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【第二期 欲求を開発しよう!】Part 9 「尊敬」と「価値」の関係ってこんなかんじ?

2021.02.26

9-0. 最近の記事

最近の記事のリンク(思考の掃き溜め)
【メモ】最近読んだ本について(欲求とか)
【メモ】 価値観はどこからやってくるのか?
【メモ】 「being」で生きるか?「doing」に生きるか?
【メモ】尊敬が道を切り開くのか?

9-1.  久々にPart記事書きます

そのまんまです。

まず、「価値」「父性」「尊敬」の意味や、その必要性を考える環境を与えてくれた、現在の職場に感謝です。

もし仮に、愛着障害克服後にプー太郎になっていたら、「父性的愛情」についてここまで考えることはできなかっただろう。

いろいろしんどくて泣いちゃうことも多いけど、
こうゆう概念の欠片でも獲得できたことは、素直にありがたいと思う。

そういう、かっこいい言葉を一応書いとこう笑

9-2. 「憧れ」とは?


似た言葉、だけど何かがしっくり来ない言葉。

自分が頻繁にふれるけど、直感的・心の底からの理解ができない言葉には、経験的になにかすごいものが含まれている。

僕の場合は、「愛情」と「感謝」の関係が、まさしくそうだった。
(一応こちらのリンクにまとめてあります。)
愛情と感謝
無条件の愛情


「憧れ」とは、なんだろうか?

ここで、変なたとえ話を描いてみる。

尊敬1

現状、僕が考える「憧れ」とはこうゆうかんじだ。

端的に言えば、「到達可能な目標・目的地」。

hydeに憧れる、スポーツ選手に憧れる、結婚生活に憧れる、東京に憧れる…

実際に到達できるかどうかは別として、
「自分もその人とか状態になる可能性がある」ということに
魅力を感じているのが「憧れ」なのだと思う。

スポーツ選手だったら、「野球で活躍する」とか、「大金を稼ぐとか」。
結婚生活なら「大好きなパートナーと幸せに暮す」とか、
「世間体的にはステータスとして大事だ」とか。
東京に憧れるなら「こんな田舎から出て都会で暮らす」とか、
「自分の活躍する仕事が東京にある!」とか。

「憧れ」の本質は「理想の状態」だから、ヒトでもモノでも当てはまる。


ややこしいのは、具体的なヒトに憧れている心理状態だ。

たとえば、hydeに憧れるとは、どうゆう心理状態なのだろうか?
僕のような素人だったら、「hydeみたいにきれいな声でカラオケ歌いたい!」。
この場合は、「とても歌がうまい」という状態が理想。
もし、音楽活動をしている人なら、「hydeみたいにいい曲を作りたい」。
もっとレベルの高い人なら、「hydeの飽くなき創作能力」。
あるいは、「そういった創作活動を続ける姿勢そのもの」。
こういったものを「理想」に感じて、「憧れる」のだろう。

すげー理解するの難しいし、書いてる僕自身これが正解かはわからんけど…

ヒトに対して「憧れている」限り、「理想とするヒト」が目標・ゴールなのだ。

逆に言えば…
ものすごく成功して目標・ゴールに到達すれば、「憧れ」という感覚も消えるのだ。


9-3. 本題。「価値」とは?


ここから、ややこしいくて似ている概念に切り込んでいく。

まず、「価値」をさっきの東京ー宇都宮の図で考えてみる。

尊敬2

日常的に、いろんな場面で「これはいいな」と思うヒトやモノゴトがある。

もちろん、それらの一つ一つに価値を感じていることは否定しない。


でも、心の底から、本気で「価値」を感じるヒトやモノに出会ったら、

そっちの方向に進まずにはいられないんだよ、きっと。

そういった、「自分が向かいたい・向かうべき方向」こそが、価値の本質
(と思う)。

先程の東京ー宇都宮の図で言えば、「北」が良い!と思っている、それが北に価値を感じている状態だ。
本当に「北」を良いと思ったら、その人は実際に北に向かうだろう。
こういった、「実際の行動 = doing」を伴うことも価値の特徴だ。だ。

先程の「宇都宮に行きたい!」も「北に行きたい!」も、
行動としては東京から宇都宮に北上しているので、まわりからみた限りでは
違いには気づきにくい。

しかし、「宇都宮」に憧れている人は、宇都宮までしかたどり着けない。
だから、宇都宮までの道のりしか考えることができないし、
宇都宮についてから何をするかも考えがゆるい。
そして何より、宇都宮の「次」という発想がまったくない。

一方、「北」に向かいたい人は、宇都宮はあくまで「通過点」だ。
だから、宇都宮から先の新潟、山形…北海道、ロシア、北極を考えることもできる。
だから、宇都宮の「次」に進むことができる。


しかし、何よりも重要なことは…

「価値」というのは、あくまで「方向性」であって、
「実際に到達できる場所・ゴール」ではないのだ!!!!

ここね、ここ。
ここに今日気づいたから、こうやってPart記事を書いているのですよ!!

もっかい書くか。

「価値」というのは、あくまで「方向性」であって、
「実際に到達できる場所・ゴール」ではないのだ!!!!

ソレナ!


はい出た、抽象論!
「到達できない方向性」とか、マジ意味がわからんぞ!
そんなもん意味わからんから、そもそも向かうこともできませーん。

そうなんですよ…
僕も(本心をいえば、いまだに)、
「自分を突き動かす価値」=「到達できない方向性」などという、
強烈にすごいものをしっかり獲得したわけではありません。

だけど、「おそらくこうゆう構造だろう」というのが見えたわけです。
このために、人間は「尊敬」という概念を作り出したのだろう、と思うのです。


9-4. 本題その2。「尊敬」とは??


尊敬3

尊敬というのは、おそらくこうゆう感覚なのだと思います。

まず、「価値」=あくまで「方向性」であって、
「実際に到達できる場所・ゴール」ではない。

それゆえに、そちらに向かいたいと思ったときには、
その方向性を指し示す「方向性の指針」がヒトには必要なわけです。

その方向性を指し示すのが、「尊敬」という感覚。

hydeを尊敬しているとき。
その人は、hydeという偉大な人が示す方向性の先に、
「自分も向かいたい価値」を同時に感じているわけです。

僕にとってhydeは、歌がうまくなりたいという点で「憧れ」ではあるものの、
hydeの先に「向かいたい価値」を感じることはできていないので、
本当の意味でhydeを「尊敬」できてはいないのでしょう。

一方、僕はタモさんやTBSラジオの崎山記者に「尊敬っぽいなにか」を感じています。
これはなんだろうか…と今週考えていたのですが、
あ、『裏を見いだす』かも」と思い至った。

この、『裏』という感覚を言語化するのは難しいのだが、
端的にいうと「多くの人がそばを通り過ぎている何か」。
そして、それに「気づく」ということに価値を感じている(気がする)。
タモさんは、普通の人が見逃すなにかしらに、タモリ倶楽部とかで面白さを見いだしている。
崎山記者は、世の中が見過ごしていたり忘れ去っている物事をニュースと言う形で世の中に再び問う、ということを続けている。

まず、僕は「裏を見いだす」ということに無意識に価値を感じていて、
タモさんとか崎山記者について考えることで、
自分が価値を感じている方向性を「可視化」できたわけです。

さらに、「ヒトに尊敬の念を感じさせる人」は、
その人がどうゆう人生を歩んできたかを振り返ることで、
尊敬の念を感じたヒトを「価値ある方向」へ導くことができるわけです。

逆にいえば、
「尊敬」を感じるということは。
同時に、「価値ある方向へ導かれる」という感覚も体感できる、ということ。

ロールモデルになる、という意味での「尊敬」という言葉がヒトにしか用いられないのは、こういった構造的な仕掛けがあるのだと思います。


9-5. まとめ

今日、こうしてまとめた「憧れ」「価値」「尊敬」の概念は、
あくまで哲学とか言語の素人である酵母マンがまとめたものです。

でもまぁ。
そもそもこういう概念を直感的に理解できていなかった僕のような人間にとって、
これくらい噛み砕けると「なんとなーくわかる」気がします。

最後に、「欲求」とのからみに触れておくと…

「欲求」ってものは、平たくいえば「あるがままに」を試行錯誤する中で自分の内側から出てくるもの(だと思います)。
その点で、欲求をどこまで突き詰めても「母性的=無条件・あるがままに」以上の力は生み出せない気がします。

例え①
普段、本を読まない人がいる。
その人が、「あ、自分は本を読むのが好きかも」と思って、月に1冊本を読むようになったとする。
さらに、本にハマって、月5冊まで気持ちよく読めるようになったとする。
この状態は、(母性的な=あるがままの)欲求を開発して、自発的に月に本を5冊読めるようになった状態。

例え②
好きな本を適度な冊数読むのを「欲求」だとしたら、
興味のない本・できれば読みたくない本を、とんでもない冊数読む、というのは、「欲求」の力に頼るだけでは成し遂げることはできない。
先ほどの人だと、5冊までは「あるがままの欲求」として読むことができるが、6冊目以降は、イヤイヤな気持ちが強くなっていく。
もちろん、「プラス1冊、2冊なら仕方なく読むか」という義務感で処理するのもありだが、プラス5冊、10冊、などの、明らかに欲求のキャパを超えてくると、義務感でこなす限界を迎えてしまう…
これは、「外側からの求められること = 要求」だから、辛いわけだ。

例え③
でももし、「多くの本を読むことで自然の摂理が理解できる」という学術的な価値だったり、「多くの本を読むことでヒトを助けることにつながる」という人道的な価値に魅力を感じれば、自分の母性的な欲求を超えた力 = 「本当に価値を感じるという父性的な力」を、自分の中から生み出すことができる。
この時の意識としては、「外側から『やれ!』」、と命令される感覚ではなく、「内側から『ちょっと大変だけど、大事なことだからな』」という自発的な動機から行動ができる(のだろうね)。



長くなりましたが、2021.2月時点での、
愛着障害克服者の「憧れ」「価値」「尊敬」論でした。

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