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11 ナイト・サーカス

 西日が彼方へと沈もうとしている。夕焼けの空は美しさと不気味さの両方を感じさせる色で雲を染め、これから飛び立つ場所が茜色に染まるということを予感させていた。
「こんなの初めてってやみつきになる程、仕上がりがいい状態にしているからな! 気持ちよく飛んでくれ」
 オリアーナが座席に座った途端、梯子を上って顔を出した整備士がこちらを見上げてニヤリと笑った。
「あまり気持ち良くて、あの世に逝ったらどうしてくれるの?」
 男という奴は平気で下ネタを飛ばしてくる。いちいち腹を立てていては軍隊では務まらない。こちらも合わせて軽口を叩くと整備士は白い歯を見せて笑った。
「ははは! 神様に続きをおねだりしてくれ! 場合によっては第二戦を用意してくれるさ。さぁ、行きな!」
 燃料も兵装も完全に積み上がっている。今カイアナイト西方海域で友軍たちが自分たち援軍を待っている。
 最後のチェックを終えて、梯子が外される。オリアーナはコックピットを閉めた。ヘッドマウントバイザーシステムには、機動している。ここ最近、引っ越し準備もあってフライトから離れていた。久しぶりの飛行が実戦、それもスクランブルの応援というのだから、緊張しないわけがない。
 今まで乗っていた戦闘機と、性能の差があるわけではない。これまでずっと乗ってきた戦闘機だ。ただ何か違うところがあるとすれば、かすかな癖。ラダーペダルの踏み込みの甘さ。ブレーキの癖、ボタンの押し込みに必要な強さ、レバーの反応といったものが、その機体ごとに少し使う。長く乗っている人の癖が現れやすい。
 この機体は前に誰かが乗っていた機体だ。つまりそれだけオリアーナの知らない癖がある。本来なら今日テスト飛行しながら、その癖の一つ一つを確かめる予定だったのに、いきなり本番になった。些細な癖を確かめる余裕などない。
『こちら管制塔。ブラックスワロウ隊出撃準備はいいか?』
「アイ・サー。こちらブラックスワロウ・ワン、全機スタンバイ完了」
 第一飛行隊の作戦コード名はブラックスワロウ。作戦中はタックネームでは呼び合わず、作戦コード名で呼び合う。とはいえ、作戦コード名は単純で、ブラックスワロウ・ワン、ブラックスワロウ・ツーと機体ナンバーで割り振られていく。
 当然、カイザーはブラックスワロウ・ワンにあたる。
『ブラックスワロウ隊、出撃を許可する』
「アイ・サー。ブラックスワロウ・ワン、出撃する」
 無線で仲間と管制塔とのやり取りを無線越しに聞いて、オリアーナは深呼吸をした。
 緊張するなという方が無理だ。一度はほぐれたかに見えた不安がまたしても押し寄せる。
 カイザーの機体がマーシャラーに誘導されて、ゆっくりと滑走路へ滑り出した。それに続いて、ブラックスワロウ・ツー、フィッシャーマンの機体が続く。
「フォックスバット、聞こえるか?」
「レッドファング? どうしたの?」
 まだ聞きなれると言うほど親しいわけじゃないが、サイレントよりも親しげに接してくれたハーマン大尉だ。
「うちの隊長はコックでもあるんだよ。んで、勝った分隊が材料持ち寄って調理してもらうってのはサイレントから聞いたか?」
「あぁ、うん。お昼にサイレントとベルに聞いたけど……」
「何食べたい? 俺は今回ビーフストロガノフにしようと思っているんだ」
「え、本当に?」
「ふざけた事言っているんじゃない、レッドファング、フォックスバット」
 呆れたようなカイザーの声が無線に割り込んできた。するとハーマンが楽しそうに笑った。
「団長、緊張をほぐし、かつモチベーションをあげるために、仲間が気遣うのは当然のことでしょう! 俺、リクエストしておきますよ、ビーフストロガノフ」
「えー、俺ロールキャベツがいいなぁ」
 それまで黙っていたモハーニ大尉が口を挟んできた。
「じゃ、ベルは俺と撃墜数で勝負な。フォックスバットも考えておけよ」
「お菓子でもいいの?」
「菓子は作らない。というかいい加減にしろ、おまえら。反省文が書きたいのか?」
「ノー・サー! 俺は戦況レポートだけで十分です!」
 そう言うとレッドファングは無線を終了した。
「もう……ここって変なところだなぁ」
 無線が繋がったままだということを忘れ、思わずそう言って呟いた。
「……すまない」
 するとなぜかカイザーが小声で謝ってきた。オリアーナは誰にも見られていないことをいいことにペロリと舌を出す。
「あぁ、えぇっと、かえって親しみやすくていいと思います! えー、それじゃビーフシチューが絶品とお伺いしましたので、ビーフシチューをリクエストしておきますね!」
 今日の昼の日替わりランチで食べたばかりだが、急に言われても思いつかないため勢いでリクエストしてみると、溜め息が返って来た。
「……勝った分隊だけだ。これ以上言ったら反省文を書いてもらう」
「イエス・サー!」
 さすがに着任早々反省文は書きたくない。他の機体も誘導されて滑走路へ向かっている。オリアーナもマーシャラーの誘導に従って、滑走路へと移動を開始した。
 先に移動を開始していたカイザーの機体が滑走路に入っていた。マーシャラーの誘導に従い、真っ直ぐになったところで離陸サインが出る。
 マーシャラーが戦闘機のブラストの風圧に飛ばされないよう、しゃがんで対ブラスト姿勢になった直後ブラックスワロウ・ワン、カイザーが操る機体が一気に加速し茜色から薄紫色に変わり始めた空へと駆け上る。
 続いて、ブラックスワロウ・ツー、オリアーナに飴をくれたフィッシャーマンことキャメロン・バリー少佐の機体がカイザーに続いた。
「……」
 新参者のオリアーナはブラックスワロウ・エイト。ブラックスワロウ隊の最後のナンバーだ。
 何も初めてのフライトではない。空の上では味方がいるけれど、誰もが一人で戦うのだ。
 戦い方が変わるわけではない。
 そうは思っても、これまでとは違う環境に不安が湧く。
 皆の機体を見送り、最後にオリアーナの番だ。マーシャラーの誘導に従い、滑走路へと入って行く。
「やだ……!」
 マーシャラーが誘導をしながら踊っている。さっきまでは真面目に誘導していたのに、オリアーナの番になった途端に笑いかけながら、誘導していた。
 きっとオリアーナの緊張を悟っていたのだろう。リラックスを誘うために肩の力を抜いて、がちがちに緊張した頬を緩めちゃいな? と言ってくれているような気がした。
 オリアーナは口でありがとうと呟いて、離陸サインを出したマーシャラーに敬礼をした。
 空の上では一人きり。でも色んな所にバックアップして支えようとしてくれている人が沢山いる。
 意識を切り替え、オリアーナはオーグメンターをふかし、一気に空に舞い上がった。

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