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忘れているようでも、頭の中の引き出しにはきっとしまってある。
読んだり見たり経験したりしたものが、無意識に自分の中の引き出しに、そっとしまわれていく。細やかに仕分けされ、ふとした時にさらりと出てくる言葉や知識。
今日だったか昨日だったか、どこで見たのかも思い出せないけれど、ハッとした言葉があった。なのにいつのまにか"ハッとした言葉があった"ことしか思い出せなくて、なんだったのかずっと考えている。
おそらく私はその言葉をふとした時に思い出すのだろう。今は思い出せなくても、しかるべき時にまた、ハッとさせてくれるのだと思う。
今この瞬間は思い出さなくても、ある時急に思い出したりするものだ。何かをきっかけに、引き出しがトンっと開いて、するりと何食わぬ顔で出てきたりする。
すっかり忘れていた事を思い出すって、なんだか不思議な感覚だ。
そういえばあったなぁとか、あの言葉好きだったんだよねとか。
例えば何かアイデアを考える時に、昔やったことや作ったもの、経験を引っ張り出してきてそこから展開していくことがある。そういう時は大抵、一つの引き出しを開けると、その辺り一帯の引き出しがポンポン開いて溢れてくる。
「そういえば」で、忘れていたことがどんどん蘇ってくるから面白い。
本人は忘れているようでも、本体はきちんと引き出しにしまっておいてくれているのだ。「あるよ」と出してきてくれたり、永遠に閉じたままだったり。
そんな事をぼんやり思いながらも、件の言葉がなんだったのかまだ考えている。けれど一向に思い出せない。なんだったんだろう?気になる。気になるけれど、こじ開けようとすると、本体に似て天邪鬼な引き出しは、すでに鍵がかかってしまったようだ。
何かの弾みでポンっと鍵が開く事を願って、うっすらうっすら気にかけたい。思い出そうとなんかしてないよ、という程を装って、見てないよ、という程を装って、薄目で密かに引き出しが開くのを待とうと思う。
いや、できれば早く思い出したい。
サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。