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料理人に向けて僕が伝えられる事

料理人は料理をすべき。

それは正しい事だと思う。

でも料理だけをすべきは違うと思う。というのは他の挑戦をする人に対して料理だけをやっていれば良いんだよ!という人が少なくないからだ。

もちろん料理が好きで作っていることが最上の幸せならばその考え方で良いと思うし、他人の人生観に首を突っ込んでまで新しい働き方が良いとも言いはしない。

ただ変化に挑もうとしている人を自分の価値観だけで判断して批判するのはもうやめた方が良いと思う。

2018年と2019年では大きく変化が起きている。これは僕自身の変化が大きかったことも関係しているが、レストラン業界を外から見ていても変化が顕著だと感じている。だからこそ若い料理人からの連絡や相談が増えたのだろう。

今の変化をリアルに感じている若い世代は今後の人生をどう進んでいけば良いかを悩んでいる。これは僕が20代に感じていた悩みとは次元の違うものだと思う。そしてその答えは誰にもわからないし、自分が将来どうなりたいかを決めない限り明確には見えてこない。

いや、決めたところで見えるわけがないのかもしれない。だからこそ各自が考え、挑戦し、道を作っていかなければならないんだと思う。

今回は変化を選んだ側としての視点で、これからの料理人がどういきていく方が良いのか?を個人的な観点で書いていきます。一つの意見として参考にしてもらえれば幸いだ。

料理人は料理が上手であるべきだ


至極当然なのだが、料理が上手くなければ話にならない。

ただ料理が上手いってちゃんと理解されているのかは不安だ。

料理が上手いっていうのは単に美味しいものが作れるってことじゃない。美味しい料理を作れる人は世の中にたくさんいる。僕の母も料理上手だし。

この料理が上手という言葉をきちんと因数分解した上で自分の強みは何なのかを考えなければいけない。これによって自分がやるべき事や進むべき道が見えてくるのではないか?と僕は考えている。

例えば料理を作るという言葉の中には

食材手配(目利き、生産者との関係値、コミニュケーション)
食材管理(適切な下処理、キッチンのサイズ把握管理能力、状態見極めの目利き)
仕込み(食材への知見、オペレーション構築能力、作業効率化能力)
実際の調理(瞬間的な判断力、実作業の速さ、全体のタイムマネジメント)
衛生観念(食材、スタッフ、キッチン、フロア)
対人対応(ゲストに合わせた内容の調節等)

僕ら料理人が行う料理を作るという仕事は、雑に列挙するだけでもこれだけの仕事がある。なのに料理を作るという言葉で括られがちだ。

大きなレストランでは仕事は細分化されるが、小さな店なら数人で全てをやることになり、そして料理を考えるという全く違う思考を使う作業がある。

オーナーシェフならここに数字管理や経営、人材管理、広報なども増える(実際にはここまでやれていないと思う)

料理が上手いと書いたのはこの為です。料理が美味いだけではダメなんです。特に飲食レベルが上がり飽和なこの時代では、過去のネームバリューだけでは生き残れない。


料理人の能力の図解が必要


僕は図解出来ない(デザインが)のでこれはこのnoteを読んでくれている得意な人に任せます。

料理人の能力はいくつかに分かれます。

食材への知識が豊富なオタク
仕込みや単純作業がめちゃくちゃ得意なスピードスター
人の配置やオペレーションの構築が得意な効率厨
盛り付けやデッサンが上手いアーティスト気質
とにかく味覚(嗅覚触覚含む)が良いタイプ
料理のアイデアが凄いレシピ創造タイプ

もう少し多くて複雑に絡み合うのですがこれくらいで。

それぞれ能力が違うので、活かす分野も変わってきます。

でもオーナーシェフになった瞬間美味しさだけで全てを判断されがちです。これは他の業界でもそうですが、目に見える技術以外は埋もれてしまいがちです。でも良く考えれば分かってきます。

どんなに美味しい料理でも間が空きすぎれば美味しく感じなくなる。料理のテンポの良さも味の一部ですし、接客もそう。

味覚が良くて作業が速くないタイプは小さなお店をやる方がいい。

オペレーション構築能力が高い人は自分でお店を持つよりも大きな場所でその力を活かしたほうが良いかもしれない。

盛り付けが得意な人はスタイリングで仕事が出来るかもしれない。(あくまで可能性の話でフードスタイリストの方はめちゃくちゃ特殊な能力を持っているので悪しからず)

とこの様に自分の持っている能力次第で今後目指して行く道が変わってきます。

ただ今までは自分のお店を持つ。というものしか明確なゴールがなかったので、全員同じ位置からの戦いになってしまっていた。

そして、自分の方が技術はあるのに!とかあいつは人柄だけで俺の方が料理が美味いのに!という不毛な論争が陰でこそこそ行われる。本当に不毛だと思う。

物事を一つのものさしで測ろうとするのは本当に良くない。


自分の立ち位置を知ることが大事


先日料理のコンペティションについての話が気になり自分なりに考えたが、そもそもミシュランもWorld50もコンペも特性がある。その特性に自分が当てはまっているかを把握する事も大切だ。

調査員や審査員にも傾向があり、対策もある。そうゆうものを無視していてはなかなか成果が挙げにくい。

犬が好きな人に猫でアプローチしないだろう。

これは自分の生き方を考える時も同じで、自分の能力で世の中に何が貢献できるのか?は常に考えた方がいい。

これは部活の中でも職場でも家庭内でもなんでも同じで、そのコミュニティー内での自分の価値を最大化するにはどうするべきかって事。

やりたい事と出来る事は基本的に切り離して考えて、最終的にやりたい事に寄せれる様に努力する方が僕は良いと思っている。

短距離が得意な人がマラソンに憧れても成果は出にくい。そうゆう意味で一芸に秀でるのは良いと思うが、一芸だけで突き抜けるのは本当に難しいので能力の掛け算が多くの場所で言われている。

料理人は基本的に調理技術に長けているので、何を掛け合わせるかはパーソナルな部分で決めるといいと思う。

僕の場合はオペレーション構築能力とコミニュケーション能力が調理技術と味覚に掛け合わされていると思っている。

食材の知識や盛り付け的な美的センスはほぼない。天才的な発想もないのでとにかく知識を増やしてきた(香りの知識等)

なのでシェフ時代から僕はどちらかと言うと機能美やミニマリズムでデザインを作ってきている。絵画の様なデザインは出来ないからだ。

出来る範囲で極限まで突き詰めて考える事で日本的な美しさを出せればと、と考えた。無駄が嫌いな性格も反映されていると思う。

そしてそれが自分らしさに繋がり、その根底の考え方を共有する事でMr. CHEESECAKE の世界観などが作られていると思う。(スタイリングやサイトの構築にはほぼ意見していない。yes or noくらい)

自分の得意は何か?そこを理解する事で必然的に伸ばすべく方向性が見えてくる。ただある程度の経験を積まないと本質的な得意な事は見えてこないので、若い料理人は多くの経験を積むことをオススメする。

少なくとも調理場の中だけでは得られない感覚もある。

自分の過ごしている環境は日常だが常識ではない事をもっと知るべきだ。


修行が必要か?


答えはYES。絶対に必要。ただ何のための修行なのかを理解する必要がある。

良く話にあがる鮨屋の話があるが、僕的には絶対に修行が必要。

これは技術の習得において必要なのではなく、大将との関係値作りや取引先との関係値作りの為だ。

というと本質ではないと思われるかもしれないが、鮨屋というステージに決める時点で腹を括らなければならない。そうゆう業界なのだ。

この業界で突き詰めるには、極論仕入れが全てだ。(と思っている)

良い素材を手に入れるためにはそもそもの鮨業界の相関図を理解しなければいけない。人と人との繋がりが仁義が大切にされる。当たり前といえば当たり前で、古くさいと言われればそれもそうだろう。

ブレイクスルーのポイントはあるかもしれないが、鮨屋を選んだ時点でそうゆうルールのものだと思った方がいい。

サッカーを選んで何で手が使えないいんだ!っていう人はいない。

修行という言葉に弄ばれるのではなく、自分の目で頭で心で考えて修行をする。

修行でも仕事でもするものであってさせられるものではない事は言わずもがな。


目の前の言葉や世間の意見ではなく、自分で考えて行動する力が求められている。

自分の能力に合わせて新しいやり方を作る方が早いかもしれないし、自分の能力に合わせた環境選びをするべきだと思う。

今時代は転換期を迎えている。

どう生きていくかを真剣に考えるべき。


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