【メモ】生きる「意味」と生きる「価値」 ④

2022.05.07

生きる「意味」と生きる「価値」
① (Link)
② (Link)
③ (Link)(前回)

17. 「尊重」・「respect」・「esteem」のおさらい

前回は、尊敬にまつわる言葉についての考察を展開しました。

まとめると、こんなかんじ。

・尊重 = 「自分とは異なる生きる道」を選んだ人に対して、
「『過去の営み』」を意識して「一定の評価をする」

・respect = 『過去』を振り返る営み

esteem = 横並びの「市場価値」における「『一定以上』の評価」


表にすると感覚がわかりやすい。

2022.05.06 生きる価値④

日本語の「尊敬」「尊重」と、
英語の「respect」「esteem」は
一対一対応する言葉ではないようです。


さて、ではここから、問題の本質である「尊敬」の謎解きに取り組んでみよう。


18. まずは、「希求的価値」と「尊敬」を図にしてみる


2022.08.08 生きる価値④-2

まずはこんなものをイメージしてみます。

「自分自身」は、希求的価値をなんとか見出そうとしている。
一方で、「希求的価値」は、映画の映写機のように、
スクリーンに向かって光を放っている、とします。

つまり、最初のイメージとして、
「自分自身」と「希求的価値」の間には、
『何かしらが映し出されるスクリーンがある』と考えるわけです。

映画の場合
自分の前面にスクリーン、自分の背後に映写機があります。
それに対して、尊敬の概念では、
スクリーンも映写機も自分の前面にあります。
なので、実際の映画館でイメージするなら、
僕らが座っている座席とスクリーンがあるとき、
映写機はスクリーンの「裏側」から照らしている、というかんじです。

2022.08.08 生きる価値④-3


さて、ではここに、尊敬の概念を加えるとどうなるか?

2022.08.08 生きる価値④-4

こちらが、それを図で示したイメージです。

自分が良いと思う、「希求的価値」があり、
自分とそれの間には、「何かを映し出すスクリーンがある」

一方で、
「希求的価値」と「スクリーン」の間には、
AさんとBさんが違う距離間で立っている。
Bさんは自分自身よりも「希求的価値」に近い。
そしてそれ以上に、Aさんは近い。


そんな状況で、自分の眼前に立つスクリーンを眺めると…

「希求的価値」の距離に反比例するように、
「スクリーン」にはAさんやBさんの影が映し出される。

つまり、
「希求的価値」に近い人ほど、
「スクリーン」には大きな影が映し出される。


これが、「尊敬」の視覚的イメージです。



これだけだとわかりづらいので、もう少し説明を加えます。


2022.08.08 生きる価値④-5

① 他人のことを等身大で見ようとしても、なかなかうまくいきません。
特に、「希求的価値」というよくわからないものへの距離感は
直感的にはわからない。
AさんとBさんだったら、どちらが近いのか?
その距離感の目安がほしいところ


2022.08.08 生きる価値④-6

② ここで、「スクリーンに映る影」という概念を取り入れます
このスクリーンには、「希求的価値」に近い人ほど大きな影が映るので、
この場合にはAさんの影が大きくなります。

なので、スクリーンの影の大きさから
AさんとBさんの「希求的価値」への距離感が「間接的」に理解できるわけです


2022.08.08 生きる価値④-7

③ スクリーンの影という「間接的な目安」を頼りにすることで、
Bさんはある程度の尊敬、Aさんには大きな尊敬、
という具合で尊敬できます。


2022.08.08 生きる価値④-8

④ では改めて、考えてみます。
「尊敬」とは何なのでしょうか?
何を「すごい!」と思っているのでしょうか?

スクリーンに映る影の大きさは、「間接的」な目安です。
実際に知りたいことは、Aさん・Bさん・自分と「希求的価値」の距離感です。
それぞれの人が、どれほど「希求的価値」に近いのか、
その「直接的」な距離を知りたい。


つまり、「希求的価値」に近い人に対してほど、
大きな「尊敬」の気持ちが生じます。


19. 「尊敬」と「憧れ」の違い


先程、「尊敬」というものは、「価値」によって照らされる影だ。
という話をしました。

では、それと似た概念である「憧れ」とは何が違うのでしょうか?


2022.08.08 生きる価値④-9

僕は、この図が「憧れ」というものを端的に表わしていると思います。

憧れの〇〇。
憧れの先輩のようになりたい!
憧れの結婚生活!
憧れのマイホームを手に入れるぞ!(ちと古い価値観か)

このように、憧れというのは、ヒト・もの・状態を含めた、
未来の自分の「通過点」。
もう少し正確にいえば、
自分を重ね合わせたい「理想の未来のイメージ」
といえます。


20. 「尊敬」はヒトに対してのみ可能!

「憧れ」のイメージはつかみやすいですが、
「尊敬」はいまいち難しいです。
先程のスクリーンの例えを見ても、まだ掴み損ねたかんじがする。

そこで、言葉の使い方から本質をえぐってみます。

・あの先輩「に憧れる」
・あの先輩「を尊敬する」
これはどちらも成立しますね。
だけど、「に」と「を」の使い方が違います。

・結婚生活「に憧れる」
・結婚生活「を尊敬する」

・マイホーム「に憧れる」
・マイホーム「を尊敬する」

あれあれ?
ここまでくると、明らかに言葉の違和感があります。

・「憧れ」は、ヒト・もの・状態etc...
何に対しても可能

・「尊敬」はヒトに対してのみ可能

この違いは決定的です。

2022.08.08 生きる価値④-10


21. 「憧れ」と「尊敬」の違いは、「恋」と「愛」の違いと似ている


さらに、「に」と「を」の言葉の違いがあります。

ここで、同じように「に」と「を」の違いがある、
「恋」と「愛」の違いを考えてみます。
けっこう大事。

・Aさん「に恋をする」
・Aさん「を愛する」

・あの漫画「に恋をする」
・この漫画「を愛する」

なんとなく違うのはわかるけど、どう違うかはうまく説明できない。
ポイントは「に」と「を」です。

まず、「愛情」。
こちらは、わたくし酵母マンが提唱する定義としては、
相手をポジティブにする働きかけ
です。
自分があり、相手があって成立するものであり、
自分の心の外側で起きる、具体的な働きかけを指します。

一方で、「恋」。
こちらは、端的に言えば「心の中の傾き」です。
Aさんに恋をしているとき、自分の心はAさんの方に傾いている。
漫画に恋をしているときも、そちらに心は傾いている。

「愛情」が「自分の心の外側で起きる、具体的な働きかけ」
であったのに対して、
「恋」とは「自分の心の内側で起きる、心が向かう方向の傾き」です。

「〇〇を恋する」という表現もありますが、
その内容は「〇〇に恋する」と同じであり、
「〇〇を愛する」と揃えるように言葉が変わったのかな、と僕は考えています。

「恋」を「心の傾き」と表現することで、
さらに理解が深まります。

心の中の傾きが極端になれば、それはもはや「落ちている状態」です。
だから、「恋」は「落ちる」と表現されるわけです。
単なる比喩表現ではなく、心の中ではまさしく
「落下しているような重力感・浮遊感」
が感じられるわけです。

2022.08.08 生きる価値④-11

2022.08.08 生きる価値④-12


そして、「憧れ」と「尊敬」の違いもまた、「に」と「を」から考察できます。

「憧れ」もまた、「心に描く未来の状態」であり、
それは心の内側の景色なわけです。

それに対して「尊敬」とは、
「特定のヒトを対象」とする、何らかの働きかけ
と考えることができます。

そいつは一体なんなのか?

分量も多くなったので、今回はここで終わりにしますが、
何らかの働きかけとは、
「尊敬する人の向こう側に、希求的価値を見出す営み」
ではないか?と考えています。

では、また次回。


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