦めたようであったが。
「あんた女嫌いだったんじゃないの? いつからそれを返上したのよ?」
耳元でセシリアの声がする。少し呆れたような、それでどこか苦笑しているようなそんな声色だった。身長が高いセシリアらしく、耳に心地よいアルトボイスが新鮮に聞こえた。
抱きしめてみれば、いくら多少は鍛えていようとも、セシリアは男に比べると華奢だ。細いし、何より女性特有の柔らかさがある。加えて胸が当たる。何とも言えない感触がする。男にはない感触なので例えようがない。これが気持ちいいのかどうかと聞かれても、女をまともに抱きしめるのが初めてなのだから、ロニーにはよくわからない。どちらかというと慣れない分、気持ち悪いような気はする。気絶した時はこれに顔を埋めていたようだが、それについてはほぼ記憶にない。慣れれば他の男たち同様に、気持ちいいと感じるようになるのだろうか? とロニーは頭の片隅で考えた。
「返上してねぇよ。女は相変わらず嫌いだ」
セシリアとの身長差があまりない。それどころかセシリアの方が少し高いかもしれない。
そのため必然的にセシリアの耳元で、うんざりしたように言い返した。
「じゃ、これはなにかしら? まだあたしをおかまと思っているの? それとも拒絶反応が出るかどうかの試験薬代わりにしようってわけ?」
セシリアの声色に怒気が宿る。ロニーはセシリアを解放し、自分のシャツの袖をまくってみてみた。特に反応はなかった。
するとセシリアが平手でロニーの頭を叩いてきた。
「あたしは試験薬じゃない!」
「ってぇな」
目の前のセシリアを改めて見てみる。手足は晒し、どちらかというと胸が強調されている気がするという点では、娼婦と大差のない恰好だ。しいて違う点を挙げるなら、足元がハイヒールやミュールではなく、ショートブーツという点だけだろうか?
サングラスも違いのうちだが、素顔はすでに見ている。それを隠そうと晒そうとロニーにとって変わりはない。
「おまえさ、他の女と何が違うんだ?」
そう問いかけると、セシリアは長い溜め息をついた。
「あたしに聞かないでよ。前にも言ったけど、あんたのそれは自家中毒だって。思い込みよ。現にあたしに触っても、触られても平気なんでしょ?」
そう言ってセシリアが両手でロニーの頬を包み込むように触れてきた。男の手と違って指が細くて柔らかく少し冷たい。
こうして触れられていてもまったく平気だった。気持ちの悪さも込み上げないし、蕁麻疹が出そうな気がしない。
セシリアは自家中毒の思い込みというが、他の女との相違点がわからないのに、なぜセシリアだけは平気と思い込めるというのかとロニーは思う。
「なぁ」
「ん?」
ロニーはセシリアの両手を掴んで引き寄せ、そのままキスをしてみた。サングラスがぶつかって、反射的に顔を放した瞬間に、思い切りセシリアに足を踏まれた。
「いてぇ!」
「あ、あんたねぇ……もう放しなさい!」
セシリアは手首をひねってロニーの拘束を逃れ、荒い足取りで店の奥へと歩きだした。
「待てよ、セシル」
「呆れた。あんたのそれ、あんたは実験のつもりでも立派なセクハラよ! この温厚なあたしでも怒るんだからね!」
「温厚って誰の話だよ?」
すぐに拳を振り上げるような気がしてそう言うと、予想したとおりに振り向きざまに拳を繰り出してきたので、ロニーはそれを手のひらで受け止めた。
「温厚な人間はすぐに拳を出さねぇと思うけど?」
そう言ってニヤリと笑うと、セシリアは片方の口角を吊り上げた。振り払うようにして、ロニーの手から逃れる。
「安心なさい。あんただけよ。って、なんでついてくるの!」
サングラスに隠れて素顔は見えない。けれどもセシリアが怒っているのはわかる。けれどもセシリアに怒られても腹が立たない。それどころかもっとセシリアの声が聴きたいと思った。
触れても気持ち悪くない。
唇が触れるだけのキスも悪くはなかった。
もう少し深く長いキスも試してみたいが、今それをやったら確実にこの場で乱闘になりそうなのでやめておく。まだ傷も完治していない。これ以上の冒険も今のところは必要ないだろうと自分に言い聞かせる。
「いいじゃん。俺も飯食いに来たんだし。っていうか、向こうのテーブルで食おう。奢るから」
そう言ってもう一度後ろから抱きしめてみた。やはり嫌ではない。鼻先にセシリアの髪から立ち上る、微かなシャンプーの芳香がする。悪くはない。香水よりもこうした仄かな香りの方が心地よかった。香りを嗅ぎたいと思ったのと、男として正常な反応として首筋に唇を寄せる。するとセシリアは身をよじった。
「ちょっと! いいかげんにしなさい! あたしは一人で食べるんだから!」
ロニーはなんとか突き飛ばそうとするセシリアを腕の中に閉じ込めて、セシリアの肩に顎を乗せる。人に慣れない猫みたいだなと思う。そう考えると、ふらりと現れてふらりと消えるセシリアは、まさしく猫のような女だなと思う。
「ロニー! おまえのメシ来たぞー!」
「今行く!」
スペンサーの声に応えるようにして叫んだ。肩越しに振り返って見ればスペンサーはニヤニヤと笑っていた。先ほどの話を蒸し返せば、セシリアに惚れたのか? とでも言いたいのだろう。
「よっ!」
ロニーはセシルの腰を掴んで持ち上げた。
「きゃぁっ!」
暴れ出しそうだったので、ロニーはセシリアを肩に担いでスペンサーの待つテーブルへと向かって歩き出す。
「ちょっとこの馬鹿! 下して!」
「セシル、俺まだ傷塞がってないから暴れられると痛い」
「だったら下せばいいでしょ!」
店内は騒然となっていたが、倭刀を引っ提げているだけでもロニーの職業を明示しているようなものだったので、誰も逆らう者はいなかった。
いるとすれば担ぎ上げられているセシリアだけで、抗議するように背中を軽く叩いていた。しかし撃たれた場所を考慮して、強くは叩けない。
スペンサーの待つテーブルまでやってくると、スペンサーはおかしそうに笑っていた。
「また会ったな、姐さん。この間はロニーが世話になった」
「この状況で世間話できると思って? 先に止めてよ、こいつを! 第一これで女嫌いとか、認めないわよ、あたし!」
叫ぶセシリアを下すと、今にも殴り掛かってきそうだった。
「思ったんだけどさ、セシル」
「何を! 女嫌いが治った? それならよかったわね!」
セシリアに向き直ると、サングラス越しに睨んできた。けれどロニーはそれに怯むことはなかった。
「治ってねぇよ。他の女はどうしてもダメだ。気持ち悪いものは気持ち悪い。だから思ったんだけど。セシルは俺の運命の女って奴だと思う」
そう言ってロニーは席に着いた。
「は?」
「あ?」
するとスペンサーとセシルは、まったく同じタイミングで唖然とした表情でロニーを見た。
「セシルだけが俺の特別だ。今それを確認した。間違いない」
そう言うとセシリアは可哀相なものをみる仕種でロニーを見下ろしたあと、スペンサーに視線を移した。
「ちょっと、撃たれたところは脇腹と肩だけかもしれないけど、あたしとぶつかった時に頭を打ったのかもしれないわ。頭は医者に見て貰った?」
「あ、いや、その……」
セシリアの視線を受けてロニーを見たスペンサーは、再度視線をセシリアに移す。
「頭の方は……」
「目の前で堂々と失礼だな、おまえら」
注文していたタンメンを啜ると、セシリアは額に手を押し当てて、首を振った。
「今時、夢見がちな空中都市の女学生でも「あなたは私の運命の相手よ!」なんて言わないわ」
「俺はそういう憧れじゃねぇ! 事実だ」
そう断言すると、ますますセシリアは呆れたような溜め息を漏らした。今サングラスを外すと、憐れむような目つきで見下ろしているかもしれない。
「まぁ、運命かどうかは知らねぇが、ロニーはあれからずっと姐さんを探していたのは確かだよ」
スペンサーが口添えしてくれたが、セシリアの呆れた態度は変わらない。
「探していたところで、今と同じでしょ? 他の女とあたしの違いを知りたいから探していたんだわ。実験しようと思って。違う?」
「違う。実験じゃなくて確認だ。とりあえず座れって。あ、スペンサーの隣じゃなくて、俺の横な」
「やぁよ。マフィアの連中とご飯食べていたら、誤解されるわ」
そう言ってテーブルから離れていこうとするので、ロニーは手を伸ばしてセシリアの手首を掴んだ。
「じゃ、俺今日でガウト辞める。これからはセシリアといる。スペンサー、ボスにそう言っておいて」
「言えるわけねぇだろ、馬鹿か!」
「馬鹿よ。どう見ても」
スペンサーの台詞に真顔でセシリアが追い打ちをかけた。ロニーはその二重奏を聞きながら渋面を作った。
「……んとに、失礼な連中だな、おまえら」
「馬鹿な事ばかり言うからでしょう?」
仕方なくという様子でセシリアが隣に座ったので、ロニーは手を放してタンメンを食べることに集中する。
「あんたがガウトを辞めるのは止めないけど、あたしは一人の方が身軽なの。それに週末しか来ないし、もう一つの仕事が忙しければやはりエイキンには来ないわ。誰かと組んで仕事をする気はない」
「でも俺に出来ることあったら言え。こいつの扱いには自信がある」
そう言って倭刀の鞘を叩くと、セシリアは長い溜め息をついた。
「あんたらみたく簡単に殺すとか殺されるとか、そんなヤバイ仕事はしないわよ。マフィアを頼るくらいヤバイ状況なら、イヤールクに仮を作ったほうがマシ」
「あいつら金次第で直後には敵になることもあるぞ?」
「それが契約ってものでしょ。そっちのほうが後くされなくていいわよ」
ずれたサングラスを押し上げて、セシリアが疲れたように言ったところでスペンサーの頼んでいたワンタンメンが運ばれてきた。
「あー、あたしにはチャーシューメン頂戴」
運んできたウェートレスにそう注文して、セシリアは再度深い溜め息をつくのを、隣りでロニーは聞いていた。
セシリアもスペンサーも馬鹿というけれど、自分にとってこれほど特別な女が現れれば運命だと思うのは仕方ないだろうと思う。
今のロニーにとって重要なのは、そこだけだった。
そのためには今よりも、もっとセシリアのことが知りたいと思うロニーだった。
運命の女 ―完―
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