【ジョジョnote】第5部考察 構成編 ブチャラティ・チーム その②
E. ブチャラティの容姿
① 女性的な髪型
第5部にまつわる「女性的な面」については、
「構成編 ジョルノ・ジョバァーナ その①」
で考察しているので、そちらを参照いただきたい。
② 開いた胸元 = 開襟・他人に心を開く態度 [信頼度: B (それっぽい! 推測)]
ジョルノとブチャラティはどちらも、「胸元がハート型に開いた服」を着ている。
これはこの2人の「開襟する、他人に心を開く態度」を視覚的に表しているのではないだろうか?
第5部の主要キャラクターの服装には、視覚的な見え方にメッセージが散りばめれている(と僕は推測している)ので、それを読み解くのも1つの楽しみ方だ。
③ ブチャラティの「死」の要素 - 「Bruno = 喪服」
さて、問題はブチャラティの服装なのだ。
白黒の水玉模様のような印象的なブチャラティの服装。
しかしながら、辞書で「Bruno」と検索すると、
驚きの意味が出てくる。
(形容詞)
1. 暗褐色の、濃茶色の、黒っぽい
2. ((文))薄暗い; 陰気な, 悲しげな
(男性名詞)
1. 暗褐色, 黒い色
2. [(女)-a] 褐色の [黒っぽい] 髪や肌をした人
3. 喪服, 黒衣
(コトバンク 伊和中辞典 2版の解説より)
なかなかショッキングな意味だ。
僕もね、最初はそう思いましたよ。
「いやいや、ブチャラティが死ぬからって。
いくら第5部を根掘り葉掘り考察しようとするからって。
いくらなんでも、それは考えすぎでしょ笑」
しかし、そうともいってられないのですよ。
こちらは、「フライト・コードなし!サルディニアへ向かえ」という回におけるブチャラティとカルネだ。
(カルネはここが一番良い顔だと思ったのでこれにしました)
注目してほしいのは、ブチャラティの服装とカルネのバンダナだ。
これは…白黒を逆転させた同じ模様なのでは?
この時のブチャラティはゾンビ化していて、
「肉体は死んでいるけど、精神は生きている」状態。
一方のカルネは、肉体が死んだ後に初めて発動するスタンド、
「ノトーリアスB・I・G」という能力を持っている。
というわけで、
少なくとも、「ゾンビ化したブチャラティ」と「ノトーリアスB・I・G」が対になっていて、それを白黒反転した模様で表現している、
という推測までは問題ないと思う。
つまり、少なくともノトーリアスB・I・Gが登場した頃には、
ブチャラティに「死」の要素が盛り込まれていることは疑いようのない事実だろう。
重要なのは。
「ブチャラティの服装に『死』の要素が盛り込まれ始めたのは、いつからなのか?」
単純に、物語の流れを追ったり、あるいはカルネのバンダナの模様との一致を考えれば、
「教会でボスに殺されるあたりか、あるいは荒木先生の頭の中ではもうちょっと前の段階でそんな構想があったのかなぁ…」
という想像には至るだろう。
しかし、だ。
「Bruno」という言葉に、「喪服」という意味が含まれているのは伊和辞典に掲載されている事実としてあり、ジョジョのキャラクターの名前には妙なこだわりが随所に見受けられることを考えると…
(例えば、第4部の冒頭で、「承」と「仗」の意味をわざわざ載せている。
こういった言葉遊びが大好きなのだ。)
構成の段階で、荒木先生は『Bruno = 喪服』であることを知っていたのではないか?
つまり
ブチャラティの名前には「死」の要素が最初から盛り込まれていて…
ブチャラティが着ている白黒の水玉スーツは、実は「喪服」で…
ブチャラティが死ぬことは構成段階で既に決まっていたのではないか?
という推測に至ることができる。
この推測は何を意味するのだろうか?
(第4部 東方仗助!アンジェロに会う その③より)
F. ブチャラティの過去 - 「運命を受容し続けた人生」
ブチャラティの「死」の要素について考えるためには、
まずブチャラティの過去を振り返る必要がある。
ここで注意してほしいのは、
「ブチャラティは自分の意志で自分の道筋を決めたのか?(能動)
それとも、自分以外の要素に従う形で道筋を決めたのか?(受動)」
ブチャラティのエピソードは、7歳の時の両親の離婚からはじまる。
この時ブチャラティは、「自分がどちらについていきたいか?(能動)」
ではなく、
「両親のどちらにとって自分は必要か?(受動)」
という視点で父親についていくことを選んでいる。
麻薬の売人に父親が殺されかけた場面では、
選択の余地すらなく、
「父親を助けるためには売人を刺し殺す以外の選択肢はない(受動)」
という形で殺人に手を染め、ギャングに堕ちていった。
このように、ブチャラティの人生の選択は、
「自分のための選択」というよりは、
「他者のための自己犠牲的・自己破壊的な選択」になっていることがわかるだろう。
ブチャラティの自己犠牲的な行動は、プロシュート兄貴戦における、列車からの道連れ墜落が最も象徴的だろう。
こういった状態が、ブチャラティの「心の死」の呼び水となっていた。
ブチャラティの「心の死」が決定的になるのは、
自分の受け皿となってくれたパッショーネという組織が、
自分の人生を狂わせた麻薬の密売に手を染めていることを知ったときだ。
これは、エレベーター内で誘拐されたトリッシュの救出に向かうブチャラティが、ボスに対して吐き捨てるセリフだ。
この言葉に象徴されるように、
「トリッシュ護衛の任務は、実はトリッシュ殺害のためだった」
という事実が "2度目の" 裏切りで、
「実はパッショーネも麻薬密売に手を染めていました」
という事実が "最初の" 裏切りだ。
ブチャラティの「心の死」については、別の場面でもブチャラティ本人から語られる。
これは、チャリオッツ・レクイエムによる背後の球体をブチャラティが破壊して、昇天していく時にジョルノに語る言葉だ。
この言葉は、極めて重要なことを教えてくれている。
ブチャラティの心は劇中で明らかに2度死に、
そしてジョルノはその心を2度生き返らせている。
一度目は、麻薬密売の事実を知った時。
ブチャラティの心はゆっくりと死んでいった。
しかし、「自分がギャングスターになって、麻薬で腐敗したギャングを更生する」という夢をジョルノが語った時、ブチャラティはその思想に共鳴し、ジョルノの教えに入信し、心が生き返った。
二度目は、トリッシュ護衛>殺害というボスの魂胆を知った時。
無知の娘の命に父親自らが手をかける、その外道の所業の手伝いをさせられてまんまとはめられたという事実が、ブチャラティの心を殺した。
しかし、ブローチを亀に変えてブチャラティを窮地から救う、というジョルノの機転に「勇気」をもらったこと。
そして、ジョルノによって奇跡的な『延命』が起きたことで、
トリッシュとの共闘、そしてボスの打倒という新たなミッションに挑むチャンスを得たことで、ブチャラティの心が生き返った。
このように、ブチャラティは運命に対して受動的に、自己犠牲的に従うという態度を取り続けたために、ブチャラティ自身の心の死を招いてしまっている。
この態度は、運命というものに果敢に挑み続けるジョルノとは極めて対照的だ。
そこで次の項では、ジョルノとの対比を考察してみよう。
G. 「生」のジョルノ、「死」のブチャラティ - ブチャラティに共感してしまう理由
以前の考察で、
「死」のDioと、「生」のジョルノを比較した。
(こちら)
しかし、ブチャラティの考察を深めることで、
ブチャラティの「死」の要素が際立ってくると、
「生」のジョルノと「死」のブチャラティ、という対比が生じていることにも気づく。
もっとも重要な違いは、「運命に対する葛藤」だろう。
ジョルノは、「幼いころに『既に葛藤を乗り越えた』」人だ。
それゆえに、「運命というものは自分の行動や『乗り越えようという強い気持ち = 覚悟』を持つことで、変えることができる」
と心の奥底では思っている。
(『覚悟』については、今後考察します)
だから、ジョルノはひたすらに前向きに進んでいくし、
困難に直面しても、その時その時で「正義」に基づく決断ができる人だ。
最終的にも生き残る。
これらが、「運命に対する葛藤について『能動的』な『生』のジョルノ」の性質」だ。
しかしながら、というか…
前向きすぎる主人公の副作用として…
読者にしてみれば「超人的すぎる」主人公になってしまっているのだ。
しかも、幼い頃に葛藤を克服して精神的に成熟してしまっているがゆえに、
(スタンド能力の成長とは別の話ね)
感情の起伏も少なくなっていて、読者はジョルノの気持ちを追体験しづらい。
これが、「読者がジョルノに共感しづらい」理由だ。
対照的に、ブチャラティは「運命を受動的に受け入れる人」だ。なぜなら、ブチャラティにとって
「運命は葛藤の余地がなく、それを受け入れて最も合理的な判断をするもの」
だからだ。
・両親の離婚
・麻薬の売人の殺人
・プロシュート兄貴戦における、列車からの道連れ墜落
そんなブチャラティにも2度、葛藤が生まれている。
それは前項でも書いた、
「組織の麻薬密売」と「トリッシュ護衛が殺害目的」という事実に気づいたときだ。
この2つの葛藤に共通するのは、
「(ブチャラティ自身はどうなろうとも構わないが)
組織の命令に従う自分の行動によって、無知なもの(幼い市民やトリッシュ)の破滅や死をもたらす。」
という、二項対立だ。
この葛藤には明らかに「ブチャラティ自身の意志」は盛り込まれていないのだが、
読者である僕らはブチャラティの葛藤する姿勢に共感する。
ブチャラティはこの葛藤をどう乗り越えたのか?
①組織に忠実に従って無知の市民を虐げる(ブチャラティの心が死ぬ)
or
②市民を助けようと命令に逆らうことで、組織から粛清される(身体が死ぬ)
という、二項対立の状態から、
③根本的な原因である組織・ボスを打倒する (心も身体も生きる)
という第3の選択肢を生み出すことで乗り越えている。
また、葛藤するブチャラティの感情表現が豊かで、特に怒りや悲しみといった強い感情が読者の心に響いて震わせるのだ。
何より、「判官びいき(物語で弱者や敗者の側に立ちたくなる気持ち)」が強い読者にとって、「ブチャラティは最後は死んでしまう」という滅びの美学にもつながる展開は、ブチャラティに対する崇敬の気持ちすら思い起こさせる。
これらが、「運命に対する葛藤について『受動的』な『死』のブチャラティ」の性質」だ。
このように、読者が「ジョルノに感情移入しづらい理由」は、
「ジョルノが超人的ですごすぎるから」
そしてそれ以上に、
「ジョルノ以上に、ブチャラティが大好きになっちゃうから」
まとめ
1. ブチャラティの容姿は「髪型」「胸元」「服の模様」にメッセージが込められている
2. 「Bruno」という言葉には「喪服」という意味があり、
これはブチャラティが構想段階で「死ぬ運命」にあったことを示唆
3. ブチャラティの人生は「運命に従い続けるもの」だった
4. ブチャラティの心は2度死に、2度生き返った
5. 「眠れる奴隷」のエピローグは、第5部執筆中にキャラクターから影響を受けて作品の方向性を少しだけ変えた、という経験が基になっている、と推測される
前回のその①、今回のその②を踏まえ、
次回は第5部の核心である「眠れる奴隷」について考察する。
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第5部考察 構成編 ブチャラティチーム その③ 眠れる奴隷 完全解釈
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