全部。一つ残さず。
#スポーツがくれたもの というコンテストが開かれているのをみて、思い立って書いている。
スポーツが僕にくれたものってなんだ。
と、Tully'sでハニーミルクラテを飲みながら考えている。
15分くらい「うーん」と考えた後、「わからん!」と納得した。
それは、僕とスポーツがあまりにも密接だったからだ。
保育園の頃も含めれば、習い事だけで
水泳(5年)
極真空手(6年)
サッカー(14年)
こんなにスポーツをしている。
これにピアノも4年やっていたので、年長〜小学4年生くらいまでは1週間に休みなんかほとんどなかった。(両親、ありがとう。笑)
体育教師の免許を持つスポーツ好きの母と、アウトドア好きの父の影響も相まって、とにかく体を動かすことが身近だった。
そして22歳の今、だんだんと人格もはっきりと形成されて来ている。
前向きで明るくて、頑張り屋さんなところなんかはモロにスポーツの影響なのだろう。
きっと、子供の頃からスポーツ漬けの毎日を送った人は共感してくれるんじゃないかな。
高校まで、バリバリの体育会系学生として毎日を過ごして来た自分として、大学で第一線から退くという決断をしたことは、自分にとってのスポーツを理解する上で大きな機会だった。
大学に入学し、スポーツを”する”ことが身近じゃなくなった時に、妙な悲壮感を感じたことを覚えている。
14年ぶりに”サッカー部”じゃなくなったのだ。
悲しかった。
これまでの学生生活で手に入れて来た友人や経験は全て、”サッカー部の自分”によるものだったのだ。
元サッカー部というだけの、何もない自分。
空っぽだった。
そこから運よく大学スポーツの振興発展を目指す学生団体の立ち上げに関わらせていただき、スポーツを”支える”こと”見る”ことの楽しさを知った。
そして、自分-スポーツ=◯◯ の◯◯の部分を最大化させようと努力した。
しかし、就職活動の中盤に、気づく。
4歳からスポーツに関わって来て、21歳になったからと言って切り離せる訳あるか?と。
そう言えば、自分の身体や性格、友達、家庭内の会話、思い出の全部はスポーツが根本にあった。
自分-スポーツ=◯◯ なんて問いは、野暮だったかもしれない。
自分にとってスポーツとは何か。を考えるのもアリなんじゃないか?と考えた。
社会人として、スポーツ選手にでもならない限りは、サッカーのインサイドキック、極真空手の三戦(さんちん)立ち、水泳のバタフライは活きないかもしれない。
かと言って、それらを無くしては今の自分は語れない。
つまり、これまでスポーツが自分に与えてくれたものは何なのか。を考えた。
現時点でのその答えは「出逢い」だ。
人間はかなり環境に左右されると思っているので、付き合う友人は大切な1つの要素だ。
一緒にいる5人の価値の平均が自分の価値。なんて話もあるくらいだ。
例外なく僕も環境によって作られた。
幼少期からのスポーツ経験が新たな出逢いや新たなコミュニティを恐れない性格を作り、様々なスポーツ経験が多くの友人との共通項を作った、そして生まれた”出逢い”が僕をこれからも作っていく。
22歳の今、18年間のスポーツ経験のおかげで、一生動き続ける出逢いエンジンを身に付けることができた。
全部。一つ残らずスポーツのおかげ。
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