グランメゾン東京の楽しみ方。5
今回は料理人見習いの芹田くんにスポットを当てます。
もう若かりし自分を見ているようで感涙でした。心がギュッとなりましたね。。。
今回は完全に料理人田村浩二として書いています。悪しからず。
若いうちは中々仕事が回ってきません。先輩達の方が当たり前ですが仕事が出来るからです。仕事をもらうには先輩より出来るようになるのが一番早いのです。
仕事とはお客様の為に
これはお客様は神様です。的な事が言いたいわけではありません。スタッフの環境を整える事も大切ですし、何でもかんでもお客様の為に時間を使うのは違うと思います。
しかし、僕達料理人(パティシエも)はお客様がいて初めて成り立ちます。だからこそ、料理はお客様の為に作るのであって、スタッフの技術向上の為にやるのではない(もちろんそれも兼ねるが、あくまでもお客様の為に作る)。
芹田が市場で魚をおろす練習をしていました。きっと一流のシェフ達は皆通った道だと思います。(市場でも自宅でも)
僕も築地で毎朝4時過ぎからバイトをしていた時期がありました。
もちろんこれを強要するわけではありません。完全に時間外の事ですし、誰にでも出来る事ではないからです。
ただ、今第一線にいる人は確実にこうゆう時期があります。そしてそれが料理人という生き方なのかもしれません。時代錯誤と言われるかもしれませんし、今の自分の会社でも求めませんが、やる人は必ずやります。
これは仕事だからではなく、自分の人生をより豊かにする為にやるのだと思います。
修行時代はストレス過多だった
僕の修行時代は本当に散々でミスばかりでした。以前もnoteに書きましたが、今だからこそ笑えるけれど、当時は本当に明日が見えないようなミスも多かった。
僕は調理師学校の授業とバイト以外は料理をしていませんでした。調理技術を身につけていたかもしれないけれど、料理を美味しく作るということをしていなかった。
自分のご飯を自分で作る事もほとんどなかったし(実家だったので甘えていた)レシピの再現ばかりしていた。しかしレシピは手順を伝えるもので、美味しく作るためのものではない。
それに気づくのにだいぶ時間がかかりました。
家庭では2~4人前を作れれば大丈夫ですが、レストランではそうはいきません。最初に働いたお店は10人くらいスタッフがいましたし、フランスの時は40人分くらい作らなくてはいけませんでした。
レシピ本で見る4人前とその10倍の40人前は全く違う次元です。100ピースのジグソーパズルと500ピースのジグソーパズルくらい違います。(分かりにくい)
レシピ本は淀みなく作業が続くことが前提で書かれています。(当たり前)しかしキッチンの中は毎日なにかしらが起きます。
ご飯を鍋で炊こうと思ったら火口がなかったり、煮込み料理をしていたらお店の仕込みで火口を奪われたり(あるある)オムライスを作ろうと準備していたら、全く関係のない食材を使えと言われたり(めちゃくちゃあるある)
事前に準備していたものがゼロになるケースも少なくありませんし、賄いように材料が取れる店の方が少ないかもしれない。(ブロッコリーの屑で毎日賄い作ってました)
そうゆうイレギュラーな中で対応力を養ったわけですが、その中でめちゃくちゃ文句言われながら育ちました。
賄いを食べない優しさもある
僕達料理人は働き始めた時点でプロです。自分がどう思っていようがお客様から見ればそうなんです。プロがマズいものを作ってはいけないし、ましてやそれをスタッフに食べさせてはいけない。
先輩やシェフは数多くのレストランで食べ歩きをして、美味しさへの熟練度も違う。語弊なくいえばお客様よりも舌が肥えています。
なのでお店のスタッフが美味しいと言わなければお客様に料理を出すなんてもってのほかです。営業中の作業に芹田が入れないのも同じ理由ですね。厳しいようですがまだ土俵にも立っていない。
プロだからこそ、甘やかさない。
食材が勿体無い!とこれが聞こえてきそうですが、スタッフの事を思うからこそ賄いを残す事も必要です。(ただ半分くらいの人は意地悪だからだと今でも思ってます)
芹田の賄いのシーン。
みんなが残した時は卵の焼き方も野菜の入れるタイミングも最悪でした。チャーハンの何たるかを分かっていない。
卵が完全に火が入ってからご飯を入れたり、野菜を生のまま加えたり。勿論意図して生のまま加えているなら問題ありません。でもあのシーンではなにも考えずに入れていました。(と思ってます)
だからこそ2回目の賄いは野菜を事前に炒め、卵の火入れも明らかに違いました。
忙しい中で賄いはどうしても作業になってしまいがちです。しかし、忙しい中で一日1回しかないない賄いを美味しいものが食べれないなんて、料理人としてはあり得ません。(賄い2回ある店もあります)
料理人の作る賄いは一般の方と同じ美味しいではダメです。プロに美味いと言わせるものを作る義務があります。
だからこそ敢えて賄いを残す優しさも必要なのです。(でも残されるのは本当に辛い)
味見は残った皿から
お店の試食は全員ができるわけではなく、下っ端はほとんどその機会もありません。小さいお店ならそんなことは無いかもしれませんが、お皿に残ったソースを味見するのは割と当たり前にあります。
そのほんの少しの味を覚えて、シェフの味覚を目指していきます。(めちゃくちゃ非効率だけどそんな感じ)
洗い物の鍋に残ったソースの味をみたり、肉の切れ端で味をみたり、隙を逃さず味見をする。そうやって自分の味覚も育てていました。
これは受け身で教わるのではなく、自分から積極的に学びに行く姿勢が大切だと僕は勝手に解釈していました。そう思わないとやってられなかったのですが。
でもそのおかげでどんどん自分から進んで挑戦するくせもついた気がします。
こうやって少しずつお店の中の美味しいを理解することで、自分の賄いも変えていきます。どんなに自分が美味しいと思っていても、それを食べる人たちが美味しいと思わなければ意味がないからです。
賄いを目の前でゴミ箱に入れられたり、一口食べてコンビニ弁当を買いに行き目の前で食べられたり、ボロクソに文句言われたり。
賄いのレシピを一ヶ月分書かされたりもしました。(メニュー通り作れないのに)
こう書くと賄い作るのが嫌になりそうですが、スタッフが美味しいと言ってくれたり、シェフに賄いの作り方を聞かれたりするとメチャクチャ嬉しいんですよね。(美味しいとは言わないけど作り方は気になるから聞く。みたいな)
フランス時代も、最初はうまくコミニュケーションがとれず大変でしたが、賄いを担当した事で、スタッフの信頼を得ることができ、仕事を任されたりもしました。
料理人が作る賄いは、美味しいかどうかだけではなくその人の技術力を伝えるすべにもなります。
最初に働いたシェフには『世界に通用する技術を身につけろ』と散々言われましたが、フランス時代にその本当の意味がわかりました。
技術は言語を超えるのです。
若気の至り
そんなありがたい言葉をかけてくれたシェフですが、僕は思いっきり喧嘩をしてやめました。日々ギリギリの生活の中で追い詰められた事や、自分の仕事を否定された事。小さな積み重ねが僕をそうさせてしまったのですが、本当に良くなかったなと思っています。
若気の至り。これしか言えない。
ただ啖呵を切ってからも1ヶ月くらいは働きました。(逃げるのも腹立つから)
引き継ぎをして、最後も挨拶をしてやめました。その時はまだ自分は悪くないと思っていましたが、次の店に行ってそのシェフの凄さや自分の間違いに気付きました。
なので3年後に門を叩き誤りにも行きました。
シェフは僕が啖呵を切った事には何も言わず、ただ頑張れと言ってくれましたね。
フレンチ辞めんじゃねーぞ。ではないですが、同じような感覚がありました。
グランメゾン東京は泣かせてくれます。。。
今回は長くなってしまったので料理の話は割愛しますが、次回以降も本当にたのしみです。
気が向いたらもう一本真面目に書こうと思います!
皆様の優しさに救われてます泣