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07 さよなら、僕の平和な日々よ

 試合の前半はぼろぼろだった。原因はやはり僕のせいだろう。試合の流れにまったく慣れていない僕は、頭ではわかっているものの、体がついていかないのだ。体力的にではない。ついていけないのはスピードと、動きのキレだ。
 普段遊びや授業でやった程度のものは、しょせん球取り合戦だ。ルールなどおかまいなしに、ボールが渡ったたらゴールするだけ。
 ルールのほとんどを知らない僕は、もちろん反則の嵐で、あと一回反則したら退場だ。
 僕が違反を取るたびに、稲元は泣きそうな顔でルールについて説明してくれたが、せめて事前に教えておいて欲しいものだ。
 しかしハーフタイムの休憩を挟んでから、僕の動きは前半とは変わった。
 単純かつ明快だが、バスケの基本を無視した動きになったのだ。
 というのも、僕は幼い頃から合気道と空手を習ってきた。こうした格闘技をしているものなら、誰もが自分の制空圏に敏感になる。制空圏とは自分の腕や足が届く範囲のことをいう。この制空圏に人が入れば、最大限に攻撃できるが、逆に言えば向こうも自分の射程距離に、僕を置いたということになる。だからボールを取られる。
 僕はこう考えることにしたのだ。
 制空圏内に対戦高の選手を入れなければいいんだと。
 そうすれば僕は楽に試合ができるじゃないか。生憎、フットワークは軽い方だし、体のさばき方もキレはいい方なわけだし。
 というわけで僕はパスされたボールを受け取ると、制空権に人を入れないことだけを年頭に走った。そして向かうところ敵なしとういう状況の元、楽々ゴールを決める。
「柿本ぉ!」
 稲元が興奮しきった様子で僕に抱きつき、背中を容赦のない力でバンバン叩くと、今にも鼻水をたらしながら泣き出しそうな顔で僕を見た。
「おまえバスケの才能あるっ!」
 顔、近い!
 のけ反る僕に、更に近付く稲元。僕は遠慮なく稲元を引き剥がす。稲元は気にした様子もなく、相変わらず感極まった笑顔でうんうんと、一人で頷いていた。
「いや……そう言われてもね」
 対戦高のボールでゲームは続いている。僕と稲元もゴール下へと向かう。
「あるって! 現に見ろ!」
 稲元はスコアボードを指さした。スコアは七十六対七十で、僕らが負けている。だが前半終了時には六十対三十一だったのだから、驚異的な反撃だろう。しかも向こうは何回かメンバーチェンジをしているが、こちらは全員がフル出場だ。
「こりゃ勝てるかもしれない、いや勝てる!」
 そう言って稲元はぐっと拳を握りしめていた。
 こいつは現実を見ているのか、見ていないのかいまいちわからないな。勝てるかもしれないとか、勝てるとかじゃなくて、勝たなきゃならないゲームなんじゃないのか? まぁ?前半の僕の動きに失望していただけに、嬉しいんだろうけど。
 しかし僕の動きがよくなれば、当然マークはきつくなる。ラスト五分はまったくゴールすることはできなかったが、かわりにノーマークになった稲元がスリーポイントで活躍した。
 勝敗は七十八対七十九!
 これで勝負は決まった。そう、僕らの勝ち!


 そりゃもうみんな大喜びだ。特に僕を連れてきた稲元が喜んでいた。
「すげぇよ! マジに勝ったぜ!」
 試合後の部室で、稲元は自分が脱いだユニフォームを片手に絶叫した。
 こいつ……こんなに熱血系だったのか。
 クラスメートの新たな一面を見つめながら、僕も借り物のユニフォームを脱いだ。
 うへ、汗臭い。
 というより、この部室内が異様な臭気に満たされていた。懐かしいような臭いだな。だが思い出したくないのも事実。
「柿本、感謝するぜ!」
「感謝されよう。ところで、タオル貸してくれない?」
「俺のやつでよけりゃ」
 柿本が自分で汗を拭いたものを差し出した。うわぁ、嫌だなぁと思っていると、マネージャーの八木が洗濯されたタオルを差し出して、さらにみんなにてきぱきとスポーツドリンクを配り出した。気が利くなぁ。
「ありがと」
 短く言って汗を拭きつつスポーツドリンクに口をつけると、自分が思っていた以上に、体は水分を欲していたらしい。僕はごくごくと半分以上を一気に飲んだ。
「……っはぁ!」
 なんてことのないスポーツドリンクなのに、今までで一番うまい物の気がした。
「稲元、約束忘れんなよ?」
 さぁ、喉は潤したし、次は腹を満たす番だ。稲元はにっこりと微笑んだ。
「もちろん奢るぜ、納得バリュー」
 納得バリューだと?
 これはまさに寝耳に水だ。話が違うじゃないか。
「おい、食い放題じゃなかったのか?」
 すると柿本は僕の肩をぽんと叩くと、神妙な面持ちで告げた。
「……柿本……本当に感謝している。しかし俺の財布は月末なんだ」
 よくわかる表現だった。十代の男子高校生たるもの、食欲は旺盛だ。帰宅前に買い食いしたって、自宅でご飯は食べられるし、小腹が空けば夜食だって食う。
「わかったよ………しょうがない。それで手を打つよ」
 胃袋に足りない分は、自腹を切るしかないか。
「悪いな」
 まぁ、おごりなのは事実なんだから、ここで手を打つしかない。
 僕はもう一度タオルで体を拭いてから、着替え始めた。他の部員たちも着替え始めていた。
「俺……柿本って、もっとつき合いにくいやつだと思っていた」
 そう口を開いたのは同学年の北山というやつだ。何組なのかもわからんが、顔を見たことはある。
 僕は苦笑した。まぁ、接点がなければそう思われても仕方がないか。
 僕は特に部活動もしていないし、積極的に話しかけるタイプでもないので、クラスが違うと話す機会もない。別に人間嫌いでもないんだけれど、僕は妙なところで蛋白に出来ているようだ。わざわざ休み時間に用もないのに、別のクラスに行かないので、案外こうした連中がいたりする。
「だろうね。僕にまつわる噂はいいものじゃないし」
 切れると恐ろしいとか、なんとか。噂を払拭するために否定しないものぐさな性格が、誤解を更に広めてしまったことを、本当は知っている。
 でもそんな噂を鵜呑みにせず、普通に話しかけてくれる奴らがいるおかげで、僕はまぁ、こいつらがいるからそれでいいやと、そう思っていられるのだろう。
「子供の頃から合気道と空手をやっていてさ。空手は辞めたけど、合気道は今でもちょくちょく道場に顔を出してんだ。中学のとき先輩とのいざこざで、噂が尾ひれついて大きくなっちゃって。否定するのも面倒だしって放っておいたら、更に大きくなっちゃって。別に僕は自分から喧嘩したことなんてないんだけどね」
 これは本当に事実だ。僕は好戦的な人物に育てられた反動で、非常に友好的で平和な人間に育ったのだ。やはり僕の性格が元々穏やかだからだろう。
 そう、人間平和が一番だよ。好きこのんで喧嘩するやからなんてろくな奴はいない。

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