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【短編小説】モビー・ディックでいいわけないだろ

バンドのラストライブの2週間前、俺たちはいつものファミレスでメシを食っていた。
ボンゴレビアンコ。マルゲリータピザ。ワインにビール。
「ユキオのボーカル、良くなったな」とドラムのカゲヤンが言った。
「え、褒めてる?」と俺。「確かにギター弾いて歌うの、悪くないよ」
ベースのマコッちゃんも、グラスを片手にうなづいていた。

3ヶ月前、ボーカルのサカキが狭心症で死んだ。うめき声をあげて胸を掻きむしりながら倒れたと。享年24歳。
テレキャスターと膨大な未完成の楽曲が残った。
俺たちはこの店の常連だった。入口を背にした通路側の席が俺、隣にマコッちゃん、俺の正面がカゲヤン、その隣がサカキ。固定の席順だった。

今、俺の斜め向かいは空席だ。
幽霊のサカキが座っているかもしれないし、そのうち身体がニョキニョキ生えてくるかもしれない。

白ワインとピザ

「結局、俺の曲に歌詞つかなかったなぁ」とカゲヤン。
「何か頼む?」と俺。
「辛味チキンとエスカルゴ。メロディもなかったしさ」
「白ワイン追加で」とマコッちゃん。

やって来た店員は長身黒縁メガネにポニーテールで、俺の好みど真ん中の女性だった。去っていく後ろ姿も美しい。
「ユキオはああいう子好きだよなぁ」とカゲヤン。
「マジ尊い」と俺。

「自分で作っちゃえば良かったんだよ」マコッちゃんが話を戻す。
「あいつが『この先は俺がやる』って言ってたんだ」
カゲヤンはビールを飲み干した。

俺たちは全員曲を作る。俺はひねくれたコード進行の曲、マコッちゃんはフォーク調。サカキは歌詞を文学的にしがち。
カゲヤンがブルージィなリフを考えてきて、みんな気に入っていた。
俺たちの唯一のアルバムはインディーズから出た。収録されたのはすべてサカキの曲。

カゲヤンの曲はジャムセッション用だ。
レッド・ツェッペリンの「モビー・ディック」っぽいから「モビー・ディックみたいなアレ」と呼んでいたが、いつしか「モビー・ディック」と呼ぶようになっていた。

ビール

「あいつ、メジャーデビューのために取っておいたんだよ」とマコッちゃん。
「俺はそれ疑ってる」とカゲヤン。
「ずっと言ってたぜ。メンバー全員の曲を入れるって」
「メロディー付けてBパートに展開したかったな」
「今度のライブでやる?」と俺。
「セットリスト考えないと」とカゲヤン。
「それ、俺がずっと言ってきたんだが?」とマコッちゃん。
ボーカルパートの割り振りもまだ決まっていない。

俺たちはジム・モリソンを失ったドアーズみたいなものだ。
ギタートリオでもバンドは続けられる。
インディーでアルバム1枚出しただけのバンドが、しれっとトリオで再開して文句言われることはない。

でも、誰も言い出さなかった。決断力がないのだ。
今度のライブもレーベルの好意だ。俺たち主導で決めたわけではない。
初めてのネット中継ライブ。そこで俺たちは解散する。

俺たちは最後までウダウダと話して食うだけだった。
会計して店を出ようすると、背後から女性の声がした。
「ブラッド・ロータス・アンターンド?」
足が止まった。しかし、反応の仕方が分からない。
見知らぬ人からバンド名で呼ばれたことがないからだ。
振り向くと、先程の美人店員が立っていた。

「そうですよね?」と真顔だ。
俺たちはモゴモゴと口ごもった。
「友達のおすすめで知ったばかりなんですよ、私」と早口で店員は言った。
「あ、うん」と俺。
「配信ライブ観ますよ」
返事ができなかった。

「うん、解散なんてしないほうがいいね」
店員の口調が突然高圧的になる。
「君は君自身の炎で自分を焼かなければならない。君はまず灰にならなかったら、どうして新たになれよう!」
直立不動の俺たち。
「孤独者よ、君は創造者の道を行く!」と俺を指差す。
しばし無言の時間。店員がくすっと笑う。自分の美しさを知っている者の微笑みだ。
「ご来店ありがとうございました」

俺たちは激しい虫歯の治療が終わった患者のようにうなだれて店を出た。
「何だ?」とカゲヤン。
「分からん」とマコッちゃん。
「何も分からん」と俺。
分かったのは、最近俺たちを知った人がいて、その人が最初に見るライブが次の配信ライブだということだ。
ステージに立つのは、メインボーカルを失った俺たち3人だ。

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次の日、カゲヤンから電話が来た。
「あの演出やめようぜ」
「演出?」と俺。
「マイクスタンド立てて、サカキの帽子を掛けとくってやつ」
「やめんの? どうして?」
「なんて言うかさぁ」の後が続かない。
ちょっと待つ。すうっと息を飲む音。
「もっとギタートリオっぽくやろうぜ」
「ギタートリオ?」と俺。
「あぁ」
「マコッちゃんには?」
「お前から言っといてくんね?」
「分かった」
通話は挨拶もなしに切れた。

マコッちゃんはどう思うだろうと俺は思った。
「俺のボーカル弱くない?」と訊いたことがある。リハを始めて間もないころ。
「弱くない。自信持てよ」とマコッちゃんに言われた。
俺は天井を見上げ、ふっと息を吐いた。

ギターでカゲヤンのリフを弾いてみた。
Bパートに展開したいって言ってたな。キーがEだからDに転調してみよう。
適当にメロディーを付けてみる。お、悪くない。

俺は2人に提案すると決めた。
「ギタートリオで続けよう」
誰かが言い出すのを待ってちゃダメだ。
創造者の道って、そういうことだ。たぶん合ってる。
俺は部屋中を踊りながらリフを弾いた。
そうだ。タイトル決めなきゃ。
モビー・ディックでいいわけないだろ。

(了)

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