06 僕の平和が遠ざかる
店を出るときに、しっかりと施錠を確認した。あのターミネーターもどきが、また店の中で暴れたら大変だ。施錠は外側からしっかりと確認して、シャッターを下ろした。
青かった空に少しだけ西日が差し始めていた。そののどかな風景を見ているうちに、さっきの出来事が、妙に現実感を欠いたもののような気がしてくる。
あの切れそうなナイフは、今も店のゴミ箱の中に入ったままだった。
「はぁ……」
僕は外側から改め、自宅の玄関へと向った。二階玄関への階段を上り、自分で鍵を外して中に入る。
気分的にもう疲れていた。しかし食べなきゃ空腹に耐えられない、若い十代の僕。背に腹は変えられないと言うしね。
夕飯の買い出しにでも行くか、それともテイクアウトできるものか、外食か……
色々と考えながら、玄関から室内へと歩き出した。
ちなみに玄関から右手には、ダイニングキッチンがある。何か飲み物でもと思って中へ行くと、ダイニングのソファーに、ジューンと美佐子さんが座って何かを話していた。
「!」
しかも英語だ! ジューンはともかく、美佐子さんがあんなにすらすらと、英語を話せるなんて知らなかったぞ!
だがよく考えてみれば、店の商品を海外に買い付けに行くのだから、そのくらい当然か。
自分の親のことなのに、初めて知ってしまった。
僕は何気なくテーブルに目を走らせた。驚くことにあの美佐子さんが、紅茶を煎れてあげたようだ。僕にはペットボトルの水を、グラスに入れることすら面倒がる人なのに。
まぁ、相手は女の子だし? それにあんなことがあったあとだから、落ち着かせようとして、暖かいものでも煎れてあげたのだろうが、他人への気使いがそこまで細かいのなら、せめて十分の一だけでも、僕に気を使ってくれないだろうか?
僕は冷蔵庫からコーラのミニペットボトルを取り出して、そのまま自分の部屋へと行こうとしていた。
「良一」
「ん?」
ところがダイニングを通り抜けようとしたところで、美佐子さんが呼び止めた。振り返るとジューンも僕を見ていた。
「何? 林様になら渡したよ? サインも貰ったし、領収書の写しなら事務所にある」
なんだろう、嫌な予感がする。
無理矢理浮かべた営業スマイルが、引きつって行く。美佐子さんはそんな僕にお構いなしで、長くて細い指で指し示した。
「あぁ、違うわ。ちょっとここに座って」
美佐子さんが指名したのはジューンの隣だった。僕は少し驚いたが、ジューンも席をあけてくれたのでそこに座った。
ほんのりと花のような香りがした。シャンプーの香りだろうか、それとも香水だろうか? 甘ったるくなくて爽やかで、それでいて女の子らしい香りに、少しときめく。
もちろんそんな様子など、当然おくびにも出さないが。
「自己紹介は済んでいるみたいね。彼女はジューンで、こっちは息子の良一。良一、明日から学校休んで」
美佐子さんのわがままはいつだって唐突だ。そしていつだって迷惑だ。
僕は目を見開いた。
「はぁ! 何で?」
別に僕は勉強が好きなわけではない。だからそういう意味では、学校も好きという程でもないが、一日中店番と一日中学校のどちらを選ぶのかと、二者択一を迫られれば、迷わず学校を選択できる。
それに、だ。
美佐子さんの教育方針には、これでも譲歩しているつもりだ。
空手だって合気道だってやれというからやってきたし、店番だって頼まれればやっている。けっこう親孝行だと、我ながら思う。
僕にだってやりたいことは………あるのかと聞かれると困るけど、それでも学校帰りのマックもゲーセンもカラオケも、たまのナンパも合コンも楽しみたい。
僕は普通の高校生が経験する、平凡な高校生であればいいんだ。波乱万丈でスリルに満ちあふれたギャンブラーな道には、少しも魅力を感じていない。
例えばさっきのことのような。
「しばらくあんたがジューンのボディーガード兼、観光ガイドやるのよ」
しかし美佐子さんは、当然のことのように言い切った。
まったくこの人は!
「だからなんで! 僕が学校を休んでまでボディーガード……」
ボディーガードって!
危うくさらりと言い返すところだった。
「ボディーガード! どういうこと!」
あまりにも美佐子さんが当然のことのように言ったので、思わず言葉の意味を理解できずに言い返してしまうところだった。
すると美佐子さんはふっとため息をついたかと思うと、テーブルの上にあった煙草の箱を引き寄せた。メンソレータムの細巻き煙草を一本取り出すと、ライターで火をつけて、ふーっとわざとらしく僕に向かって吹きかけた。むっと顔をしかめながら、手で煙を払うと、美佐子さんはじっと僕を睨んだ。
「そのままよ。守るのよ。ジューンはさっきみたいなごつい連中に、追いかけられているのよ。だからあんたが守るの。二日でいいわ。その間、ずっと家やホテルに缶詰というのは退屈だろうから、良一が観光がてらガイドするの。理解できた?」
「だか……だからさ……」
僕が言いたいのは、そういう事ではない。
ボディーガードの役割など聞くまでもない。
僕が言いたいのは、なぜ一介の普通の高校生の僕が、ボディーガードなんてものを、あんなごつい外人のおじさんたち相手に、しなくてはならないのかということだ。
僕は脱力して額に手を当てた。それからずっと手に持っていた、コーラのキャップを外した。ごくごくと流し込むと、爽やかで甘い炭酸が喉の奥ではじけた。
だめだ、美佐子さんのペースに飲まれている。
ボディーガードの意味は、説明されなくともわかる。想像できる。
ただ、どうして僕がやらなくてはならないのかが疑問なのだ。あんなごついのなら、本当に犯罪者である可能性が高い。だったら、警察に相談するなりなんなりすればいいんだ。
それにジューンは外国人なのだから、その国の大使館に保護してもらうとか、色々と方法はある。そのほうが確実だし、安全だというのに、どうして美佐子さんは、僕なんかにボディーガードをしろと言うのだろうかと、聞きたいのだが……
何よ、あんたまだわからないの? というような美佐子さんの視線。
だからかわりに僕は別のことを口にした。
「ジューンの家は? 家族は? 狙われている理由は?」
そう言ってからまたコーラを口にする。すると美佐子さんは、見ているこちらがぞっとするような笑みを浮かべた。反射的に視線を逸らしてジューンを見ると、うつむいたままだった。
この質問は地雷らしい。
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