見出し画像

旋回しながら落ちていく ~Super Butter Dog『まわれダイヤル』~

螺旋階段を上から見下ろすときに感じる酩酊感は格別である。
吸い込まれそうな魅力があり、つい飛び降りたくなってしまう。ぐるぐる旋回しながら落下するのは快感だろう。
ブラックホールにガス雲が吸い込まれるときには、まっすぐではなく回りながら吸い込まれるそうだ。なんだか楽しそう。

「回転」や「旋回」を音楽で言うと、「ループ」ということになる。現在のロックでもポップスでも、もちろんヒップホップでもいい。すべて何小節かをループさせて作られる。同じところをぐるぐる回ると気持ちいいのだ。
ループで作られたリズムを聴いていると気持ちよくなるということに疑いを入れる人はいない。

でも、どうして?

改めて考えると分からなくなる。なんで同じところをぐるぐる回ると気持ちよくなってしまうのか。だって不安じゃない?
変化しないのがどうして良いの?
ループしてるだけなら前進しないでしょ。
どこか広場で木の周りをぐるぐる回って「気持ちいい!」とか叫んでる人を想像してみるといい。ほら、変じゃん。

でも音楽なら変じゃないことになってる。
ぐるぐる回ったら気持ちいい。気持ちいい理由は分からない。
「理由は分からないけど、この薬飲んだら気持ち良くなりますよ」と言われて飲む人がいるだろうか?
いるはずがない。
しかし、音楽なら不問にされるのだ。

Super Butter Dog『まわれダイヤル』

Super Butter Dogは1994年に結成され、1997年にメジャーデビュー、途中に休止の時期をはさんで2008年に解散した日本のファンクバンドである。星野源のラジオで、2002年発表の楽曲『僕はこう切りだした』が紹介されて話題になったこともある。高い演奏力と奇妙な内容の歌詞が魅力的なバンドで、いつ聴いても新鮮な驚きをもたらしてくれる。
ギターがいい。ときにストレートなファンクであり、ときに歪んだロックであり、多様なジャンルの音楽を混ぜ合わせたサウンドを奏でている。

Super Butter Dogには現代詩みたいな歌詞の楽曲も数多くあり、なかでも『まわれダイヤル』という曲の奇妙さは群を抜いている。1998年発表の『333号室』というこれまた奇妙なタイトルのアルバムの1曲目。

ここで言う「ダイヤル」というのは電話のダイヤルのことだが、1998年時点ですでに「ダイヤルを回す電話」というのは日本にほとんど残っていない。記録によると、1985年に日本電信電話公社が民営化され、家庭の固定電話は「黒電話をレンタルするもの」から「自分で家電店に行って買うもの」に変わっている。
1998年に制作されたドラマ『ショムニ』では、会社の電話はすべてプッシュホンである。同年制作の『GTO』では下宿に住んでいる主人公が使っている電話は黒電話で、これは時代に取り残された男性の象徴として登場しているようだ。要するに、この楽曲が発表された時点ですでに「ダイヤルを回す」のは珍しい行為だったのである。

『まわれダイヤル』はジャンルとしてはファンクだ。しかし、楽曲の構想が一般的なファンクとは随分違っている。確かにノリはいい。リズムもグルーブしている。なのに、踊るのに向いていない。まったくダンサブルではないのである。「踊れないファンク」という矛盾した構想の曲だ。
要因のひとつは、リズムに乗ってから挿入されるキーボードの気持ち悪いフレーズである。これがなければ多少は踊れるようになるかもしれない。しかし、他のプレイヤーも聴いている人にノッてもらおうという気概に欠けている。「ファンクの熱気を根こそぎ奪った後に残るビート」とでも言いたくなるようなリズムが淡々と刻まれる。
こうしてノレないままにイントロが進んでボーカルが入ってくる。

かける理由が必要で
借りた物返すことにする
やわらぐ話用意して
5分ごとにくすぐって

この後、「電話ではどのような態度を取るべきなのか」を詳細に語るという内容になっている。「距離を保つのも重要」「自然を意識する」「しゃべる口調に気をつけて」「息の吸い方も重要」など、いちいち気にしている。電話でのコミュニケーションに適した人の考え方ではない。

「かける理由が必要で」というフレーズからこの曲は始まる。電話をかけるための理由を探しているのである。つまり、電話する相手とのコミュニケーションが目的ではないのだ。話す内容をわざわざ探したのである。

そもそも、こいつは何をしたくて電話をかけるのか?
それがサビの部分で明かされる。

マワレダイヤルマワレ
マワレダイヤルマワレ

こいつは「ダイヤルが回るところを見たい」のである。回っているところを見たくて電話をするのだ。適当な番号にかけてつながってしまったら、間違い電話として謝ったりしなければならない。だから知っている人に電話している。
いや、もしかしたらすでに間違い電話をかけてしまったので、借りた物を返すことにして知り合いに電話をかけようとしているのかもしれない。
そこまでしてダイヤルが回るところが見たいのである。

なぜか?

同じところをぐるぐる回るのは気持ちいいからだ。ぐるぐる回ったら快感だからだ。ダイヤルを回したい。回ってるところが見たい。後は借りた物を返すことにして会話すればいい。
用事はすでに済んでいることを気づかれないために、電話での正しい振る舞いをひとつずつ数え上げて自分に言い聞かせているのである。

ところが、この曲は「ダイヤルが回るところが見たくて電話をする」という偏執狂のような心理状態を歌っているのではない。
ここにあるのは冷徹な批評眼である。

同じところをループした音楽を聴くと気持ちよくなって踊ってしまうという行為は、無意識にやっているように思える。ループして快感を得て踊る。これは果たして本当に無意識にやっているのか?
そう教えられたからやっているだけではないか?
根源的には、回ったら気持ちよくなること自体を疑ってみるべきではないか?

回ることと気持ちが良くなることに因果関係なんてないんじゃないのか。ダイヤルを回したいから電話をかけることが異常だとしたら、回ることと気持ちよくなることには何も関係がないことになる。ループを使った音楽を聴いて気持ちよくなってる自分たちは「理由は分からないのに飲んだら気持ちよくなる薬」を飲んでるのとなんら変わらない。

Super Butter Dogの『まわれダイヤル』で「かける理由を探して電話する」人は、ダイヤルが回るところを見たくて電話をかけるのである。そのことを奇妙だと感じるなら、「回ったら気持ちいい」ということ自体を疑ってかかるべきだ。実はループした音楽を聴いたら踊ってしまうというのは後から付与された習慣に過ぎない。とすると、ビートに乗って踊ること自体が異様だということになる。

我々はいつの間にか、ループしたら気持ちいいことにされていて、ループした音楽を聴いたら踊るようにどこかで仕向けられているのではないか。これはDNAに刻まれているわけでもないし、本能でもない。
「カッコいいトラック聴いたら無条件で踊りたくなる」
おい、本当かそれ。習っただけじゃないのか?

この曲では、回ったら気持ちいいという考え方が奇妙になるような行為をわざと歌い、さらに踊れないファンクビートに乗せることによって「回ったら気持ちいいこと」を批評しているのである。回ったら気持ちいいってのは本当にそうかと尋ねているのだ。
だからこの曲は冷徹だ。非常に冷めた視点で音楽を演奏している。「熱気を失ったファンクビート」である。

ファンクビートを演奏しながら同時にビートを客観的に批評している。それは「クール」とか「カッコいい」とかいった次元ではない。冷徹な批評そのものだ。

批評するときに人間は「イエー」とか言ったり「ノリノリな雰囲気」になったりはしない。PVでメンバーが誰一人笑っていないのは、この曲が批評的であることを意識しているからだ。

ラストではエレピがポツポツと音を立てながら消えていく。
ガス雲がブラックホールに吸い込まれるときにプラズマガスの光を放つそうだが、まるで消えていくその最後の光のようだ。
この曲は永遠に疑問符を投げ続ける。
「ループしたら気持ちいいって、それ本当か?」

#私の勝負曲

この記事が参加している募集

私の勝負曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?