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【ジョジョnote】第5部考察 構成編 パッショーネのボス その② ドッピオとディアボロ

目次
ジョジョnote

前回
構成編 パッショーネのボス その① ソリッド・ナーゾ

3-4. 「二重人格」という設定のモチーフ
[信頼度: A (確からしい! 出典あり)]


ここからは、ボスの本質に迫っていく。
まずは、「二重人格」という設定のモチーフを考えてみる。

僕の推測としては、モチーフは2つあり、
1つは確実に、もう1つもおそらく確かだと思われる。

①第1のモチーフ:映画『トータル・リコール』

1つ目のモチーフは、JOJOVELLERのSTAND本に荒木先生のコメントがある。

『トータル・リコール』って映画に、お腹にもうひとつ顔のある
二重人格者がいて、ショックを受けてね…。ディアボロの髪色は、
ヒョウ柄に染められたらパンクだなーと(笑)。

JOJOVELLER  STANDS キング・クリムゾン p190

トータル・リコールとは1990年公開のSF映画で、
記憶の売買や宇宙旅行が日常生活の中にある世界で、
主演のアーノルド・シュワルツネッガー扮するダグラス・クエイドが
いろいろがんばるという内容だ(なかなか説明しづらい…)。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/e/ei-gataro/20201205/20201205233035.jpg
↑こちらのリンクからは、上述のトータル・リコール考察の記事にある、
ジョージの画像が見れる。

作中に登場する反乱組織のリーダーのジョージは人間なのだが、
その腹部には「クアト―」と名乗る宇宙人のような謎の生命体が寄生している。
そして、実質的に反乱組織に指令を出しているのは、
このクアト―という賢い生命体、という事実が明かされる。

荒木先生のコメントの通り、
ジョージ(表の顔)とクアト―(裏の顔)という設定が
ボスのキャラクター設定のモチーフになっている。

しかし、荒木先生のコメントと微妙に異なるが、
ジョージとクアト―の関係は、あくまで1つの身体に2つの生命体が
同居しているという寄生状態であり、
ドッピオとディアボロのような、人格が2つあるという設定ではない。

それでは、「人格が2つに分裂する」というモチーフはどこから来たのだろうか?


②第2のモチーフ:キング・クリムゾンの「21th Century Schizoid Man」


https://www.youtube.com/watch?v=7OvW8Z7kiws

初めて聞く人は、とりあえず2:07あたりまで聞いてから判断してほしい。

この「21th Century Schizoid Man」という曲は、
1969年に発表されたキング・クリムゾンの1枚目のアルバム、
In The Court Of The Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)
の1曲目に収録されている。

この楽曲の現在の邦題は「21世紀のスキッツォイド・マン」なのだが、
かつては「21世紀の精神異常者」と訳されていた。

もちろん、このように邦題が変更されたのは、
精神異常者という表現が倫理的に不適切だからなのだが、
「schizoid man」を単に精神異常者と訳すと、言葉の意味がわからなくなる。

schizo-とは、「分裂」を意味する接頭辞で、
schizosaccharomycesとは酵母の一種の分裂酵母の属名を指すし、
schizophereniaは現代でいう統合失調症、
かつては精神分裂病と呼ばれた病を指す。

また、-oidという接尾辞は「〜のような」(英語でいう-like)を意味する。
つまり、schizoid manとは、「精神が分裂した人」という意味になる。

このように考えると、
キング・クリムゾンの「21th Century Schizoid Man」という選曲そのものが、
ギャングを影から支配する裏社会のボス(キング)が、
実は二重人格者だった(schizoid man)

というように、ディアボロというキャラクターを端的に表しているのだ。
荒木先生の選曲センス、恐るべし。

ちなみに、第5部の作中での時間は2001年3月末に始まるので、
「21世紀」という点も問題ない。
というより、
21th Century Schizoid Manをモチーフにしたから、
辻褄が合うように21世紀最初の年の2001年から始めた

と考えたほうがシンプルなように思われる。

なお、キング・クリムゾンの付属的な能力である「エピタフ(墓碑名)」は、
同じくIn The Court Of The Crimson Kingの3曲目だ。
さらにいえば、2曲目の「Talk To The Wind(風に語りて)」
という曲も第5部っぽさがあって良い。


3-5. なぜ暗殺チーム・親衛隊には
コンビが多いのか?
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]


スタンドバトルが主軸となる第3部以降では、
多くの敵が1人で攻めてくる。
しかし、一部の敵はコンビとしてジョジョたちに立ちふさがる。

ここで第3部以降のコンビの敵を振り返ってみよう。

第3部
Jガイルとホル・ホース
オインゴ・ボインゴ
ホル・ホースとボインゴ(再登場して結成)

第4部
虹村形兆と虹村億泰
吉良吉影(川尻浩作)と吉良吉廣
(一応。ちなみに、吉良=Killerで殺人鬼なのは…言うまでもなし)

第5部
ソルベとジェラート
ズッケェロとサーレー(バトルは単独だが、2人組のチームだった)
プロシュートとペッシ
ティッツァーノとスクアーロ
チョコラータとセッコ

第6部
しっかりコンビを組んでいる敵はいない
(ジョンガリ・Aとプッチ神父はコンビという関係ではない)

このように、明らかに第5部だけコンビとして登場する敵が多いのだ。

これはおそらく、
ドッピオとディアボロが二重人格の関係にあることを
カモフラージュするために、多くのコンビを配置することで、
「ボスもチームを組んでいるんだ!」
と読者にミスリードさせるための仕掛けだろう。

※ドッピオ vs リゾット戦の人物相関図で、
あまりにもナチュラルに二重人格だと書いてあってびっくりする。
この段階では、「ボスってもしかして二重人格…?」と匂わせておいて、
コロッセオでついに確定!というほうが盛り上がったと思う。
連載中にわかりにくいと苦情でも入ったのだろうか…?(あくまで僕の妄想です)

キング・クリムゾン vs. メタリカ その① コミックス58巻、文庫版36巻


3-6. ヴィネガー・ドッピオという名前
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]


個人的には、ディアボロ考察の中で一番面白いのは、
なんでヴィネガー・ドッピオって名前なんだろう?
に対する解答だと思っている。

まずは言葉の確認から。
第5部のキャラクターは、その多くがイタリア語の食べ物に由来する。
ヴィネガー(Vinegar)は「」なのだが、これは英語だ。

こちらのジョジョの海外版Wikiによれば、
ジョジョがイタリアでローカライズ(イタリア語版の出版)の際に、
イタリア語表記に合うように「Aceto Doppio」に変更されたらしい。
(イタリア語で酢はAceto(アチェート))

Doppioはイタリア語の「ダブル(二重・二倍)」を意味する。

ここからわかることは、
第5部において、ヴィネガーという英語表記の名前は明らかに異質
ということだ。


そしてこの謎を解くキーワード…
それは、「ドレッシング」だ。

こちらは、我々日本に住む者が日常的に見かけるドレッシングだ。
英語では「dressing」。
さまざまな調味料と油を混ぜて、サラダにかけて食べるやつ。

しかし、「イタリア ドレッシング ない」と検索するといろいろ出てくるが、
イタリアでは「既に混ぜてある調味料」としてのドレッシングは使わないらしい。
一般的には、生野菜にオリーブオイル、酢、塩、胡椒、レモンなどを
その場でかけて、なじませてから食べる。
つまり、「ミスタ(mista)」として食べるのだ。

しかも、ドレッシングといえば、「使う前には必ず振る」のがお決まりだろう。
なぜかといえば、「水と油の2層に分離してしまう」から。


このように考えると、
「二重人格者」の名前としては、
ドレッシングが最もふさわしいことがわかる。

以前のフーゴの考察でも触れたが、
フーゴは「イチゴソースがけのパンナコッタ」という形で
精神の分離を表現している、と考察した。

しかし!
イタリアでは「ドレッシング」は用いられておらず、
従ってそれに適した言葉もない。
だからといって、「ドレッシング・ドッピオ」ではあからさま過ぎて、
すぐに名前の由来がわかって面白くない(と荒木先生が考えたのだろう)。
そこで、ドレッシングの主成分である酢に着目し、
あえてイタリア語のAcetoではなく、
Dressingと同じ英語のVinegarにしたのではないか?

以上が、僕が考える「ヴィネガー・ドッピオ」の名前の由来だ。


3-7. ディアボロという名前
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]


ディアボロは「悪魔」を意味する。
人格も邪悪だし、悪魔じみた能力だから、
読者としては、「あぁ、悪魔か」と納得してしまう。


しかし、大事なことを忘れていないだろうか?
ディアボロは「悪魔」であると同時に、調理法の1つでもあるのだ。

こちらの調理師専門学校の説明によれば、
説①「悪魔が焼くように」(焼き方の話)
説②「悪魔のように見せて」(香辛料による辛さの話)
とのこと。

大した話ではないが、見落としがちなので触れてみた。


3-8. ディアボロとジョルノの類似性
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]


第5部の主人公である、ジョルノ・ジョバーナ。
そして、第5部のラスボスである、ディアボロ。

この2人は、一見すると非常に両極端な人物として描かれている。
しかし、実は3つの共通点を持つことをご存知だろうか?

第5部 構成編の最後として、両者の共通点を考えてみたい。


① 「神」としての性質

こちらは以前の考察である。
要約すると…
ジョルノ:
生命を作り出すという「創造主」としての力と、
人々を精神的に導くという「イエス・キリスト」としての力を持つ
ディアボロ:
物語冒頭〜ヴェネツィアの教会に至るまでは、神として描かれている


②「悪魔」としての性質

こちらも以前の考察である。

要約すると…
ジョルノ:
手塚治虫の作品「三つ目がとおる」の写楽保介をモチーフとして描かれており、
「悪魔のプリンス」=ディアボロ(悪魔)を継ぐ者
ディアボロ:
名前がそもそも「悪魔」であり、
ヴェネツィアの教会以降はさまざまな悪魔的所業が描かれている。
人格も最悪


③「出生の異常さ」と「父親の不在」

上記①と②は、僕の考察に基づくものなので納得しない人もいるだろう。

しかし、③の視点はどうだろうか?
ジョルノ:
本来、子孫を残す能力がなさそうなアンデッドであるDIOの子として生まれる。
また、父親にあったことがない。
ディアボロ:
2人分の人格を意味すると思われる、「2年間の妊娠期間」の後に、
獄中で出産を迎える。
父親と思しき男は妊娠中に病死しており、父親にあったことがない。

第5部は、「生まれることの悲しさ」や「父親との確執」を描いた作品でもある。
その点で、第5部において重要な「出生の異常さ」と「父親の不在」という点で、
ジョルノとディアボロは非常に類似しているのだ。

これらの類似点が、どのように物語に影響しているかは、
第5部を読む、あるいは視る方々に判断を委ねたい。

僕の個人的な感想を言えば、
「ジョルノ…よくぞ真っ直ぐな人格に育ったね」と思わずにはいられない。

構成編で一旦完結とします

長々と続いてきた「第5部 構成編」ですが、
ここで幕を閉じます。

続く「第5部 ストーリー編」に入りたいところですが…
残念ながら僕の中で考えがまとまらないこと、
noteをすばやく書く能力が及ばないため、
一旦ここで終わりにしたいと思います。

いつの日か、考えがまとまり、ジョジョnoteを書くタイミングが巡ってきたら、
その時にまたお会いしましょう。

Fin


番外編

グリーン・ディはグリーン・デイじゃない!

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