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2019年の旅① 2月 キューバへの旅。


こんにちは。ろしあです。


最近新型コロナウイルスの勢いがやっと少し落ち着いてきたなと思っていたら、また変異株のオミクロン株が出てきて、まだまだ余談を許さないような世の中。

中でも海外旅行なんていうのはもう私たちの生活から遠く離れていってしまったような。

かくいう私も、「コロナ前」の時代、多くはありませんでしたが海外旅行に行ったものです。

ふとPCに入っている海外での写真をみると、それがたった2年くらい前のものだなんて到底思えず、10年前の写真を見るような懐かしさでそれを眺めるのです。


2019年、学年でいえば大学2〜3年の年、私は2つの大きな海外旅行に行きました。

それはキューバサハリン(ロシア)。

海外旅行というもの自体が遠くに行ってしまったいま、その記憶も遠くに行ってしまって帰ってこないような気がして何か一抹の寂しさを思えたので、noteにこの2つの旅行で撮った写真を若干の解説を加えながら公開しようと思いました。

この記事はその第一弾。


日々大学院での研究が忙しい毎日で、「そんなときに何やってるんだよ」感が拭きれませんが、テスト前は部屋の掃除がしたくなるもの、まあそんな感じ。


とはいっても旅行記とか書こうとすると壮大なものになってしまって、時間は食うわ読みにくくなるわで大変なので、ひたすら写真を貼り付けていくって感じにしますね。

なんとなく自分のルールとして、写真は選ばず撮ったのをひたすら貼っていく感じにします。写真を選ぼうとするとやはり観光地ばかりになってしまうし、「あまり意味のない写真」のようなのが排除されてしまいます。でもそういう意味のないものこそ、旅行の空気を伝える上で大切な気がしません?

あと、私は「都市を眺める」のを趣味にしているところがあるので、街並みばかり撮ったりしてしまいますのでそういう写真も多いです。皆さんもぜひ「都市を眺める」をやってみてください。東京だと特に楽しいです。お勧めは新宿と下北沢です。こんな言葉もあります。

「都市を眺めるということは、それがどんなにありふれた景色であれ、まことに楽しいことである。」(ケヴィン・リンチ『都市のイメージ』より)

この一節は私が都市を眺めるときのある種の標語になっています。


あとほんとなーんも考えずに書いているので話が時々脇道の外れてしまっています。そういうときは読み飛ばすために(余談)と書いて区別しています。


そんなわけで海外旅行に行った気分に少しでもなっていただけたら幸いです。


前日譚・キューバへの行き方

日本からキューバに行くにあたって直行便はありません。

どのように私が行ったかというと、アメリカ・ニューヨーク経由です。

というか、そもそもこの旅行はニューヨークに住むいとこ一家の家に遊びに行った中でついでに行ったものなんです。

いとこ一家の家には小学生くらいの頃には毎年のように行っていたのですが、私自身忙しくなったこともあり、もう長らく行っていませんでした。もう8年くらいぶりとかでしょうか。

せっかく久しぶりに行くのなら、ニューヨーク以外にも日本からはなかなか行きにくいところに行こうじゃないか、ということでキューバ行きが決まりました。


しかし、国際政治に興味のある方なら知っているように、数年前のオバマ政権下で両国の国交が正常化されたとはいえ、当時はトランプ政権下、キューバとアメリカの関係は大目に見ても最悪です。そのためこの2国間の渡航はなかなか困難がつきまとうものです。

そのため、多くのキューバ行きを望む日本人はカナダやメキシコを経由してキューバに行きます。そちらのが圧倒的に楽だからです。


とはいえ、私はニューヨークに行ってからキューバに行くことが確定事項としてあります。2国間関係が最悪であるとしても地理的な近さからも直行便はあります。なら行けるのです。

そもそも、アメリカからキューバへの訪問というのは、建前上、観光目的の旅行ができません。ビザを取る際の「渡航目的」欄に「観光」の文字はないのです。

そのため「観光客」は「現地で買い物することによって経済支援をする」、「現地の観光地をみることによって教育的な効果を得る」など、「経済支援目的」「教育目的」などの建前で旅行することになります。

(ちなみにたしかサウジアラビアとかもそうなはず。)

私たちも「経済支援目的」、「教育目的」の欄にチェックを入れ、ビザを入手しました。


では、キューバへの旅の始まりです。

ニューアークを出発

出発はニューヨーク市街から程近いニューアーク・リバティー国際空港から。ニューヨーク都市圏最大のジョン・F・ケネディ国際空港(通称JFK)とは別の空港。

キューバ行きのチェックインカウンターは他のカウンターとやたら離れてる。完全に隔離されるかたちになる。

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こんな看板もある。

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ユナイテッド航空の便でキューバのハバナに向かいます。2時間ぐらい出発が遅れた記憶。

この飛行機はエンブラエルだったかな?結構小さい機体で、ハバナに着いたときも空港の中でもかなり小さいターミナルに到着するような扱いだった。まああんまりアメリカからキューバに行く人はいないんだろうということがこういうとこからもわかる。


ハバナ到着

キューバの首都、ハバナに着いた。所要時間は3時間くらい。意外と近いでしょ。

入国ゲートで一人一人写真を撮られて、Welcome to Cubaとだけ言われる。ドアを開けたらそこは社会主義国キューバ。カリブ海にあるだけあって2月でも普通に30度近くて暑い。その点に関しては機内で半袖に着替えたので大丈夫だった。

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ということでキューバ入国。

ハバナ・ホセマルティ国際空港。中央が両替所。


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ガイドやらタクシーやらの送迎で人がごった返している。ここからはスペイン語の飛び交う世界。

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地図を見る。確かに私はキューバにいる。

今私はあの社会主義国家、カリブ海の赤い島のキューバにいるのかと思うとワクワクが止まらなかった。

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キューバはクラシックカーの国として知られている。長い経済封鎖の中で、50年以上前のクラシックカーを大事に使い続けていた結果、それが観光資源になった。市街地に向かうタクシーもこの通りだった。

写真は撮っていないけど当然ながら車内も当時のまま、エンジン音がすごい。運転席のドアが壊れていて運転中も運転手が時折手で抑えている。力技。

 (余談)キューバ人の英語

運転手さんの英語を聞いてわかったのは、キューバで外国人と関わる機会のある人の英語力は日本人のそれとは違う。というか、日本人の英語力を「勉強して身につけた」って感じのものだとすれば、キューバ人のそれは「生活するために自然と身につけた」という感じ。

なので一般的な日本人よりも英語のコミュニケーションには長けているが、細かい語彙とかは体系的でなくいい加減な感じ。

例えば、私といとこがならんでいると「兄弟か?」と聞かれるが、それに対して「いとこ。」と答えるとあまり伝わらない。「私の母の妹の息子!」と説明すると「あ〜!なるほど!」って感じで理解してもらえる。


市街地までの車窓のいろいろ。

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フィデル・カストロの看板。Welcome to Cuba感が強い。

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道中、こんな感じで幾度となく指導者を称えたり、スローガンを掲げたりしている看板が目に入った。キューバではこれは日常の風景なのだ。

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憲法改正投票にあたっての看板。

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写真ではなかなか伝わりにくいがほとんどの建物にガタがきている。

一歩間違えたら廃墟にも見えてしまう建物が多い。そのせいか、やたら治安悪い街並みに見えるのだが、キューバは治安が非常にいい。


ホテル周辺いろいろ。

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ホテルのある旧市街に入る。

スペイン統治時代のこれらの街並みが世界文化遺産に登録されている。

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ホテルからすぐのビエハ広場。この周辺は街並みを修復するプロジェクトが成功し、色鮮やかな建物がすごくきれい。

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ホテルのバルコニーから見たビエハ広場。

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夜のビエハ広場。この付近はレストランも多く、夜まで音楽が鳴り響いていた。音楽と生活との距離が近い。

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ホテルのテレビをつけるといらっしゃいました。フィデル・カストロ氏。演説が突然放送される。

テレビはすべて国営放送で、内容は歴史やニュースなどの教育的なものやスポーツがほとんど。あまりテレビにはバラエティという概念がなさそうに思えた。


市内観光

2日目は車で市内観光。

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このピンクのクラシックカーのタクシーで徒歩ではいけないような市内の観光地を回った。

以降車窓から街を眺めてみる。

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サン・ホセ民芸品市場。機関車。

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相変わらず建物は古い。そしてすれちがう車もさまざまなタイプのクラシックカー。車詳しくない自分でもすごく楽しかったので、クラシックカーマニアの人とかだったらそれはもう垂涎ものなのでは...

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フィデル同志おはようございます。

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国旗があると撮る習性がある。

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キューバの歴史を称える看板。

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キューバ独立革命の英雄、ホセ・マルティの胸像。

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郊外へ向かう。


ヘミングウェイ博物館

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着いたのは『老人と海』などで知られるアメリカの小説家、ヘミングウェイの家。彼はここで人生の3分の1の時間を過ごした。『老人と海』もここで書かれた。

キューバ有数の観光地ということもあり、主にヨーロッパからの観光客が非常に多くいた。

部屋の中に入ることはできないが、外から見ることはできる。ちょうど東京の乃木坂にある乃木希典邸的な感じ。

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ヘミングウェイは猟が趣味だった。そのため家の中には大量の剥製が飾られていた。

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屋上の部屋。ハバナ市街とカリブ海を眺められる。すごくのどか。

本棚の上には猟のために銃を構えるヘミングウェイ自身の絵が飾ってある。

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部屋からの眺め。


新市街

ヘミングウェイの家を出て、新市街に向かう。

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この辺りは旧市街などにあったような、スペイン風の古い建物はほとんどない。というのもこの辺は日本で言えば永田町のような官公庁街だからだ。

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ここはもともと共産党のオフィスだった。現在は独立革命の英雄、ホセ・マルティの記念館になっている。

 (余談)キューバの社会主義

書き忘れていたけどキューバの与党はキューバ革命後現在までずっとキューバ共産党

キューバは世界で4つしか現存しない「マルクス・レーニン主義を憲法で掲げている国」だ。

キューバ以外には、中国ラオスベトナムが当てはまる。

ただ、この3カ国は経済において資本主義を大きく取り入れているため、純粋に社会主義の経済システムを2019年時点において実行に移していたのはこのキューバだけだったともいえる。

しかし、このキューバも憲法の改正によってこの2年間で大きく変わった。後に紹介する二重通貨制度などもすでに廃止されている。

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ここは革命広場。ホセ・マルティ記念館の向かいにある。

社会主義国特有のこういう異様に広い広場。

それもそのはず、この広場は盛大な軍事パレードに使われている。

この動画のパレードもここ、革命広場で行われたもの。


そしてなんといってもこの革命広場はこれが有名。

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キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの肖像。ちなみにこの建物は内務省。

やはり彼はかっこいい。彼はその俳優のようなルックスとカリスマ性からいまなおキューバのみならず、世界で高い人気を誇っている。

日本でもゲバラのTシャツを着ている人がたまにいる。まあ多くの人は「ゲバラのTシャツを着る」ということの意味・文脈をあまり知らないっぽいけど。

ちなみに私も着ている。私の場合、その意味や文脈を理解した上できているので逆に厄介だと思う。

以前アイドルのライブに着て行ったら特典会でアイドルさんにツッコマれた。(それがどうした)

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こちらは同じく革命の英雄、カミーロ・シエンフエゴス。


この革命広場付近は観光の拠点にもなっており、観光用のクラシックカーのタクシーが見本市かよレベルで並んでいる。

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かっこいい。最後の写真の奥の紫の車とか他と違って目立ってて最高。


再び車窓観光・街の風景

そして革命広場を出てまた車窓観光へ。

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これは墓地の入り口だったっけ。

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ハバナで一番古い木、という説明を受けた。本当かはわからない。

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そういえばカリブ海撮ってない!と思って撮った写真。

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競技場の跡地?海沿いは少し荒廃した建物が多かった。

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街中に書かれている国旗、その後ろはフィデル・カストロが親米独裁のバティスタ政権を転覆させてキューバ革命を成功させた組織である7月26日運動の旗。

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映画館(手前)。奥は後から調べたらホテルらしい。正面の壁画がおしゃれ。

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街角のクラシックカー。それにしても一つとして同じデザインがなく、個性的。

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ここよくないですか、明らかに新しいフォトスポット。「BE KOBE」的なやつ。

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アントニオ・マセオ像。ホセ・マルティらとともにスペインからの独立革命を戦った。

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旧市街に戻ってきた。

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語弊がある言い方になるが、「綺麗だけど汚い」街並み。

ただ、それがとても独特の魅力を放っている街なんだなと思えた。

ヨーロッパの旧市街ではこういう光景は見られないんだろう。

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でも大通り沿いになると全体的に街並みも豪華できれいになってくる。

この建物はアリシア・アロンソ・ハバナ大劇場というクラシックバレエの劇場。キューバはクラシックバレエの盛んな国の一つ。国営テレビでもバレエが放送されていた。

 (余談)キューバの人種

キューバは多民族国家の割に人種差別が極端に少ない国だそう。国は人種別の人口統計を取るのを禁止しており、スペイン系の住民からアフリカ系の住民まで、パッと見た感じどんな職業でも様々な人種が混在している感じ。テレビで放送されていたクラシックバレエも例外ではなく、登場人物の人種にかかわらず様々な人種が演じていた。

逆にいうと、富裕層がいないという意味での貧富の差の少ないキューバにおいて、人種にかかわらずみんな同じような生活レベルといった印象を受けた。

これは例えばアメリカだとヨーロッパ系は裕福でアフリカ系やラテン系は低所得、南アフリカでも少数のオランダ系が富を独占してアフリカ系は貧しい...みたいな感じではなく、スペイン系の人たちも同じような生活レベルといった感じで、逆に不思議に思えるようなものでもあった。

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大劇場の向かいには国会議事堂(カピトリオ)。

あれ?どこかで見たことがフォルム...一説にはアメリカの国会議事堂を真似ているとも言われているらしい。

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観光用の馬車もいる。

車での周遊はここまで。


旧市街さんぽ

ホテルに戻り、周辺を歩いてみる。

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フィデル同志のポスターと憲法改正投票のポスター。

幸か不幸か、訪問後に行われた憲法改正によって、キューバにこれまでとは異なる大幅な市場経済の導入が決まったのだとか。

ある意味歴史の転換点に立っていたのかもしれない。

そんな中でコロナ禍もあり、もう二度とこのキューバには行けないのかななんて寂しく思いながらこれを書いている。

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旧市街は観光客が非常に多い。

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キューバといえばラム酒。とくに「ハバナ・クラブ」の銘柄は有名で、酒屋に入るとこの通り。この写真見てたら飲みたくなったのでこの時買った小さい「ハバナ・クラブお試しセット」を今飲みながら書いてる。

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ロシアが好きな人間としては思わず撮ってしまった。

ロシアのЗиД(デグチャリョフ)製の工事用トラック。

キューバのロシアとの結びつきは強い。ロシア製の車はそれなりに見た。

個人的にはロシア車といえばアフトワズ。


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ヘミングウェイが通ったというレストランバー「フロリディータ」。ここで彼は砂糖抜きのダイキリを飲んでいたそう。

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裏路地に入る。写真で伝わらないのが惜しいが、「インドってこんな感じなのかな?」って思った。表通りは整備されていても裏に入るとすぐこういう感じになる。住民と観光客の活動圏がすごく近接していた。

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『レ・ミゼラブル』のユーゴーの記念館。キューバとユーゴーは特に関係ないらしい。(ではなぜ?)


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日が沈んできた。広場。

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夜になってステンドグラスがきれいなホテルがあった。


ハバナ・クラブ博物館・裏路地

3日目も歩きで街を歩いてみた。

とは言っても、はじめはラム酒のハバナ・クラブの博物館に直行した。

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来た。

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きれいな建物。ここはガイドツアーでラム酒の製造について見ることができて、最後には試飲もできる。ガイドツアー参加者には日本人もいた。

 (余談)キューバの観光客

キューバの観光客はヨーロッパからの人が多く、逆にアメリカ人はほとんどいない。アメリカから来ている人だとしても多くは「アメリカ在住の他国籍人」。実際、私たちが行った後にいとこの友人も家族でアメリカからキューバに興味をもって行ったそうだが、彼らもカナダ国籍を持っているため行けたという感じらしい。

そういう要素を除いても、多くのアメリカ人にとってキューバというのは今でも「怖いところ」という印象のようだ。

その点、日本人観光客は多い方だといえる。キューバと日本の関係は決して悪くなく、キューバに怖いという印象をもつ日本人はそこまでいないような気がする。

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ラム酒はサトウキビからできている。これもサトウキビを絞る機械らしい。

ラム酒の試飲などもしたのだが、残念ながら写真は撮っていない。

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博物館を出て旧市街を歩いていると、パレードみたいな集団がいた。

そしてここから、旧市街の中でも観光客の少ない、住民主体のゾーンに行ってみた。

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完全に観光地ではないエリア。

このエリアでびっくりするほど安いハンバーガーを食べたのだが、その件についてはあとで食べ物全体でまとめようと思う。

 (余談)ファーウェイの携帯電話

このエリアを歩いているときに面白い出来事があった。

観光客のまばらなこのエリアを歩いているとき、後ろから現地の男性が声をかけてきた。

治安の良いキューバとはいえ、向こうから声をかけてくる人は海外旅行においては警戒したほうがいいということはわかっているので、「どうせ物売りかなんかだろう」と無視していると、どうやら何か困っているっぽい。

「チャイニーズ?」とかとも聞いてくる。

話を聞いてみると、どうやら後ろにいる彼の友人の女性が携帯電話で困っているという。

彼女の携帯は中国のファーウェイのもの。(やっぱキューバではファーウェイなのか...)

彼女は先ほど何かの手違いで言語設定を触ってしまい、画面に表示される言語がすべて中国語になってしまったらしい。当然彼女はスペイン語しかわからず、英語ならまだしも画面上には一切意味の読み取れない表意文字の漢字がずらり。焦るのも理解できた。

(ちなみに私はアラビア語で同じ状況に陥ったことがある。)

そこに東洋風の風貌の私たちが通りかかったのを見て、彼らが中国人なら直してもらえるかもとおもい男性が私たちを追いかけて声をかけたという。

私たちは中国人ではなく日本人であると同行していた私の叔母が伝えると、彼らは少し残念そうに「なら無理か...」というような反応をした。

しかし、日本人、漢字はわかるのだ。彼らに日本語と中国語は一部同じ文字を使っていて、口頭での意思疎通はできないが文字上で何が書いてあるかくらいは少しはわかると伝え、彼女の携帯を預かって私が操作してみた。

とはいえ中国語、何が書いてあるのかはさっぱりわからなかったが、少し触っていたら「語言」という項目があることがわかり、そこの設定を変えることで無事スペイン語の表示に変えることができた。

めちゃくちゃ感謝された。そんなに?ってほど感謝された。

私は外国語が苦手だが、この場合には日本語話者であることはかなりの特殊技能だったわけで....まあ何があるかわからないものだなと。

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バザール。ここは結構観光客向け。

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すごい街並みだよなあ。

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青果店。バナナ、芋、人参など。

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観光客のいない大通り。通学途中の生徒たちが乗り遅れたバスに叫んで止めてもらっていた。

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街角のゲバラ同志。


革命博物館周辺、旧市街

観光客のいないエリアを抜けるとすぐに、観光客ばかりのエリアになり、海に出る。そしてそこには、日本とキューバを感じられる場所がある。

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仙台まで11850kmらしい。

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支倉常長の像。彼は400年ほど前に伊達政宗の遣欧使節としてこの地を踏んでいる。いやあすごすぎるよなあ。

支倉常長の像は海に面しているので、対岸にあるカバーニャ要塞も見える。

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奥にあるのがカバーニャ要塞。ハバナ旧市街とともに世界遺産に登録されている。

このカバーニャ要塞であるが、オードリーの若林正恭さんが一人旅でキューバを訪れた際のエッセイ『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』のタイトルにもでてくる。このエッセイ、非常に評判がいいらしくぜひ読んでみたいので近々読んでみようと思う。


この辺りで一番の観光名所といえば革命博物館、ということで向かった。

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来た。(なんで外観撮ってないんだよ....)

簡単にいえばここは「キューバ革命によって私たちは暴虐無道のアメリカと資本主義に勝利し、正義の社会主義の道を今も突き進んでいるのだ!」という趣旨の博物館。ここからわかるように、非常に国家の宣伝要素が強い。

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もともとは大統領官邸として使われていた建物なので非常に豪華なドーム建築。

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革命後、キューバ大衆に迎えられるフィデル・カストロら。

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「祖国か死か」7月26日運動のスローガン。

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街中にもあった「祖国か死か」。

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私が非常に好きなタイプの展示物が並んでいる。

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チェ・ゲバラの私物の展示。

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フィデル・カストロがゲリラ戦の際に着用していたジャケット。

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革命博物館から外を眺める。

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そしてこれがすごい。この建物の中に見えるのがあの「グランマ号」。

フィデル・カストロやチェ・ゲバラらがキューバ革命を起こすためにメキシコからキューバに密行する際に乗っていた船。

世界史の教科書の中の世界が目の前にあった。


革命博物館を出て旧市街の中心部を通るルートは非常に画になる風景が多く、観光客の主要観光ルートになっていた。

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街自体も小綺麗で、お土産屋さんもたくさん。ちなみに私はキューバ帽(緑地に革命の赤い星のついた帽子)やチェ・ゲバラTシャツ(推しの生誕Tシャツ感覚)を買いました。

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この辺りが一番ヨーロッパっぽくてきれいな街並みだったと思う。これはカテドラル。めちゃくちゃ画になる。というか画にしかならない。

そしてこれ以降あまり写真がないのに気がついた。

次の日は午前中少し過ごしたらすぐアメリカに戻る日。

最終日・空港

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全然写真を撮っていない。この写真はすでにキューバを出国した後。

このターミナルはやはり行きと同じ小さなターミナル。

一番大きなターミナルは日本の主要空港くらいの規模なのに対して、ここは北海道でいえば函館空港とか釧路空港とか、愛知県でいえば名古屋空港とかそんな感じ。

行き先見るとわかるのだが、このターミナルはアメリカ行きの飛行機が非常に多い。一番大きなターミナルにアエロフロート・ロシア航空のカウンターがあったのとは大きな違い。やはり、こっちにアメリカ行きの飛行機は追いやられているのだろうか....

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制限エリアの中では暇なのでキューバの飲み物を買って飲もうと思い、買ったのはキューバビール。絶対日本では飲めない。

飲み口は結構爽やかな感じ。そしてその割には苦味も強くて、南国のビールって感じがした。

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いとこ(未成年)はパイナップルジュースを買ってた。おいしいらしい。

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ということで帰りもユナイテッド航空。左にユーモアな接客で有名なLCCのサウスウエスト航空も見える。

帰りはやたら早かったな、2時間くらいだったっけ。

ちなみにアメリカ入国時にキューバからの入国であることがわかるとやたら厳しく食べ物等の持ち込みがないかチェックされました。やはりアメリカのキューバに対する扱いは厳しい。

キューバで食べたもの

最後に、キューバで食べたものをまとめてみた。

食べ物のことを話すからにはキューバの二重通貨制度に触れずには語れない。

 (余談)キューバの通貨制度

私たちがキューバに行った当時はキューバは世界でも珍しい二重通貨制度を導入していた。

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キューバには2種類の通貨があった。

一つは兌換ペソ(CUC)。写真の右。これは外国人観光客が使う用の通貨で、観光地のレストランやお土産屋さんではこちらが使われる。逆に、現地住民は兌換ペソは人民ペソに両替しなくては使えない。

もう一つは人民ペソ(CUP)。写真の左。これはおもに現地住民用の通貨。外国人観光客も住民用の商店などで買い物をする際には両替してこちらを使わなければならない。

この2つの通貨の最も大きな違いはその価値。1CUC=25CUPで当時は取引されており、観光客用のレストランなどの物価はCUC表記であるためにヨーロッパやアメリカの物価とそう変わりはないように見える。しかし、住民はCUPの世界で生きているため、ざっくり言えば、現地住民は観光客の25分の1の物価の世界で生きている。そのため、外国人観光客がキューバで使う金額をキューバの現地住民の物価に合わせる必要がなく、外国人観光客から高い利益を得ることができるのである。

これは逆にいえば、外国人観光客が現地商店でCUPで買い物をすると、びっくりするほど安く現地の食べ物を食べることができるということでもある。まあ、この下を見てみて欲しい。

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1日目の夕食。肉や魚のメインにお米がついてくる。おいしい。

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同じレストランでモヒート。キューバのカクテルといえばモヒート。ミントの香りがすごく爽やかで甘さもありすごくおいしい。日本に帰ってきてからもそれなりに飲むようになった。

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2日目は国営アイスクリームの「コッペリア」の本店に行った。社会主義経済なのでアイスクリーム店も国営。非常に有名なアイスクリームやで私自身も行く前から知ってた。

「コッペリア」というのはバレエの演目の名前で、フィデル・カストロがアイスクリーム好きであることから政府肝入りで作られたのだとか。

この建物いいですよね。社会主義モダニズム建築を感じる....

ちなみに写真は正面玄関で国民用(CUP支払い)。外国人観光客である私たちは裏のカウンターでCUC支払いで注文した。

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この素朴なアイスクリーム最高じゃないですか....

あれですよあれ、映画『ホーム・アローン』でマコーレー・カルキンが食べてる山盛りのアイスクリーム。あんな感じのイメージ。

バニラとかチョコとかのアイスとクッキーがいくつか乗っていて、上に砂糖がかけられてる。甘すぎず素朴な味でおいしい。さすが国営。


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これはホテルの朝ごはん。全然他に客のいないバルコニーでお兄さんがせっせと一つずつ作ってた。

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果物も食べられる。スイカ、パパイヤ、バナナ。

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グアバジュース。

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パン。

これで気づいたのだが、この国、いくつかの食材は統一規格なのだ。

まさに社会主義経済。気づいたときは興奮してしまった。

どうやらキューバの市販のパンはこの1種類らしく、どこに行ってもこの味のこの見た目のパンが出される。そして、街中にはパン屋があるのだが、中を覗くとこのパン1種類が山積みになっているのだ。

あと、このパン自体は普通においしい。


これは水に関してもそうで、

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キューバでは水というとこの「CIEGO MONTERO」というものなのだ。街中にはこの水だけを売る「水屋」というものがある。

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これがその「水屋」。


そして観光客のいないエリアで食べたものとしては

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キューバ式ハンバーガー。CUP支払いなので現地住民の物価。

おいしい。

(あれこのパンもしかして...正解。統一規格らしい他のパンと同じ。ホテルの朝ごはんで出たのはトーストしてあったので少しパリッとした感じになっているけど本質的には同じ。)

一つ5CUP=約20円。安い。

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こういうところに売っている。

お店の人にグアバジュースを勧められて飲んだ。1杯3CUP=約12円。

(もしやこのグアバジュースも統一規格...流石にそれはないと思うけど、この国やたらグアバジュースが多い。)

金銭感覚が圧倒的に狂う。もうキューバに移住しようかな。多分今の貯金で一生暮らせる。

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お店の雰囲気、手前にあるボトルはモヒートの素みたいなやつな気がする。

このお店で写真の手前に写ってるおっちゃんが急に英語で話してきた。

このおっちゃん、私がハンバーガーの写真撮ってると、店員の人と「こいつこんなのの写真撮ってるぞ!」的な反応示してて感じ良いなと思ってたんだけど、英語レベルが比較的近い(こっちが知らない単語は向こうも知らず、知ってる単語は向こうも知ってる)ので意思疎通がすごくうまくいく。

「どこからきたの?」

「日本です!」

「おー日本!俺はイチローが大好きなんだよー、本当に素晴らしい野球選手だ!」

とかスポーツが好きなようだった。

あとサッカーも好きらしく、レアルかバルセロナのどちらが好きか聞かれた。レアルと答えたら握手を求められた。

メッシが嫌いらしい。

こういうやりとりもそうだが、総じてキューバでの日本人の受けは良いように感じた。


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これも地元民のエリアで売ってた揚げ物?味は細長いドーナツみたいなやつ。屋台で揚げバナナと一緒に売られていて、1ピースが1CUP=約4円。これだけ買って5CUP=約20円。なかに苺のペーストみたいなのが入ってておやつとして非常に優秀な味だった。

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以前家で作ったこのモスクワ風ドーナツ(московские пончики)的な美味しさだった。


全体としての感想

このキューバへの旅で常に感じていたのは、教科書が目の前に広がっているという感覚で、それは確かにキューバ革命みたいに歴史の出来事が起きた場所にいるというのもそうなんだけど、実際に社会主義経済がそれなりに機能していて、その価値観の中で人々が暮らしているというのを、まさに目の前で今の時代に見られるなんていうのは、行く前から頭ではわかっててもやはり衝撃的なものだったなと。そういう場所で過ごすとこっちの価値観もひっくり返されるある種の気持ち悪さとある種の気持ちよさがまぜこぜになってそれはそれは楽しいんだなと実感しました。なんかこういう価値観がひっくり返る感じの感覚が海外旅行の楽しさなんだろうなというは常々感じていて、それはリゾートやいわゆる大衆的な「観光地」ではなかなか得られない体験なんだと思います。

今回ニューヨークからの行先でキューバを選んだのはすごく正解だったなと感じていて、それはニューヨークからだと割とヨーロッパとか近いんで、そっちも良いねなんて話になってしまうけれど、こういう風に鮮烈な体験として自分の中に残り、かつ治安もいいので身の安全という点でも行きやすいというので絞っていくとそんな場所はほぼキューバくらいしかなんじゃないかと思います。

そしてキューバに行く機会なんてこの先無いに等しいのだろうけど、またもう一度行くことがあったとしても、「このキューバ」にいく機会は2019年が本当に最後の機会だったんじゃないか、なんて思ったり。キューバはあれから憲法改正で市場経済の導入が決まり、二重通貨制度も廃止され、それにさらにコロナ禍でそもそも海外に行けなくなってしまった。その中でキューバという国ももう元に戻ることができないような変化をこれからしていくんじゃないかと思うんです。なのでこの機会は本当に貴重なものだったし、なにか自分の財産になるような気がして今もう一度思い出しています。なんか、オードリー若林さんが行ってエッセイを1本書いちゃうのもわかるような。

なにはともあれ、キューバという国がもつある種のオーラがこれからどうなっていくのかなあと、少し寂しさも感じながら見ていくことになるのかなと今は思っています。


おまけ ニューヨークで撮った写真

せっかくなのでキューバに行く前後に合計2週間くらい滞在していたニューヨークでの写真もよかったら見てってください。

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成田ーニューヨークの途中で飛行機の窓から見たアラスカ州最大の都市アンカレッジの夜景。

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上空から見たマンハッタン島。中央にセントラルパークが見える。

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KGBスパイ博物館、ソ連KGBの用いたスパイ用具が展示されている。

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エンパイアステートビルを望む。

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コリアタウン。

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チャイナタウンの街並み。世界最大のチャイナタウン。

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チャイナタウンで食べたウサギ型の杏仁豆腐かわいいから見て。

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郊外・ブライトンビーチのロシア・旧ソ連人街にある、ウズベキスタンの首都名を冠したスーパー。

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国連本部。

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セントラルパークにあるマンハッタン片岩の露頭。

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ストロベリー・フィールズ(ジョン・レノン記念碑)

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モンドリアン。

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対岸からマンハッタンの摩天楼を望む。


おわり。

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