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36 殺戮のBB

 茜医院はセブンストリートにある。
 朝からデッドシティを行ったり来たりして、なんだかすでに疲れを感じ始めていたビアンカだったが、昨日砂漠を歩きとおしたことに比べれば、大したことではない。
 そう思い直し、いや、むしろそう思うことで自分を叱咤しながら歩いてきたビアンカだが、茜医院を目前として顔色を変え、くるりと背を向けて元来た道を引き返した。
「なんであのクソ女が……」
 会ったのはほんの数時間前。すらりと伸びた脚とショートカット。あの手際のいいバウンティーハンターの恐怖は身に染みている。
 適当なところで角を曲がって、呼吸を整える。そっと覗き込んでみれば、三嶋はエイトストリート方面へ向けて歩いて行った。
「あの女の相手まではしたくねぇぞ?」
 心底うんざりとした表情を浮かべて呟くと、ビアンカは落ちてきた前髪を掻き上げ、うっかり傷口に触れて顔をしかめた。
「ちくしょう、本当に散々だ……」
 我が身を呪いつつ、三嶋との距離が十分になったのを見計らって、今度こそビアンカは茜医院へ向けて歩き出した。
 こうした仕事をしていれば、当然怪我などよくあるが、まともな手当というのは実は今が初めてだったりする。医薬品は大概高い。なにせ治安の悪い場所に、まともなドラッグストアはないし、まともなドラッグストアは経済力のある限られた人間を相手に商売しているのだから、馬鹿のように高い。したがって怪我をしたら押さえて血が止まるのを待つ。あとは布で縛る。度数の高い酒をかける。あとは清潔な布で覆うだけだ。時々傷口を洗わないと傷口が腐るので水で洗う、この程度のことしかしてない。
 この悪徳の都・デッドシティで、あのお人よしがまともな医者として生きていられるのは、間違いなく沢本の影響力あってこそのものだ。
 そうでなければ、とっくに強盗にあって使えそうなものはすべて奪われているはずだ。
 沢本自身、茜を殺そうと思えばいつでも殺せると言っているが、そうしない理由はなんなのか?
 微かな興味が浮かんだが、所詮関係のないことだ。本当に茜と寝たいと思うならともかく、ニーナの手つきだと聞いてからは、冗談でからかうのも命がけになりそうだとわかったことだ。そこまでして火遊びをする趣味はない。
 茜医院の入り口は開いていた。つまり営業しているのだろう。ただしかしこの時間帯のデッドシティはまだ目覚めの時間にすらならない。夜通し動き回った悪党どもも、この時間帯はまだ眠っている。そのため逆に少しでもまともな部類の人間が、今のうちにと動き回っている時間帯でもある。
「……先生、いるのか?」
 扉を潜り、廊下に進む。人の気配は特になかった。勝手知ったるという足取りで、勝手に中に入ると、診察室に茜はいた。朝見たままの恰好で、机の前に座っている。
 更に茜に対面するように、肩につくくらいの茶髪の女が座っていたが、ビアンカの声に気付いて振り返り、にっこりとほほ笑んだ。
 その笑顔はデッドシティではお目にかかれない程能天気で、茜と並ぶとよく似合っている。
「悪い、先客がいるのか。ちょっと聞きたいことがあるんだ。待たせて貰ってもいいか?」
「急いでいるなら先に話していいよぉ。今のところ、あたしはそんなに急いでないからぁ」
 間延びした言い方に微かに苛立ちを感じるが、先に話していいというならそうさせて貰おうとビアンカは思った。そのまま診察室に入り、診察台を椅子代わりにして座る。
「聞きたいことって?」
「昨日の夜、あたしがここに来る前に、足を撃たれた男と、手にフォークを刺されたという二人組はここに来たか?」
 デッドエンドの店主の道明寺は、ここへ行くように勧めた。足を撃たれたという男は、別に珍しい話ではないだろう。デッドシティでは、毎日誰かが殺されては死ぬ。身ぐるみはがされ内臓をくりぬかれる人間もいれば、死体を砂漠に運ぶことを専門としている乾物屋に運ばれる者、路地裏でそのまま放置される者も珍しい光景ではない。
 しかし撃たれた男とフォークを手に刺された男という組み合わせに関しては、そう多くはないだろう。来ているならば多少なりとも覚えているはずだ。
 覚えている、覚えがない、そのどちらかの反応を返すものだと思っていたビアンカだが、茜は予想外の表情を浮かべ、向かい合う位置に座っていた間延びしたしゃべりの女を見た。
「西郷さん……」
 驚きと困惑が入り混じった視線を受けて、間延びした喋りの女はビアンカを見て微笑んだ。
「うん……えーっとね、あたしは西郷悠里って言うの。サバイバルアカデミーの教官。あなたは?」
 なぜここで間抜けにも自己紹介を始めるのだ?
 そうは思ったがこの二人の態度が気になった。
「ビアンカ・ボネット。デッドシティじゃBBの通り名で殺しから盗みまでなんでもやっている」
「そう……じゃぁ、ビアちゃん。あのね、その二人をどうして追いかけているのかなぁ?」
「関係ねぇだろ?」
 サバイバルアカデミー? しかも教官?
 この女に何を聞いたらサバイバルの極意を学べるというのだろうか?
 間が抜けたしゃべりだけでも苛立つのだが、茜がビアンカを真っ直ぐに見ていた。
「あのね、ボネットさん。西郷さんは時々、要さんからの仕事を引き受けていることもあるくらい強い人なんだよ。君が言うその二人なら確かにここへ来たよ。だけど手を引いた方がいい」
「うん、あたしもそれお勧め。その二人ね、凄腕のバウンティーハンターが探しているのぉ」
「うげ! まさか三嶋の獲物ってそいつらかよ!」
 最悪の状況にビアンカが思わず叫ぶと、悠里と名乗ったとろくさそうな女は目を丸くした。

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