始めない勇気。
年末のリフレッシュにとフィリピンのボラカイ島に来ています。
久しぶりに頭の容量に余裕があるので色々考えていたのですが、ふとこんな事を思いました。
2018年、僕がフリーになった頃はフリーランスのシェフなんてほとんどいませんでした。(とはいえ僕も自分の会社をすぐに作ったのでフリーの期間は数カ月でしたが)ただ2019年になり、働き改革やフリーランス最高!的な流れから、個人で活動する料理人が増えました。(他の業界もそうかも?)
僕的にはシェフになるのもフリーになるのも同じ感覚で『自分自身の責任で矢面に立つ』事だと思っていて、それは自分の一挙手一投足が全て他人から評価される事を意味しています。
そこには年齢や経験に甘んじる事なく、同じ業界の人と同じ土俵で評価される事を厭わない覚悟です。
『今の僕にできる精一杯はこれです!』の様な年齢や技術に言い訳をしない覚悟が必要なものだと理解している。
なぜならばお客様には関係のない事だし、そんな言い訳がましい事を言うなら初めからやるんじゃねーよ、と僕の中の偉い人が言ってるからです。
お金を頂くとは一体どうゆう事なのでしょうか?
覚悟の違いが成果の違い
僕は多くの起業家の方と話をする機会を頂いた事があり、その人達に共通している事は『自分たちの仕事に対する覚悟』です。
その人達は20代前半や半ばで挑戦を始めて30前に成果を出している人もいます。でもその人達は自分たちの年齢の話はしません。
まだ20数歳なのでこれが今の能力ですが。。。のような話をしないのです。なぜならばそこには覚悟があり、責任があり、自信があるからです。
それがあるからこそ、投資家に話をし、熱を伝え、資金を集めて、先が見えない中で自分を信じて全力で走っている。
そこに対して自分で自分の年齢に対して防御線を張っていて本当にいいものが作れると思っているのか?それ自体が自分の価値を下げている事に気付かないのか?と特に若い料理人を見ていて思うのです。
確かにレストランを作るには大きな金額が必要で、スタッフも必要です。簡単には始められない。でもだからこそ、そのリスクを背負って挑戦する人が本物になれるのではないか?
したり顔で時代の話をし、シェフにもなったことのない人間がレストランを時代錯誤かのように語る。対して修行をしたことのない人間が修行をバカにして、特に技術もない人間が技術を語る。
それほどまでに早く何者かになりたいのか?
最早何者かになる事が目標になってしまい、本当にやりたい事が何もないのでは?とさえ感じる。今流行りの言葉を並べただけの文字の羅列には何の熱も感じない。(勿論感じる人もいます。昆虫食の篠原さんとか)
大人の責任
若者だけではなく、大人の責任もあると思う。
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皆様の優しさに救われてます泣