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36 僕の平和が遠ざかる

 こうしてみると……入院生活というのは暇だ。
 一般病棟は大抵大部屋だ。金持ちではない、ましてや臨終間際でもないにかかわらず、僕に与えられた病室は、完全に個室だった。そのため、話し相手などいなかった。
 広さは六畳程ある。テレビや冷蔵庫などの基本的な装備品はもちろんあるが、トイレと洗面所も付いている。今時の病院は待遇がいい。見舞いに来た、というよりも事情聴取にやってきた田崎さんにそのことを言うと、特別室なんかはもっと広いし風呂も付いているし、エアコンも装備してあるから、ここはまだ然程リッチってわけじゃないよ、なんて言って笑っていた。
 そもそも風邪や捻挫などの軽い怪我以外では、病院に訪れることのない僕にしてみれば、入院経験なんて初めてじゃないのだろうか? 少なくとも僕は幼いころに入院したという記憶がない。
 運ばれた先はもちろん警察病院らしい。というのも、僕はこの部屋を出歩くのも一苦労だ。窓は付いているので見下ろせるが、換気ができる程度にしか開かない窓。扉は鍵がしてあるわけじゃないが、護衛と称する見張り役が常に一人。軟禁されているような気分だが、病室を出歩くと、必ず僕の後を付いて来た。売店で暇潰しの本を買うだけでも、チェックされているようで、正直気分が悪い。
 だがそれも明日までの辛抱だ。
 頭部の負傷のためにCT検査などの精密検査をいくつもうけたが、そのどれも異常がなかった。一つ悲劇があるとすれば、切れた頭部を縫合するために、その傷口の周辺の髪の毛を剃られたことだろうか? もちろん今は包帯が巻かれてあるし、髪を下ろしていれば隠れて見えないようだが、なんだが切ない。髪の毛が薄い人は、これ以上の思いをしているんだろうかと思うと、今度からはハゲとは呼べないなと、痛切に思う。
「ふぅあぁぁ……」
 窓の外は快晴。あぁ、暇だ。
 美佐子さんは今頃アメリカだろう。ジューンも無事についたらしい。僕は直接連絡を取れなかったが、田崎さんがそれを教えてくれた。
 学校へは風邪をこじらせているので、しばらく休むと連絡したが、それで頭を怪我して登校することになるんだから、どう言い訳をすればいいんだろう? やっぱり熱を出してふらふらして転んだというのが妥当か?
 ぼんやりと窓の外を見ていた僕の耳に、ドアがノックされる音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
 医者か看護婦か田崎さんか。
「暇だろう、良一君」
 やはり来たのは田崎さんだ。その手にはダンボール。
「ポータブルDVDプレーヤーと、映画を適当に持ってきたから、暇ならこれでも見るといいよ」
「助かります、すみません」
 部屋にテレビはついている。しかし午前中のテレビなど、然程面白いものなど入っていない。同じ暇潰しをするなら、映画を見ているほうが断然ましだ。
「いやいや、いいんだよ。あと一日とはいえ、君には大分窮屈な思いをさせているから」
 なにせ、立ち回りを演じた相手が相手だ。そのため、僕の行動は現在警察の監視下に置かれているようだ。
 あぁ、美佐子さんのことがばれると、僕も犯罪者の息子……いや、もしかしたら僕までも犯罪者に?
 しかしベッドに座ったまま上目使いに見上げる先に、最も社会的に立場が危うくなりそうな人がいるから大丈夫だろう。
「ところで、今少し話しても大丈夫かな?」
「いいですよ。回診はまだですけど、多分午後からだと思いますし」
 あれ?
 そういえば、どうして扉を閉めないんだろう?
 いつもは見張りに立っている人が閉めてくれるのに。
 僕の視線が扉の外に向けられたことに気付いて、田崎さんは微笑んだ。
「いいかい、すべて正直に答えるんだよ?」
 何、その意味深発言は?
「え?」
 なんだろう、悪寒が……
「そろそろ、いいかな?」
 うわ、低音のいい声。誰だ?
 入ってきたのはダークスーツに身を包んだ男性。年齢は四十台前半程だろうか? 一般庶民の僕でも仕立てがいいとわかるスーツを着こなす様は、まるで俳優のようだ。引き締まった体躯が、大人の男性の魅力を如何なく発揮している。
 うわ、すっげぇ格好いいんだけど。
 これぞ男のダンディズムって感じ。
 ただ金のかけたものを身につけているわけじゃない。自分に似合った色、自分を引き立てるデザインのものを選んでいる。そして完璧に着こなしている。
 そしてやたら格好いい。なんだ、この人は?
 後ろに撫で付けた黒髪、自信に満ちた瞳。
 そして無意識のプレッシャー。
 オーラのある人間って、こんな感じなのだろうな。
「こちら、警視庁警備部長で 田崎義信警視監」
 田崎?
 聞いたことがあるぞ。現在の警視庁長官も田崎姓。警察界には田崎一族の影響力は強い。もちろん田崎さんもその中の一人だ。自分ではおちこぼれを装っているようだが、この人だって計算高くて侮れない。
「こちらが、先程話した柿本良一君」
 田崎さんが僕を田崎警視監に紹介した。僕は少し頭を下げて会釈した。
「ど、どうも……」
 すると田崎警視監はうっすらと微笑みを浮かべた。
「噂は 守から聞いたよ。大活躍だったね、柿本君」
「はぁ……」
 こここ、怖いっ!
 うっすらと浮かべた笑みはそのままに、田崎警視監の視線は僕を射る。わずかの嘘も許さないと言わんばかりの視線は、ものすごい恐怖だ。
 助けを求めるかのように田崎さんを見ると、苦笑い。
 何それ?
 それはどういう意味?
 まさか僕や美佐子さん、逮捕ってことにはならないよね?
「そう身構えなくてもいいよ。何もとって食おうというわけではない。将来有望そうな若者だと聞いたので、ぜひ会ってみたくなったんだよ」
 田崎さん、この怖そうな人に何を吹き込んだんですか?
 僕はどこまで話していいのかわからず混乱する。だが、今しがた田崎さんは僕に念を押すように「すべて正直に答えるんだ」と耳打ちした。
 つまり、田崎警視監は全部の事実に通じている。
 もしかしたら美佐子さんのことすら了承している、そう考えるのが妥当か? そうでなければ、一連の事情を把握できないし、僕のことだって話しようがないだろう。
 腹をくくるしかない。
「それで、僕に何を聞きたいんですか?」
「いいね、その目。ほんの一瞬前までうろたえていたのに、一瞬で思考を切り替えた」
「……」
 やっぱりこーわーいー!

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