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怖い夜

高く跳ぶためには、深く膝を曲げなければならない。
ただ、しゃがんだ瞬間には膝に大きな負荷がかかり、空中では落下に逆らうことは出来ず、数秒もせずに元いた場所に立っている。

私は、20代前半はいわば膝を曲げる期間だと考えている。
狙いを定め、苦労をし、踏ん張り、頭上を過ぎるチャンスに食らいつくための準備期間だ。

大人になるということは明らかに素晴らしいことで、10代が主張する自由など、ただのイミテイションであったことは間違いないと言える。

山と川に囲まれて育った私は、東京の街で一種のトリップ状態に陥っているのかもしれない。
この街では、美女が大量発生し、個性は3周ほど回って没個性化している。

明らかに異常な数の人の群れがあちこちに広がっているが、私はそこで唯一無二だと信じてやまなかった。

自由とは、責任と引き換えに与えられる相対的な概念である。
自由の中に自由はあらず、どこかしらに引かれた線の内側において自由は発生するものと言っていい。

もっとわかりやすく言えば、社会では、法を犯さず金を払える状態であれば、何をやっても良いとされている。
その割には中央値に集まっているものだなと思うと同時に、私も例に漏れないことは我ながら笑えてくる。

世界のTOKYOに移り、新たな出会いが自分を面白い方向へ向かわせることを期待していたが、結局は同じ人間が同じ場所にいるだけだった。

”多くの人”の人生の分岐点は18歳で、次に進む場所で人生は大方決まると言われている。
地元という共通項においては交わることがあるだろうが、大半はその延長線上にレールを伸ばす。

私は会社という組織において、同期の出身大学の偏差値のあまりの偏りに驚いたのだった。
ある地に生まれ、同じ地区で育ったという理由だけで同じ校舎に集められ、まずは均等な教育を理解したか否かで高校別に振り分けられる。
ほとんど無いに等しい選択肢の中から道を選ぶが、私の場合は、大学という集会場を通り抜ける過程で、周囲の喧騒に従って会社というものを選び始めた。
人間は環境依存性の機能を多く抱える生き物であるために、不思議なことではないが、就職活動の最中に、学歴社会というものは中々に手強いのだなと理解した。

私が名のある大学を出たからそう思うのであろうか。
18歳の時点で敢行した猛勉強を評価してもらわないことには不服かと言われればそうだが、ではその時点でその評価を欲していたかと思うと違う気がしてならない。
もっと澄んだ心で、洗練された文化やレベルの高い環境のみを手にしたかっただけなはずだ。

そんな18歳の決断も忘れ、私は人生の夏休みと称される4年間のモラトリアムを謳歌し、まずは手続きと契約という壁を感じることになった。

22歳になって気づいたことだが、誇張はなく、真の意味で、息をするだけで金がかかるのだ。
当たり前だと思っていたことの9割以上は奇跡に近いバランスを保っているのだった。

初めて2桁万円の振り込みを終えた時には、気づけば明日を生きることに集中していた。
毎月国に税を納め、生活を造る企業に金を払っているうちに、雀の涙ほどの紙切れが残るのみになる。
その怖さは夜を突き抜け、朝日が差し込むまで僕から離れなかった。
自分だけが恐怖を感じているように思えて、他人に見せることもできずに、無理矢理に噛み砕いて飲み込んだ。
口に残った破片に違和感を感じるが、それには気付かないふりをした。

この恐怖を感じるか否かすら18歳で決まっていたかと言われればそうは思わない。

人はそれぞれ背骨となる家庭を持っている。
親のない子はおらず、どこかで結ばれた約束を守る親とそうでない親がいるだけだ。
家庭とは過程であり、課程のニュアンスを含んだ上で、人生においての仮定になりうることは大いに皮肉な言葉遊びである。

子は、その背骨が太く、頑丈であればあるほど金は怖い物ではなく、それが自分の翼や可能性であること知っている。
私は、御曹司のフリをした平民だったために、大いに辱めを受けた経験があるが、親に罪はなく、くだらないプライドを下せなくなるまで持ち続けた自分が悪いのだった。

金に執着することの格好の付かなさは尋常ではないことを知っていたが、ここから抜け出すまでは時間がかかるだろうと思った。
とにかく、比較せず、ただありのままの自分の背中を見ていてくれる人を仲間にすることだけが重要なのだ。

それで言うと、私には神から授かった目があった。
おかげで、人の嘘を見抜き、私を輝かせる人間を選ぶことができた。

私は田舎で砂埃をかぶったような少年だったが、目だけは明らかに澄んでいた。
東京でもそれは変わらず、私は早々にして憧れを見つけた。

彼は同い年の前科者であったが、私が無くしそうになっていた真の軸を持っていた。
いわば彼に一目惚れをした僕は、彼に倣い、彼から学び、彼を超える成果物を作り出すことを夢に見た。
彼の持つセンスや知識というものに欠如していたが、それらが学べば身につくことであることも知っていた。

私は会社員というレールから一歩だけ逸れることにした。
頭の中で夢は膨らみ、初恋の如く焦がれる気持ちは日に日に大きくなる。

大人になることの素晴らしさの1つに、道を知るということがある。
子供の頃夢見た野球選手には、どうやったらなれるのかは分からなかった。
今思えば、ガムシャラに練習をして、その努力のベクトルと積み重ね方さえ合っていれば、今頃は球場で歓声を浴びていたことだろう。

大人になれば、既に夢を叶えている者がおり、子供の頃よりも明確にその道が見える。
なりたい自分になれるという希望が、より強く確かなものであることが分かるのだ。

ただ今度は、道を知ってしまったが故に怖さが現れる。
生きていけるのか、借金を背負うことにならないか、周囲から孤立しないだろうか。
それは人間1人を潰すには十分すぎる妄想で、せっかく曲げた膝を抱えて座る選択に変えてしまう。

では少なくとも金の心配はなくしたいと3年待てば、きっと友人は家庭を築き始める。
インスタグラムの写真を見ては、やっぱりいいやとまた膝を抱えるだろう。

私は、今、今に限って勇気を持つ必要があった。

喉元を過ぎれば熱さを忘れ、その場所に行けばその先の道は見えるのだろう。
怖い夜は、下手くそな六弦をかき鳴らして過ぎるのを待つのみだ。
不安定な声で言葉を放つのも似つかわしく聞こえる。

涙が頬を伝う瞬間はあったが、地面には落とさなかった。
大した空ではなかったが、見上げるに十分な空ではあった。

明日の私が私であることを、まだ今の私は知らないだけなのだ。

暗い部屋ではただ夢を見て、明日が現れたならそれをとにかく抱きしめなさい。
友人と公園で飲んだ缶チューハイの味を思い出してもいい。
それでしか超えられない夜は、未来のあなたに喜びの朝としてやってくる。


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