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【ジョジョnote】第5部考察 構成編 ブチャラティ・チーム その⑥ フーゴとトリッシュ

目次
ジョジョnote

前回
構成編 ブチャラティ・チーム その⑤ ミスタとアバッキオ

2-5. パンナコッタ・フーゴ

A. パンナコッタ・フーゴという名前(フーゴ編)
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]


名前の考察として最も面白いのは、フーゴだと思う。

そこでまずは、「フーゴ(Fugo)」から考えてみたい。

ネット上でよく見かける、フーゴ=「撒き散らす」という意味は、
僕が調べた限りでは見つけられなかった

僕が提案したい考え方は…
「複数の単語として解釈できるようにFugoという言葉を選んだ」なのでは?
である。
1つの意味ではなく、語感が類似した言葉をあわせて、
「1つの名前に3つの意味を含ませたのでは?」

というのが僕の解釈だ。

① fugo = fugareの現在分詞形(-ing)

まずはそのまま、Fugoという言葉の意味を考える。
イタリア語のfugare(フガーレ)
逃げる・(雲などを)散らす」という意味があり、
これを一人称(英語の「I」)の現在分詞形(-ing、〜している)
にしたものが、「fugo」だ
つまり、「(私が、今まさに)逃げている」という意味をfugoは含んでいる。
fugareという動詞の中から、わざわざ1つの活用形を選んでいるので、
「逃げる」以外の意味を含ませたのでは?
というのが考察の起点である。

② fungo = きのこ

fugoに似た響きの言葉として、イタリア語のfungo(フンゴ)がある。
英語ではfungi(ファンジャイやフンギ)といい、
生き物の分類としての「きのこやカビなどの菌類」を指す。
まぁ、きのことウイルスでは生物として全く別物なのだが、
「胞子やウイルス粒子を撒き散らす」という能力の性質から
この意味を含ませたと僕は推測する。

③ fragola = イチゴ

fugoと似ている…といえば多少似ている言葉として、
イタリア語のfragola(フラーゴラ)がある。
イタリア語で「イチゴ」を意味する。

ジョジョの奇妙な冒険 コミックス 52巻 表紙

フーゴとイチゴって関係ないじゃん?
…と思った人はジョジョのモグリだ。

コミックス52巻の表紙の、フーゴのネクタイにも端的に表されているように、
フーゴのモチーフの1つが「イチゴ」なのだ。

すなわち、fugo(フーゴ)という名前からfragola(フラ―ゴラ)への連想は、
むしろ自然なことなのだ。

問題は、これをどのように解釈するか、である。
fugo(逃げている)やfungo(きのこ)は、
比較的にフーゴのイメージとリンクしやすい。
一方で、フーゴのキャラクターとイチゴをリンクさせるのは、
少し難しい気がする…

そう思った読者の方。
続く考察を読んでいただければ、
実は「フーゴ=イチゴ」こそ、彼の本質を表していると感じていただけるだろう。


B. パンナコッタ・フーゴという名前(パンナコッタ編)
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]


前述のとおり、fugo(フーゴ)には次の3つの意味が込められているのでは?
と考察した。
1. fugo(fugareの現在分詞形で「今まさに、逃げている」)
2. fungo(きのこやカビ。ウイルス粒子を撒き散らすことに通じる)
3. fragola(イチゴ。ネクタイにも描かれている、フーゴのモチーフ)

一方で、パンナコッタとは、文字通りイタリア発祥のスイーツである。

そもそも、「パンナコッタ・フーゴ」という名前を聞いた時、
スイーツの方はぱっと思い浮かぶけど、
フーゴ=イチゴまで連想する人はなかなかいないのでは?

ここで、さらに発想を飛躍させます。
「パンナコッタ・フーゴ」=「イチゴソースがけのパンナコッタ」だとしたら?

「パンナコッタ・フーゴ」を、視覚化すると↑こうなる。
つまり、「イチゴソースの層」と「パンナコッタの実質部分」が分離している。

そういえば…フーゴって、本体とスタンドが「分離」してましたよね?


C. フーゴは「漫画的表現として分離している」
[信頼度: B (それっぽい! 推測)]


「ポルポの遺産を狙え!」 コミックス49巻、文庫版31巻

こちらはブチャラティチームのメンバー。

ここで1つ質問。
Q. イタリアギャング(マフィア)が舞台の第5部で、
ネクタイをしている主要キャラクターは?

A. フーゴともう1人だけ

実は、いかにもネクタイを付けている人が多くてもよさそうな、
イタリアギャング(マフィア)を舞台としているにも関わらず、
ネクタイを着用してるのは意外にもフーゴと、あるもうひとりの人物だけなのだ。
(背景のモブキャラは、たまに付けている人がいる)
※もう1人については、後ほど考察する

個人的な話で恐縮ですが…
僕は趣味としてラジオをよく聞いている。
その1つがTBSラジオのライムスター宇多丸氏のラジオだ。
この方は映画評でも有名な方だが、
映画という表現形式の大きな特徴の1つに、
「視覚的な効果により、言葉ではない方法でメッセージを表現できる」
ということをよく話している。
それは、光の差し込み方だけで明と暗を分けたり、
キャラクターが面と向かって対立するのか、並んで同じ方向を向くのかで、
敵か味方を表現するなど etc…

漫画表現としての「ネクタイ」というものを考えると、
これは「縦方向に走る線として、身体を左右に分離する」ものとなるのだ。
(※このような、視覚的効果をもった演出として使える、という話。
そして、この効果は第5部では「意図的」に用いられていると推測される。
なぜなら、ネクタイを着用しているのがフーゴとあるもう1人の人物だけだから。)

このような特性を踏まえれば、
精神に表裏があり分離しているフーゴ」と
現実世界と鏡の世界を分離することで支配するイルーゾォ」の戦いは、
対比が際立つように意図的に構成されたバトルであったと推測される。


また、「フーゴの精神の分離を視覚効果で表現する」ことについては、
第5部のアニメでも思慮深い演出がなされている。

第5部のオープニング(Youtube Warner Bros.公式, 0:43あたり)

こちらを見ると明らかなように、
フーゴの身体が左右対称になるように演出されている
このアニメ描写が、どこまで「ネクタイ=精神の分離を表す
という漫画表現を組み込んだものかはわからないが、
漫画とアニメで同じような表現がなされていることが興味深い。

これまで述べてきたことについて、フーゴというキャラクターをまとめると…
①パンナコッタ・フーゴ=イチゴソースがけのパンナコッタであり、
「名前の中で2層に分離している」
②イチゴ柄のネクタイを着用することで、
「漫画表現として身体が2つに分離している」

D. 「パープル・ヘイズ」と「マニック・ディプレッション」
[信頼度: A (確からしい! 出典あり)]


続いて、フーゴのスタンドについて考えてみる。

実は、フーゴというキャラクターを考える上で、
我々読者には、ジョジョ本編以外の材料も与えられていることをご存知だろうか?

荒木先生の執筆30周年とジョジョの連載25周年を記念して、
2011年頃から「VS JOJO」という企画がスタートした。
この企画は、ジョジョ好きを公言した作家が、
ジョジョを題材とした小説を発表するという企画で、
第1段が、上遠野浩平著「恥知らずのパープルヘイズ」(2011年)
第2段が、西尾維新著「OVER HEAVEN」(2011年)
第3段が、舞城王太郎著「JORGE JOESTER」(2012年)
が発表されている。

これら3作品の中でも、スピンオフという点で群を抜いて秀でているのが、
上遠野浩平(かどの こうへい)著「恥知らずのパープルヘイズ」
だと僕は思う。

ジョジョのスピンオフは、かなり難しいと思う。
・ジョジョのストーリーの根幹に関わるポイントに触れて良いのか?
(OVER HEAVEN、最近のJOJO MAGAZINEの無限の王など)
・明らかに本編からは逸脱した内容は、それはそれで良いのか?
(JORGE JOESTAR)

その他、細かなポイントや、うるさいファンが多いであろう
ジョジョという作品において、
この「恥知らずのパープルヘイズ」は極めて高い完成度のスピンオフだと思う。

なぜならこの作品は、
「ジョジョのキャラクター設定、スタンドという概念がもつ意味」
「スピンオフの題材として取り上げる『べき』題材」
「スピンオフとして踏み込んで良いギリギリの『過去の時系列との整合性』」
など、難問だらけのジョジョ・スピンオフの条件を満たしているからだ。


そろそろ本題に戻る。
この「恥知らずのパープルヘイズ」では、
とある敵キャラクターとして
マニック・ディプレッション」という能力が登場する。
(それが誰の、どんな能力かはぜひ作品を読んでいただきたい)

実は、「パープル・ヘイズ」と「マニック・ディプレッション」は、
ともにあるアーティスト(のプロジェクト)が発表した楽曲なのだ。
Jimi Hendrix Experienceは、ジミヘンの愛称でも有名なギタリスト、
ジミ・ヘンドリックスが率いるバンドで、
これら2曲は1967年のUSA・カナダ盤の「Are You Experienced」
に収録されている。

パープル・ヘイズ(紫の煙)とは、合成麻薬LSDを指す言葉であり、
ジミ・ヘンドリックスという人物含め、麻薬とのつながりが見られる。

また、マニック・ディプレションとは、
manic=躁状態、depression =抑うつ病のことで、
現在の言葉で言えば双極性障害
少し古い表現をすればハイな状態とローな状態の激しい人、
といった意味合いであったと推測される。
(この推測はあくまで、楽曲が作られた時代背景などを考慮したものと
ご理解いただきたい。)

このように、フーゴというキャラクターは、
名前の中にもさまざまな設定が含まれている可能性があることに加えて、
スピンオフ作品と合わせて考察することで、
より深く理解できる興味深いキャラクターなのだ。

フーゴがなぜ裏切ったのか?
いや、そもそも「何」を「裏切った」のか?
このあたりの考察などは、
「恥知らずのパープルヘイズ」をお読みいただけると
理解が深まると思います。


2-6. トリッシュ・ウナ

トリッシュのキャラクターについては、シンプルにいきます。

A. トリッシュ・ウナという名前
[信頼度: A (確からしい! 出典あり)]

まず、「ウナ」の方から考える。
イタリア語の「Una」は、数字の「1」を意味する。
これは、ディアボロの精神の片割れである、ドッピオ=ダブル「2」との対比だ。

では、「トリッシュ」とは何なのか?

これは、週刊少年ジャンプの1998年第9号、p35にその答えがある。
(国会図書館で以下の内容を正式に複写依頼すると確認可能である)
(少年ジャンプ. 31(7) (通号 1482) 19980200((9)) pp.34-35)

この第9号には、
まさしく第5部を連載している当時の荒木先生から読者へのQ&Aが載っている。

Q9. トリッシュは、スーパー・モデルのトリッシュ・ゴフ
モデルなんですか?
A. エライ!よく分かりましたね。
その通り、私は彼女の大ファンなんです。

週刊少年ジャンプ 1998年 第9号 p35 ジョジョQ&A Q9 より

実際、ジョジョのキャラクターであるトリッシュ・ウナの誕生日は、
1985年6月8日(文庫版 39巻、眠れる奴隷 その②の後のページ)
であり、
元のモデル、トリッシュ・ゴフの誕生日は、
1976年6月8日
である。

このあたりから、
①父親であるディアボロ(の片割れのドッピオ)との対比の「ウナ」
②モデルの「トリッシュ・ゴフ」からの「トリッシュ」

としてキャラクターが構成されたことがわかる。
※トリッシュ・ゴフの話は、僕もネット情報で知った話です。
国会図書館はあくまで正確な論拠を得るために調査したものです。

B. 「Wanna Be」と「2 become 1」
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]

続いて、トリッシュのスタンドについて考える。

スパイス・ガール」は、
1994年結成のイギリスのアイドルグループ「スパイス・ガールズ
がモデルであると思われる、。

わかりやすいとところで言えば、
スタンドである「スパイス・ガール」の叫び声、
「WAAAAAAAANNABEEEEEEEEEE(ワーナビー)」は、
彼女たちのデビュー曲、「Wannabe」に由来する。

しかし、興味深いのはむしろ、
「スパイス・ガールズ」の「2 Become 1」だと思う。
これは、歌詞の意味としては「男女の話」であり、
「2つの身体が1つに…」という意味合いの歌なのだが、
ジョジョ第5部的には全く異なる意味を持つ。
つまり、父親が「2(ドッピオ)」で、その娘が「1(ウナ)」
なのだ。
とすると、むしろ荒木先生的にはこの曲を先に気に入っていて、
ここからスタンド像を作ったのでは?という可能性も考えられる。


C. トリッシュは「セレブ」なのか?
[信頼度: C (そうだったら面白い!(妄想))]

トリッシュ考察の最後に、
彼女の初期のキャラクター像を再考察したい。

登場初期の彼女は、
保護されて当然なボスの娘であり、高慢な少女
として描かれたいた。

しかし、彼女の生い立ちをたどっていくと…
(というか、最初からわかっていた気もするが)
実際にはカラブリアという町(地方)の病院で、
母親のドナテラが亡くなっている。
亡くなる時に遠距離移動することは考えにくいので、
彼女は父親を知らないまま、母子家庭という環境でこの町で育ったと推測される。

一般的に、母子家庭は経済的に裕福になることはなかなか厳しいと想像される。
また、ボス(ディアボロ)の情報網に引っかからなかったことからも、
母親のドナテロは一定の経済的地位を成すには至っていなかった、と想像される。

つまり、実際の初登場時のトリッシュは、
母子家庭で育ち、
その母親を失った直後に保護(というかマフィアに拉致)され、
見たこともない父親に合わされに行く少女

なのだ。

このように考えると、
登場初期のナランチャやフーゴに対する高慢的な態度は、
彼女のナチュラルというよりは、
むしろなめられないように、せめてもの虚勢を張っている

と考えるのが自然なように思う。
こう考えることで、第5部序盤〜中盤にかけて受け身に見えていたトリッシュが、
実際にはどんな心理状況だったのだろうか?

と想像できて、より深い作品理解につながるように思う。

次回はパッショーネのボスについて考察します。

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第5部考察 構成編 パッショーネのボス その① ソリッド・ナーゾ

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