座学で終えてはもったいない!得た知識は日々の生活の中で実践してみよう(『論語』述而篇)
今回取り上げるのは『論語』述而篇からの言葉。
実際に君子らしい行いを実践することは、私はまだまだできていないのだ、という意味。
孔子が自分のことを評して語った言葉です。
つまり、紙の上での学問だけでは十分ではなく、実際に日々の生活の中で君子らしい行動を実践することが大事なのだ、と述べているわけですね。
孔子は礼や仁を大切にし、弟子たちに教育を施していました。
弟子たちは孔子の授業を受け、テキストを読み、孔子と問答をすることで、知識を磨いていきます。
そして、学びを終えた生徒の多くは、「孔子のもとで学んだ」というブランド力と豊富な知識を武器に、故郷の国などに就職しに行ったのです。
今の塾や予備校のようなイメージですね。
もしかしたら、みなさんも「孔子と言えば座学」というようなイメージをお持ちかもしれません。
しかし、実際のところ、孔子は座学よりも実践を重視しています。
例として、以下の孔子の発言を見てみましょう。
農業に関して、私は老齢の農夫に及ばない、という意味。
弟子からの質問に対して、「農業のことを聞くのであれば、私よりもベテラン農夫に聞きなさい」と答えた場面です。
このように答えたのは、孔子自身が農業の専門家ではないということも理由の一つですが、それよりも日々農業を実践している人に対する尊敬の念があるからです。
また、以下のような言葉も残っています。
仁者は自分が立ちたければまず他人を立たせ、自分が成し遂げたいと思えばまず他人を成し遂げさせる、という意味。
仁を実践する方法について語った言葉です。
そしてこちら。
立派な人は発言するのは苦手であっても、行動することは素早くありたいと願う、という意味。
例え口下手であったしても、行動すること・実践することができれば、それはとても立派なことだ、ということですね。
孔子が座学の先を見据え、いかに実践を大事にしていたかが分かります。
礼も仁も、実践しなければ意味がありません。
頭の中でだけ礼儀正しくあっても外からは分かりませんし、心の中でだけ相手を思い遣っても相手に伝わりません。
礼や仁といったものは、相手がいて、その相手に正しく伝わるからこそ意味があります。
相手に伝えるためには、実際に行動するしかありません。
故に、孔子は実践を大事にしていました。
しかし、君子、つまりは立派な大人になるための道は長く険しいもの。
座学で学んだだけでは道を極めることはできません。
孔子はその難しさをよく理解していたので、「私はまだまだ未熟だ」と述べているのです。
孔子と同じ儒家に属する荀子も、次のように言っています。
学問とは、実際に行動してみて初めて学んだと言えるのだ、という意味。
何かを学び、身につけるためには、兎にも角にも行動することが大事なのです。
多くの知識を身につけたからといって満足するのではなく、勇気を持って、そこから一歩先に足を踏み出してみましょう。
実際に行動してみることで、見えてくる景色があるはずです。
様々な経験をすることで、人格は磨かれていきます。
孔子のように謙虚さを忘れず、何歳になっても学び行動し続ける人でありたいですね。
今回は、「実際に君子らしい行いを実践することは、私はまだまだできていないのだ」という孔子の謙虚な言葉をご紹介しました。
ネット上で色々な知識を得ることができる現代ですが、自分の経験・体験に勝るものはありません。
実践してみることで、「思ってたよりも楽しかった!」「イメージが明確になった!」といったリアルな経験が得られるはずです。
そういった一つ一つの経験を経て、私たちの視野は広がるのだと思います。
私も勇気を出して色々挑戦してみようかな、と思った今日この頃でした。
それでは今回はここまで。
また次の記事でお会いしましょう👋
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