またしても電話線の向こうから。ヒマだったわたしの毎日が変った。
唯一の社会とのつながりだったBさんの介護から、思わぬ形でたくさんの人と関わりを持つことになった。
誰かヒマな人はどこかに
Bさんの介護に行って、何をするでもなくおしゃべりをしていた時のことだった。
「介護」と言っても実際にはだらだらおしゃべりしている時間が多かったので続いたのかもしれません。
電話が鳴ったので、スピーカーホンのボタンを押す。Bさんは受話器を持つことが出来ないので、電話が鳴ったら迷わずスピーカーホンにする。
「もしもしー、Bさん?Vやけど」
「なんやー」
「明日の昼にな、ちょっとだけ電話番してほしいから人探してるねんけど、誰か明日ヒマな人おれへんかなー」
「ここにおるで」
間髪入れず、Bさんは言った。
確かにわたしはヒマだ。
断る理由もなかったので、翌日Vさんの指定した場所に向かった。
初めての場所に
電車を乗り継いで教えてもらった駅まで行く。初めて乗る電車だったので緊張した。駅から10分くらい歩いて、無事到着した。可愛い文字で「ひまわり学童保育」と書かれた看板があった。
インターフォンを押すとVさんが出てきた。
「今日はありがとう、助かるわー」
気さくに言うVさんはわたしと同じくらいの年齢に見えた。若い先生だ。
簡単に指示をしてVさんは出かけて言った。小さな空間だけれど、居心地のいい場所にしたいというVさんの気持ちが伝わってくる。
絵本を読みながら電話を待つ。
電話がかかってきたら、
「おいで、待ってるよ」
こう言うだけのアルバイトだった。バイト代は子どもたちと食べるおやつだという。もちろん交通費は自腹だ。
この頃のわたしはもう、こういうことに慣れていた。
かかってこない電話に
1時間経っても電話はかかってこない。Vさんも帰ってこない。でも約束の3時までには戻ってくるだろう。
「誰?」
ぶしつけな声が飛んできた。
事情を説明したらT子と名乗る小学4年生は、
「Vちゃん先生、帰ってけーへんで」
自信たっぷりに言った。
T子はおやつの準備は出来ているのかと聞いてきた。
「知らんけど」と正直に返事した。
冷蔵庫を開けたT子は、リンゴを指さした。
「今日は7人やから8人分いるで」
おそらくわたしがリンゴを切るのだろう。しかし包丁がない。
「その下」
素っ気なくT子が言うのでお礼を言って、洗ったリンゴを切る。二個のりんごを8人分に切るというだけの計算がなかなか出来ない。
すると6人の子どもが学童にやってきた。合計7人の子どもとわたしで8人になる。Vさんのりんごがない。りんごを食べていると3時を過ぎた。
予定の「2時間」を過ぎている。でもVさんは本当に帰ってこない。
先生と呼ばれて
「なまえ、なんていうのん」と聞かれたので名乗ると、「じゃあ、こうちゃん先生やな」と言って、公園に連れ出された。
一ヶ月くらい前には布団の中で過ごしていたわたしが、なぜか今、子どもたちと「だるまさんが転んだ」をして遊んでいる。不思議だ。
もっと不思議なのはVさんが帰ってこないことだった。
6時になり、T子は帰るで、と言った後、こう言った。
「先生、また明日な」
T子の言葉に頭が混乱する。また明日、わたしはここに来るのだろうか。Vさんはいつ帰ってくるのだろうか。
7時前になってやっと、Vさんは帰ってきた。
「ごめんなー」と言われたので今日一日の報告をする。次にVさんは仰天発言をした。
「明日は2時からでいいから」
こうしていつの間にかわたしは、学童保育でアルバイトをすることになった。
なんと成り行き任せで生きているのか。自分でこれを書いていて驚く。この成り行きまかせなところは今もあまり変らない。
シリーズ
【坂道を上ると次も坂道だった】
でした。