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人生を豊かにする中国古典の名言#65

【今日の名言】

君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す
(読み:クンシはゲンにトツにして、オコナいにビンならんことをホッす)

『論語』里仁篇

立派な人は発言するのは苦手であっても、行動することは素早くありたいと願うものだ、という意味。

つまり、本当に立派な人は、いつでも素早く行動できるように心がけている、ということですね。


孔子は礼や仁を大切にしていましたが、そのためには実際に行動することが欠かせません。

礼儀作法を身につけていても、本番で実践できなければ品位や素養を疑われますし、思いやりの心があっても、相手のために動くことができなければ意味がないからです。

そのため、孔子は礼や仁を身につけるだけではなく、礼や仁に基づいて行動することを大切にしていました。

以下の言葉からも、孔子の姿勢を伺うことができます。

君子は其の言の其の行いに過ぐるを恥ず
(読み:クンシはソのゲンのソのオコナいにスぐるをハず)

『論語』憲問篇

立派な人間は、自分の発言が自身の行いよりも大げさになることを恥じるものである、という意味。

つまり、口先だけ立派な人ではなく、発言に行動が伴う人になりなさい、ということですね。

以前、別の記事でもご紹介しました。

孔子は貧しい家庭の生まれであり、成長してからも亡命生活を送るような、なかなかの苦労人です。

おそらく、その苦労の中で「口先だけで行動しない人」の多さに辟易し、実際に自分で行動しなければ状況は何も変わらないのだ、ということに気づいたのでしょう。

この姿勢は同じ儒家の荀子に受け継がれています。

学は之を行うに至りて止む
(読み:ガクはコレをオコナうにイタりてヤむ)

『荀子』儒效篇

学問とは、実際に行動してみて初めて学んだと言えるのだ、という意味。

学びの旅は「知識を得る + 知識に基づいて行動する」ところまでが1セットなのです。

荀子は教育と努力を大切にした人ですから、実践重視の姿勢も頷けますね。

そして、実践重視の思想は、荀子の弟子である韓非子にも見受けられます。

目を待ちて以て明と為せば、見る所の者少なし
(読み:メをマちてモッてメイとナせば、ミるトコロのモノスクなし)

『韓非子』姦劫殺臣篇

目で見ただけで分かったつもりになると、物事の本質を見逃してしまう、という意味。

つまり、目で見ただけで終わらせず、実際に触ってみたり、体験してみたりしてから判断しなさい、ということですね。

韓非子は、何事も実際に自身で経験してみることを推奨しています。

孔子の実践重視の姿勢は、荀子を経て、法家の韓非子にまで受け継がれたのです。

春秋戦国時代という激動の時代にあって、「実践すること」はそれだけ重要なことだったと言えるでしょう。


変化の激しい時代という点では、現代も同様だと思います。

情報はあちこちに溢れているので、その気になればちょっとした雑学王になることも夢ではないでしょう。

しかし、現代を生き抜いていくためには、それらの知識を自身の血肉に変えていかなければなりません。

知識に留めるのではなく、実際に行動し、経験し、感じてみて、自分だけの知恵に昇華させるのです。

断片的な知識ではなく、一本芯の通った知恵に変えることができれば、どのような状況でも柔軟に対応できることでしょう。

今年も残り1/3となりますが、ネットの情報を鵜呑みにして満足することなく、「実際にやってみる」ことを大切にして過ごしていきたいですね。


今回ご紹介した言葉は、以下の回でも取り上げています。

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