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なんだか大学生らしくなってきた二十歳のわたし。

いくつかの単位を落としながらも、なんとか二回生になった。二十歳になった秋に、専攻が決まった。すべてが順調だった。とまでは言えないか。

不登校に片足をツッコミつつ

毎日毎日同じ電車に乗って、大学に通った。休みがちながらも単位は少ししか落とさない程度に出席できた。落とすな、というツッコミはやめてね。

英語の小テストが2コマ目に控えていた朝、政治学の講義が始まる前に、わたしはTちゃんとしゃべっていた。教授が入ってきて、静かにしなさいと言った。

Tちゃんが「教科書持ってきてたん」と言ったので「当たり前やん」と言った時だった。

教壇を降りてわたしのところに来た教授が、わたしの肩をペンで突いた。

「しゃべっただろう!出ていきなさい!」

確かにわたしはしゃべった。悪いのはわたしだ。でもペンで突かれるのは何か間違っている。

怒りにまかせて90分間、英語の勉強をした。結果、小テストは満点だった。

やれば出来る。だけどわたしは英語の勉強が苦手だった

Tちゃんはわたしが悪かったと何度も謝った。悪いのはわたしだ。

専攻は社会学で

秋になると、いよいよ専攻決定の時期が迫る。

「専攻を決める」というのは「ゼミを決める」というのと同じだった。社会学に分類されているゼミに入れば自動的に社会学専攻になる。

「逸脱と規範」をテーマにしたK教授のゼミを第一志望にした。社会の側が何かをはじきだそうとする法則を勉強しようと考えた。

心がけだけは常に立派だった。

蓋を開けたら

ゼミ生発表の日。ロビーの人垣から離れて待っていた。やっぱり人混みは苦手だ。

やっと人が減ったのを見届けて、ロビーに降りた。見事わたしは合格していた。4月からKゼミのゼミ生として社会学に邁進できる。

やったー!!と喜んだのもつかの間。

よく見ると、Kゼミのメンバーが他のゼミより多い。

定員15名のところがなぜか30に近い数の名前が並んでいる。

あっれー??

なんと、ゼミ試験は全員合格だった。

背後から、Tちゃんに言われた。

「こうちゃん、Hゼミちゃうのん!」

話すのも辛くて

実はわたしはHゼミについての詳しいことを誰にも話せていなかった。

Hゼミに通うのをやめたことも、やめた理由も話していなかった。

唯一、M子には「介護」に行っている話をした。すると。わたしには無理やわと最初に言われた。M子を「介護」の道に引きずり込むつもりは全くなかったが、はっきり断られて、そもそも話をするんじゃなかったと後悔した。

晴れてゼミ生として

正式なゼミ生というのは、いいものだった。同級生と一緒に勉強する。それぞれのテーマをもって研究して発表をする。人の発表にいろいろ質問をする。

これが普通の大学生の生活なのかと思うと、わたしの一回生としての時間が少しかわいそうな気持ちになる。

とはいえわたしはすでに、障害者介護の端っこに組み込まれていたので普通の大学生とは言えないグレーゾーンにいた。

とはいえ、「介護」で出会う他の介護者には、面白い人が多かった。個性的と言う方が良いかもしれない。とにかく大学にいるだけならば会うこともなかった人々だ。これはわたしにとっては心の財産となっていった。

ゼミ生として充実した生活をしていたわたしは、二週間に一度の「介護」もそんなに苦ではなくなっていた。もちろん毎回ゆううつではあったけれど。

いままでになく順風満帆な三回生の終わりにこれまた意外な転機が訪れる。





シリーズ

【坂道を上ると次も坂道だった】

でした。



画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。

とにかくいっぱい本を読んだよね、という思いから選びました。





地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)